子供時代に涙をこらえたり、怒ることを許されないと、大人になって同じような事を何度も起こし、涙を流さないと、心の中に溜まったまま、不調の原因となるようです。



未完了の気持ちを消化させるために、同じような泣きたくなるような事を起こしてしまうと聞きました。




大人になっても生きづらく、人間関係で疲れることは多いのですが、何で泣けてなかったのか、何に怒れてなかったのか、忘れてしまっていることが多いので、目の前の人間関係が上手くいかず苦しむ原因を探しているうちに、あの頃そういえばとても悲しいのに、表現できてなかったと気付かされたりします。




私は職場でのパワハラをきっかけに自分自身を見つめ直すことになったんですが、やはり、その時の嫌な人全員、私が抱え込んでいるややこしい所を持ち合わせてちました。




今日気づけたのは、人が怖いことが消えない理由。





読んだ本の話の中で


小さい頃誘拐されそうになったことがきっかけで、外に出れなくなってしまった大人の女性がいました。


その方はもう大人だし、外が危なくないと説得されても、外に出れなかった。


でも、その人が自分を内省して、どうして外に出れないのか考えていたら、幼い頃の誘拐を思い出した。

そして、怖がってるのは大人の自分ではなくて、そのころの子供の自分が、恐怖の感情を出して、外は怖いよと教えていたようです。

本人が子供の頃の自分にしっかり話しかけて、今は体も大きいし、もう大丈夫だよって話をしてあげることで、恐怖が緩和されたそう。

安心が恐怖の反対の心なので、安心が増えると恐怖が緩和されて、少しずつ外に出れるようになったという話。





私は9歳の時に母が自殺未遂をしました。

家族のみている前で、包丁を持ち出して腹を切ろうとした。大声で叫んだので近所中にも聞こえていた。


その時にひどくショックを受けて、学校でももともと話題のないエホバの子だったので、さらにイジメの対象となりました。

初めてイジメにあい、人が怖いというきもちが強化されてしまいました。

もともと安心材料であるはずの親でさえ、滅びとか死とか恐怖を植え付け、ムチされ、集会につれこまれ、明るい楽しいことが一切思い出せない1年でした。




私はあの頃の私のまま、人との関わり方に警戒を持ち続け、恐怖のアラームを鳴らし続けているのだと思いました。



どんなに怖くないよって安心させようとしても、すぐ不安になるのに、9歳の私をイメージして、お話をしてみたら、少しは安心してくれました。



前にカウンセリングでも、その時の自分に声を掛けるワークをやってもらいましたが、私にはあの年が大きな恐怖の1年だったようです。



そして、その頃の私と、エホバの宗教生活。


その影響が未だに私に、恐怖のアラームを鳴らし続けて、ひとと会ったり、仕事に行くととっても疲れるように、人は怖いよ。逃げなって教えてくれているみたい。




もう、大丈夫よ。

ありがとう。




多分とっても怖い思いしたから、まだまだ出てくるだろうけど、何度も何度もあの時の私に話しかけないと、寄り添わないといけないと思いました。



私の子も9歳。

よく泣きます。

なるべく涙を流しきるように教えていますし、そばに居るようにしています。



子に寄り添う親。


私は社会のママ・パパほとんどが、寄り添ったり応援したりしていると思います。


3分で負けが決まった試合のために、何時間も運転して会場に向かった話。


子供の受験のために、夜も弁当作って持たせて、塾の送迎をしている話。


子供の悩みで涙を流す人。



私の周りの人はそんな人ばかりです。



理由があって、子育てに苦慮している人は、地域の方が寄り添ってあげたという話も聞きます。



もちろんそんないい話ばかりでないとも思います。

世間には怖いニュースも流れています。




でも、エホバの証人の親子の絶縁率の高さ、貧困ゆえ病院に行けなくて早死していたり、厳密なルールをお互い見張りあったり、訳わからない理由で無視されたり、、人が傷つく話がとても多いように思います。




宗教は心の支えになるもの。

宗教に生活を支配されたり、家庭を壊されたり、トラウマを抱えた子供を増やし続けたり、そんなのは宗教ではない。


そもそもこの宗教だけが正しいというのは間違っている。


どの宗教も、考え方の一つ。


自分にとってしっくりくる考え方を、人生の支えにして生きたらいいと思います。





子供にしっかり寄り添ってあげれる親になりたい、そのために健康な心つくりをしたいです。