2016/2/9(火)12:00

外科から乳腺腫瘍内科に変わった。

もちろんMさんも同席。Mさんは仕事の合間に来ている。

母と二人では不安なので自分のことながらMさんがいるとホッとする。


これから私の主治医になるS先生。小柄な男の先生だった。

始めに『今のご自分の状態を説明できますか』と聞かれた。

???の文字が浮かんだ。


外科で手術出来ないって言われ遠隔転移でステージ4。ネットで勉強しているし、皆さんのブログを読み逃げしているし、今さら何を確認したいのかと思ったけど、外科の先生の説明書を手元においていたので『この説明を理解しています』と私は答えた。

たぶん、寛解出来ると勘違いしていると困るから確認の為と思われる。

この病院は「面談票」があり、当日話をした内容を書面にする。そして最後に「理解しました」というような署名をさせて終了となる。その代わり検査結果のデータはくれない。採血とか腫瘍マーカーとか。ペインクリニックからの情報提供書にMRIで腫瘍の有無を確認願いたいというお手紙に対しての返事とCD-ROMをくれただけだ。



S先生と私の病状の確認が始まった。同時に治療方針へ進む予定のようだ。

用紙に記入し説明しながら進んでいく。

私の乳がんの組織型、骨転移、手術出来ない......そして......


【治らない】


という文字を見たとき、一瞬にして涙が出た。

(そんなのは知っているんだ。だけど、先生に言われると辛いんだよ)

Mさんが私の背中をさすってくれた。一緒に泣いてくれた。

S先生は一度説明を止めたが、大丈夫ですか?と声を掛けて次に進んだ。

・治らないけど癌と上手く長く付き合っていく=共存すること

・症状を出来るだけ抑えてその時間を出来るだけ長くすること

・これまでと同じ生活をできるだけ長く続けること



つまり、、、簡単にいえば延命治療なんだけど、S先生は細かく説明してくれた。

でないと、、、また泣いてしまうと思ったのかな。

長く生きるために行う治療は

・癌に対しては「薬物治療」←化学療法って言わないんだ...怖いな...

・痛みについては「緩和治療」痛み止、放射線、手術(頸椎転移部分)


私の場合、組織型が前の総合病院との違いが出ていて一部はっきりしていない。

頸椎転移の症状で右腕に走る激痛をボルタレンで抑えている。

2/8から腰も痛くなってきて確認したところ腰椎3番に転移があった。

なので先に頸椎に放射線を当てる治療を始めることになった。
 
来週から(2/16)治療が始まる。

治療が始まることがこんなにも心理的に違うものかと思った。



先生達は質問しないと教えてくれないが、頸椎転移は3ヶ所あるし

7番は全部癌に食われている状態で、胸椎も腰椎も転移してて詳しく知って悲しくなった。

っていうよりこんなに転移してて生きれるのだろうかと不安になった。

会社復帰なんて無理なんじゃないのかと思った。

そんなことを言葉にして、Mさんと母の前で泣いたのはお昼ご飯を食べている時だった。


『まだ治療も始まってないのに、どうなるか分からないでしょ!そんなこと言わないで!』


とMさんに叱られた。

だって、治療してもどっちに転がるか分からないし生きていけないよ。。。

11月に乳がんが分かっても検査ばかりでいつまでたっても治療始まらないし。。。


しかしご飯を食べている間にS先生が整形外科に確認し手術ではなく放射線治療を決めてくれて

治療が出来るとわかるとこんなに落ち着くものなんだと思った。


放射線は10回する。3月に抗がん剤をする。

痛みのコントロールはボルタレン25mgをベースに辛い時には“オキノーム”を使う。

ついに "医療用麻薬" がお守りなってしまった。

骨を強くする薬も飲み、4週間に1回の皮下注射もする。

どんどん、決まっていくことが嬉しかった。



ここまで長かった。とっても長かった。

そしていつも同席してくれたMさん、ありがとう。

1/17から上京してくれたお母さん、ありがとう。

一人暮らしで頑張ってくれているお父さん、ありがとう。

みんなに支えられて私は生きている。

だから泣き虫だけど、頑張らなくちゃ!



にほんブログ村 病気ブログ 乳がん ステージ3・4へ
にほんブログ村

にほんブログ村 病気ブログ 卵巣がんへ
にほんブログ村