思い込みに気づこう
怒られることや責められるのが怖いと感じている人はね、実は死ぬか生きるかのレベルで怯えてるの。
だから、何が何でも怒られるわけにはいかない。自分のやりたいことを我慢していることにもあんまり気づいていない人が多くて、そんなことよりもいい子でいることを最優先にしなくちゃいけない。
これほどまでに怒られることを避けて生きる理由は、幼少期にある。
幼少期に「怒らせると殺されるかもしれない」とか「不機嫌にさせると見捨てられるかもしれない」などという思い込みを握っているの。
思い込みのメガネを幼少期にかけちゃってるのね。その恐怖のメガネで世の中を見るようになってしまったのだね。
なぜ、思い込みを握るのか?
子どものころ私たちを怒鳴りつけた人や、不機嫌を武器にコントロールしてきた人は、体の大きな力のある存在だったよね。
父親とか母親とか、祖父母、先生など・・・
わたしたちの何倍も大きいだけじゃなく、私たちが生きていくために頼らざるを得ない存在。そんな力の差がありすぎる存在が、大きな声で怒鳴りつけたわけだよ。
その恐怖は16倍の感度で感じ取られると言われているの。そりゃあ、「殺される」と感じて当然。
それはそれは、恐怖だったはず。見捨てられるかもという絶望も感じたかも。
でもね、ここからが大事。
私たちは、実際には殺されなかった。確かに生きている。見捨てられることもなかった。しかも、もう大人になっているのだ。
誰かに怒鳴られるくらいでは死なないし、誰に見捨てられても死なない。やったー!
「怒らせると殺される」は間違った思い込み。「不機嫌にさせると見捨てられる」も間違った思い込み。
わたしたちは生きる力も持っているし、逃げる力も持っている。
このブログからお借りした言葉です。
先日理不尽に怒られ、怒ってきた人から謝罪され、スッキリしたはずが、許せない感情はなくなったのに、何だか気分が悪い!
なんでかなぁと思ってたら、このブログがすごく腑に落ちた。
大人に怒鳴られ、鞭され、理不尽にコントロールされてきた経験が、未だに私を人に怒られることはあってはならないこととして脳にインプットされて、その思考が私を支配してきたんだと。
そりゃ人が怖い、人の評価が怖い。
怒られる=見捨てられる、殺される。
まさにエホバの教育ってそれですよ。
神に滅ぼされるよ!
お母さんにも会えなくなるよ!
そうやって、鞭して宗教活動をやらせてきたんだから。
上司に理不尽なキレ方されたのは、不遇だったけど、根底にこんな恐怖心があったって見つけれて良かったです。
エホバのせいで人にビクついてる。とは思ってたけど、心の中で見捨てられる、殺されるほどに恐怖があったとは思ってなかった。
もうだれも見捨てないし、もう大人だからどこでも生きれるよ。
大丈夫よー。
あいつらが怒ってきても、生きていけるから大丈夫。
こんな当たり前のようなことを、丁寧に紐解いて教えていかないと、私という人間は、エホバの影響を受け続けているんです。
幼い子に死や見捨てられる恐怖を植え付ける宗教は最低です。