神の子はつぶやくというドラマを見て、自分が拒絶せず見れたことに驚いた。
もっと心が拒否反応するかと思った。
でも、私は愛着障害の漫画を読んで、これだと思ったし、過去言葉にできなかった感情を書く、描く、話すなどで、表現しないと、ココロの中にずっと不安感が残り続けることも知った。
幼い頃、まだ上手く話せたりしなかった時、いろんな気持ちになっただろう。
そして少しは言葉がわかるようになった頃から、おとなになるまで、言いたいことを言うことも禁止された。そんな環境で、ココロの中にたくさんの気持ちを押し込んで詰め込んでいた。
これらを解放してあげないと、私の中は変らないと考えた。
愛着障害を調べるとドンピシャで自分に当てはまる。
いろんな不安を抱えているから、ココロの中に他人への信頼感もなく、いつも不安定で落ち着かず、消耗して、ヘトヘトになってると理解した。
変われるし、変わり方も書いてある。
ちゃんと向き合っていったら、変われる。
少し良くなったと思えば、また次々いろんな物が見えてくる。
闇は深い。
それは幼少期から大人まで大事な時間を、宗教しか見ていない母に育てられたのだから、そうだ。
母は宗教なくても、完璧ではない。
だから、どんなひとでも何らかの傷はあると思う。
でも、大人になれば、傷があるのは当たり前だから、それを込みで、人にやさしくできるんだろう。
しかし、そこに宗教が紛れ込むと、問題がさらに複雑になる。
気が狂う。その一言に尽きる。
宗教に対する苦情を伝えた時の母は、こういう反応を示す。
他の会話なら成立するのに、宗教の話になると、極端に感情的になって、怒り始める。
大好きな母親をバカにされた時の子供みたいに、家の母ちゃんは悪くない!と言いながら激怒するような感じになる。
母に言わせると、私が信仰を捨てたのは、母親がきちんと真理を伝えることができなかったから。
母親が悪いらしい。
これまでの人生を振り返ると私は劇的に良くはなっている。
でも、まだまだ不安定で不安に襲われやすく、心のバランスが悪い。
まだまだ見えてきた愛着障害問題!
今までの私なら、ずどん。と落ち込んでいた。
新たな問題を発見した時。
でも今の自分は、問題を見つけても、方法はあると思える。
そこは、成長なんだけど。
いやいや、そりゃ闇は深いよ。
しっかり向き合っていかねば。
人生良くしていかねば。
愛する自分よ。
ともに生きていこう。
愛着障害が落ち着いて、安定してくると、人生は良い方に回り始めるそうです。
心の安定が、仕事やプライベートでもいい方向に導いてくれるそう。
うんうん。
いいことだ。
あの人もあの人もきっと愛着安定してるもんね。
いい感じに見えるよ。
そして、私がいつも仕事辞めて引きこもりたいのは、回避型と不安型あわせ持った愛着障害だからだと、わかった。
さらに、職場で最高にムカツク奴らも、愛着障害だと気づいた!
そっかー、そりゃ小さな事で激怒するわけだ。
理解してあげたら、可哀想にも思えた。
奴らも寂しい人間なんだな。
さらに本を読んで、私という人間をもっと理解していきたいと思いました。
自分が分からないからイライラモヤモヤするんだけど、分かってしまうと不安が小さくなります。
誰にもわかってもらえない!というのは、私さえ私のことをわかっていない!という感じだったと思いました。
自分が自分を理解できないから、私がどんな状況か誰かに理解してコメントしてほしかったんだと思います。
私が理解できたら、モヤモヤしてたものがすーっと穏やかになる。
誰にも話さなくても、そっか!って分かったら落ち着いてくれる。
誰かにわかってほしかったんじゃなかったんだ。
誰かを常に探さなくて良かったんだ。
今日からは愛着障害について学んで、自分の心を安定させていこうと思います。
まだまだ課題が見つかります。
一生やっているかもしれません。
でも、だんだん楽しくなってきたので、いい方向に向かっていると思います。
ワクワクしながら、学び続けたいです。