旅の最大の楽しみの一つに食がある。
オイラは呑兵衛でもあるので、飲食と呼ぶほうが正しいかな。
旅先での一仕事を終え、ホテルで一服ついた後、空腹を抱えてふらりと街に出て行く時のあのワクワク感は何物にも変え難い。
自分一人だけじゃない時は、レストランアプリなどで予め情報収集して予約したりもするけど、ぼっちメシの時は、なーんにも調べず、直感と第一印象だけを頼りに街を練り歩くことになる。
パッと見て、「あっ、ここ、良さそう!」と思う店があっても、とりあえずは、すぐに入店することはしないようにしている。
あと20年、外で夕食を食べるとして、365×20=7130回、お店で食べることになるわけだが、その中の僅かに一食だけだろうと考え、「今夜は何でもいいや」とテキトーに決めてしまうことは絶対しない。
かと言って、味にうるさいこだわりを持つ健啖家というわけでは決してないよ。
オイラが大事にしたいのは、やっぱり、「一期一会」の精神なんだな。
旅をしていると当たり前の日常という概念が消えていく。
移動を続ける生活の中では、周囲の人も風景も毎日変わるのが常だから、今日とほぼ同じ内容の「明日」が自動的にやってくることはまずない。
だからこそ、その一過性の出逢いが放つ「煌めく瞬間」、すなわち、「今ココ」に展開する全てを濃密に味わい尽くしたいのだ。
その夜に訪問するお店も、味わう料理も、そのスタッフや調理人の人達とも、ひょっとすると二度と巡り会えないかもしれないのだから。
自分の限りある命と時間のいくばくかを費やして臨むその出逢いだからこそ、単なる7130分の1食とは簡単に片付けるわけにはいかない。
とはいえ、普段からなにもそんな堅苦しい事を考えながら店探しをしているわけじゃないけどね。
ほとんどは、シンプルに、入り口の面構えとか、メニューの中身とか、客層や混み具合、店員さんの愛想や活気などから判断して、最後は直感で決めちゃうことになる。
面白いのは、最初にここ良さそうと思った店に、結局、あちこち歩き回った挙句に入ってしまうことが多いこと。
直感頼りの第一印象が結局は1番の正解になることが多いんだよね、オイラの場合。
味も接客も、大きく外したことはないからね。
ただ、接客と言えば、こじんまりしたお店に初めて入って行く時、オイラ、今でも緊張しちゃう。
常連っぽい人達がカウンターで楽しそうに店主らしき調理人と喋りながら飲んでいる店の小さな間口をくぐりながら、「1人ですが入れます?」と尋ねる時のオイラの顔って、多分こわばっていることだろうな。
なのに、なぜか、いつも、そういうお店ばかり選んで、入ってしまうんだな、これが。
たぶん、そうやって、緊張感をもって始めなくちゃならないような雰囲気がどこか嫌いじゃないんだろなって思う。
その心地よい緊張感の陰には、一期一会の本質が、見え隠れしているのかもしれない。
そして、店主やその奥様らしき店員さんに勧められるままに杯を重ねていくうちに、緊張感も適度に緩み、舌の回りも滑らかになっていく。
さー、これからますます話も盛り上がり楽しくなっていきそうだなという雰囲気になったところを、オイラは潮時にすると決めている。
緊張感が完全に緩み切ってしまう前に、お勘定をして、お店を後にするようにしている。
また会いたい、また行きたい、って思える期待感を持続するためにはコレが1番だって、悟ったんだよね、オイラは。
それが旅人の流儀ってもんだと信じているから。
さーて、今夜の晩飯はどこで飲むとするかな?