ボクはついこの間までかなり理屈っぽい人間だった。





論破で有名なあの人ほどではないかもしれないけどでもあんな感じで理詰めにものを考えないといけないと思い込んでいたんだよなあ。





英語塾を四半世紀営んでいた時も経営とか学習法とかとにかく合理的でロジカルである事にいつもこだわっていたし。





英語の先生という職業柄やはり頭がいい人と思われることに相当こだわっていたんだよね。





だけど世の中ってそうやって理詰めに生きていてもどうしても理屈では割り切れないことがあるわけで。





そういう理屈で割り切れないことにもなんとか理屈を当てはめてみようとしていくうちに実は世の中理屈で割り切れないことだらけなことに気づいていく。





そもそもそういう理屈を一生懸命に考えている自分という人間の存在理由自体が理屈では説明がつかないし。





宇宙とか地球とか、人生とか生命とか死とか、自然とか災害とか時間の流れとか、もう、ボク達を取り巻くありとあらゆるものが理屈を寄せつけないくらい曖昧で不思議なものであることに圧倒されていくよね。





もうそうなってくると(1+1=2)というごくベーシックな理屈さえホンマかいな?って思うようになってくる。





こんなにも不思議で奇怪でわからないことだらけのこの世なのに、つまらない理屈にこだわって、生きているボクってなんなの?ってなってくる。





だからもう「やめちゃおう」って決めたんだ。





理屈を追うために頭を使うことを。





賢いと思われる喋り方をすることを。





社会的な成功なるものを目指すことを。





その代わりに「始めよう」って決めたんだよ。





気分が乗らないことを絶対にしない生活を。





楽しいことはためらわず今すぐ手をつける生活を。





今日を自分の人生の最幸の日と信じることを。





この決断をしてからいったい何年経ったのかなあ?





今ボクは英語の先生じゃなく、旅人だ。





理屈を考える部分の脳みそはほとんど消失してしまった。





計画や目標といった「先」のことはほとんど考えられなくなってしまった。





たとえ楽しいことであっても考えられるのはせいぜい今夜か明日のことくらいでね。





先のことより、今この瞬間にスタートして楽しめる事を身近で探すことにしか興味が湧かなくなっちゃった。





そうやって毎日、毎日、楽しいことを先延ばしせずに即日実行する日々を送り続けるボクがいる。





目覚める時には、1日の始まりを想いワクワクし、寝る時には、楽しかった1日の余韻に浸り、ウキウキしながら眠りに落ちていく。





こうして浦島太郎になれるのなら、玉手箱なんて、絶対に開けないだろうね。





第一、その存在にすら気づかないことだろう。





それくらい旅人のボクは、旅先の一瞬、人生の今という歓喜のひとときにフォーカスし、恋に落ち、時間を忘れて生きていくのだから。