おはようございます
岩倉具視といえば 500円紙幣の人
日本の礎を築いた人と言っても過言でない偉人ですが…
岩倉は赴いた京都でベルツから癌告知を受けた
これが記録に残る日本初の癌告知である(wiki)
(咽頭癌)
明治16年(1883年)7月20日死去。享年59。7月25日に日本初の国葬が執り行われた。
そして その妻(後妻)は 岩倉槇子は大津市出身なんです
膳所藩の勘定組・野口為五郎賀代の次女として膳所に生まれる。兄の賀柔が岩倉具視に仕えていたことから、兄は身辺警護を、自身は身の回りの世話をするようになる。岩倉が志士に追われていた時は膳所の実家に匿うなど、不遇の時代を通じて仕える。明治7年(1874年)、具視の正室が逝去したのち継室となり、二男三女をもうける。長男の岩倉具定の直系の孫が小桜葉子(岩倉具子)で、その息子で俳優の加山雄三は玄孫にあたる。
(wiki)
日本の動乱が ここ膳所にもあったということも感慨深い