杉田隆史さんの、正しく悩む技術より。
生きづらい期間を過ごしていても心の病と診断されたわけではない人。
そういう人は世間の関心も集まらず、悩んでいる本人まで自分自身の大変さに目を向けていない。
本人はつらいのを我慢して生きているのに、世間からはそれほど悩んでいないと思われてしまい、本人もそれほどなやんでいないと思っている。
会社に行けないとか、引きこもりとかになれば専門家のところに相談したりする。
つまり人の助けを借りるチャンスがある。
ところが、診断まで至っていない人は、生活がなんとか成り立っているので、周りの人も、当人の辛さに気づかない、本人も相談に行こうという発想がない。人の助けを借りるきっかけを失って孤立してしまう。
そうなると自分ひとりで悩みを抱え込むことになって、生活できないほどではないが、調子の悪い状態が、長く続く。
悩みが軽いゆえに、かえって悩みが長引く。
なんか、分かる。
つらいのに、毎日疲れるのに、悩んでいる本人まで自分自身の大変さに気づいていない。
宗教2世がつらかった。
でも、今このご時世までは、話すことさえできなかった。
何事もなかったように生きていた。
生活もなんとかできていた。
でも、なんとかやってただけで、とても痛い、痛みを伴う生活をしていた。
これって、本当は大変な状況だったんですよね。
宗教のもとにいた頃は、親という絶対的存在にまもってもらうため、仕方なかった。
でも、親元を離れて、宗教の影響を大きく受けた人間が世間で人並みに生きる。
これはとても大変だし、自分も苦しいし、周りも苦しい。
なんとか生活をこなしてきた人は、誰の支援も受けることもなく、自分自身の苦しみと戦い続け、孤独に悩みつづける。
やはり、宗教後の悩み、宗教による影響、これを支援する場所は必要ですね。
思いっきり涙をながし、心のなかにある、やりたいけどできなかったこと、叶わなかったこと、かなしかったこと、むなしかったこと、全部吐き出して、しっかり感じて昇華して、、、前に進むために、しっかりとサポートを受けることは大切ですね。
心のなかに沸き起こる感情が、認めてもらえなかった時、大きな悩みとして現れる。存在を認めてもらいたくて暴れるようで、、、。
幼い頃感じないようにしていた感情一つ一つ、大切に感じきることが大事みたいですね。
私が宗教やめたころは、今ほどインターネットも使いこなせておらず、つながりや支援と無縁でした。
今同じように宗教問題で悩んでいる2世の方がおられたら、脱会後、しっかりカウンセリング受けて、自分をたっぷり愛せる自分になってほしいです。
悩みを長期間持ち続けないように。
こじらせすぎないように。
そう願います!
新年早々悩みの本を読むあたり、まだまだ悩ましい自分です。
読めば読むほど私の闇に気づける。
根深い宗教問題。
そして私自身の育った家庭の問題がありました。
以下は水野敬也さんのツイートより。
ありのままの自分を受け入れるのが大事というわけではなく、受け入れるまでの過程こそが人生における最高の物語であり味わうべきものだと感じます
ありのままの自分を受け入れれたらいいなと思ってましたが、この文に共感しました。
受け入れるまでの過程こそが、人生における最高の物語。味わうべきもの。
2世問題ではもがき、苦しんだが、徐々に人生を受け入れれるようになりつつある。
そんな今こそが最高の物語で、味わうべきものを味わえている。
そうかー。
たしかに苦しんだけど。苦しいからこそ2世でコミュニティができ、励まし合えたり、他人の苦しみを想像して寄り添えたり、、。
悩む時間もとっても大切なんだな。
悩むのは悪いことではなく、悩みを改善するために行動し、自分を受け入れれるようになるまでの過程が、最高の物語なのですかね。
たしかに物語でも困難を乗り越える過程だったり、気難しい人が、誰かの影響により、徐々に心を開き始めるところが、共感できたりしますね。
今悩んで読書に走る私は、自分を受け入れれるようになるまでの過程を生きている。
最高の物語の途中かもしれません。
今年から日々日記をつけることにしました。
1年でどこまで自身が成長したか、年末に振り返ってみたいです。
目標なんてもたず、日々を生きる1年で、どんな変化が起きたか、何に強く影響を受けたか、観察してみたいです。
今が最高の物語の途中であることを、1年で自分自身に証明してみたい。
自分で振り返った時に、あー最高じゃないかと思えたらいいですね!
毎年これをやれたら、10年後には少しは自分の人生を満足できそうです。
よいことも悪いことも起きる。
日々を淡々と、自分の感情をしっかり認め、書き記す。
1年後には何を書いてるか楽しみです。
今日はなんだか書きたいこといっぱいでした。
ことしもみなさんにとって、いい年になりますように。