お釈迦様は
「人身受け難し、今已に受く。
仏法聞き難し、今已に聞く。
この身今生に向って度せずんば、
さらにいずれの生に向ってか、この身を度せん。 」
と経典に説かれております。
人身受け難し、今已に受く。
生まれがたい人間に生まれたということは、人間に生まれなければ果たせない、重大な使命がある。それを果たす為に生まれてきたということです。しかも、人間に生まれるということは、大変難しいことなので、
こんなことは、何億年に一度しかめぐってこない絶対のチャンスなのです。
次の「仏法聞き難し」とは人間に生まれた目的を説かれているのが仏教であり、仏教以外に説かれていないのですが、その仏教は、人間に生まれさえすれば聞けるかというとそうではありません。
「仏教聞き難し」と説かれています。どれくらい難しいかというとお釈迦様は、
ヒマラヤの山頂より糸を垂らして、麓にある針の穴に通すことよりも難しいと説かれています。
ヒマラヤといえば、8800mという世界一高い山で、9キロ近くあります。手元にある針の穴でも通らないのに9キロ先の針の穴に糸を通るでしょうか。
大体、ヒマラヤの山頂から糸をたらしてふもとまでおりていくのかなという感じもします。
その、針の穴を通すくらい難しいのではなく、 針の穴を通す「よりも」難しいということで、どれだけ難しいか分かりません。
その仏教の教えを聞き、絶対の幸福になった時にこそ人間に生まれた本当の有り難さが分かるのです。仏法を聞き開かぬ限り、人間に生まれた喜びなど絶対に分かるものではありません。
ですから最後に
「この身今生に向かって度せずんば、さらにいずれの生に向かってかこの身を度せん。」 と説かれています。
「度する」とは、人生の目的成就するということです。「今生に」とは、生きている時ということです。
生きている時というのは、生まれてから死ぬまでのことですが、ではいつまで生きているでしょうか。10年後生きていますか?その保証はありません。では1年後は?その保証もありません。
1ヶ月後は、明日は?実は、明日も生きている保証はないのです。
今生というのは、生きている時ということですが、それは、今しかないんですね。現在ただ今、ということです。
ですから、生まれがたい人間に生まれた今、仏法を聞き、人生の目的を果たさねば、いつ果たすというのか。永遠のチャンスは今しかない。今が勝負ですよといわれたのが、この身今生に向かって度せずんばさらにいずれの生に向かってかこの身を度せん。
というお釈迦様のお言葉なのです。
皆様、チャンスは今です。
今やらねば、いつやるの?
「今でしょ
」
最後までお付き合い頂き有難うございました。またご縁がありましたらお会いしましょう。、
合掌
