今、宮古島に来ている。
夜の間、結構雨が降ったみたいで、ホテルのバルコニーのチェアーがしとどに濡れている。
しかし、オーシャンビューのこの客室から見える天国の絨毯のような海の上には、すでに青空が開けてきている。
そろそろ、朝食を食べに行きたいところだが、妻がシャワーを浴びているので、ブログでも書きながら待つことにした。
それにしても、3年ぶりに離島にやってきたけど、やはり、ボクはこの熱帯の離島ならではの雰囲氣が好きだと再確認した。
離島は、もともと、目を引くような観光施設や名所というものがそんなにある訳ではないし、そもそも、小さな島である。
この宮古島も、車をのんびり走らせれば、どこへ行くにも30分もかからずに着いてしまう。
この小さな島にある、食堂、民家、アパート、スーパーなど、最近建てられたばかりの煌びやかな商業施設を除く、土着のあらゆる建物は、潮風に晒されて、外壁が色褪せ、どこかもの哀しげにさえ見える。
昨夜、島の中心街に出かけるために乗ったタクシーの運転手さんが、機関銃のように話しまくる人で少々辟易したけど、この島がいかに毎年台風の襲来を受けているかが伝わってきた。
この三日間、ボク達が滞在している間は、どこを歩いていても、穏やかな風と熱帯特有の眩しい太陽が頭上にあったので、この島のそんな過酷な姿を想像することもできない。
熱帯の離島が、廃れた横顔を見せるのは避け難い。
ボクにとっての離島の醍醐味は、どこへ出かけても、すぐに海に辿り着いてしまうところだ。
熱帯の海って、なぜ、これほどまでに綺麗な色なんだろう。
限りなくグリーンに近いエメラルドブルーの遠浅の海底にまばらに広がる珊瑚礁の影を熱帯特有の高エネルギーの太陽がくまなく、どこか優しく照らしている。
はるか水平線に目を移すと、淡い空のブルーとくっきりグラデーションを成す濃紺の海との境界線が緩やかな弧を描いている。
それは、まだ真夏には時間がある今の季節にしか見せない熱帯の女神の穏やかな笑顔の輪郭のようだ。
昨日の夕方、バルコニーで、夜風に当たりながら、眼前にぼんやりと暮れゆく海景色を眺めつつ、妻とワインを飲んでいた。
皮膚に当たる潮風は、たっぷりの湿気と熱帯特有の熱を帯びていて、ワインの酔いと相まって、体全体をけだるい微熱の膜で包んでいく。
この膜に包まれると、思考のフォーカスが緩やかに焦点を失っていき、やがて、周囲のあらゆる景色の輪郭がぼやけていく。
かといって、泥酔しているわけではない。
次第に、陽が落ち切って、暗くなっていく海や辺りの景色の中に、自分の自意識も同化して溶け込んでいくような気配に包まれていった。
この感じ、決して、嫌いではない。
それは、忘れかけていた遠い記憶に手が届きそうな、なんとも穏やかな氣分だから。
とてつもなく大きく、かつ、優しい力に、しっかりと抱き抱えられ、守られていることがわかり、全て委ねてしまってもいいんだとわかっていた、あの頃の記憶。
この氣分を味わいたくて、いや、味わえるから、きっとボクは離島が好きなんだろう。
ありがとう、宮古島。
きっと、すぐに戻ってくるよ。