昭和天皇のお怒りー日本を対米戦争に引きずりこんだ国賊たち・松岡洋右、近衛文麿ほか(その2) | 日本人の進路

日本人の進路

左翼全体主義(共産主義)国家化が進む日本。マスコミはどこを向いても左翼ばかり。これでは日本国民が洗脳されてしまうのはくやしいけどどうしようもない。ただあきらめてしまったら日本の明日はない。日本の中、露、朝への属国化が現実のものとなってくる。

昭和天皇のお怒りー日本を対米戦争に引きずりこんだ国賊たち・松岡洋右、コミュニスト近衛文麿ほか(その2)







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昭和天皇のお怒りー日本を対米戦争に引きずりこんだ国賊たち・松岡洋右、近衛文麿ほか(その2)

 











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テーマ:反米民族派
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“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(10)ー祖国憎悪なくして、松岡洋右に心酔できるか2/2 2015-02-10









“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(10)ー祖国憎悪なくして、松岡洋右に心酔できるか2/2












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中川八洋掲示板より
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/05/12/182458

2014.5.12


祖国憎悪なくして、“祖国破壊の無頼”松岡洋右に心酔できるか──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史Ⅹ







 (続き) 








第三節 昭和天皇に唾した、松岡の三国同盟と日ソ中立締結



 昭和天皇が、日独伊三国同盟に絶対反対であられたことは、かなり多くの史料に記録されている。だから、ここでは省略する。だが、松岡洋右が、昭和天皇のこのご聖旨を熟知しながら、いったん消えていた三国同盟を灰の中から突然掘り起こして燃え上がらせ一気に締結した行動を、昭和天皇との関係で再研究することは疎かにできない。

 松岡洋右は、表向き皇居遥拝など大仰しく「右翼」を演じたが、それは自分の反・天皇イデオロギーを隠蔽するためだったのではないか。松岡は、天皇制度の廃止をも、思考の範囲に潜めていたと考えられる。










1、対米憎悪が生んだ、松岡の“転倒妄想” 対英戦争のドイツ勝利

 松岡洋右とは、国際情勢も国益もまったく見えない、国際政治や国防がさっぱりの“全盲のバカ”だったろう。つまり外交官は、松岡には最も不適な職業であった。

 野性派アクション俳優ならトップスターになっただろう、そんなハッタリ演技力と奇抜な発言にのみ長けた、ヤクザや壮士タイプの人格破綻者が、抜きんでた暗記力だけで外交官になったことは、日本の不幸だった、と慨嘆するほかない。

 武家ではなく町人出身で出世欲が異常に強いのに、東部の有名大学ではない、農学以外では大学らしい所が皆無の短大レベルのオレゴン大学では、アメリカ下層階級上がりの下品な子弟が級友だった。しかも、そんな彼らに「ジャップ」「ジャップ」と馬鹿にされ、僻みで歪んだ人間が、一流の国家的人材に育つことなど万が一にもなかろう。

 海外留学で大切なことはその国の一流大学に留学すること、成績優秀で教授や級友から尊敬され決していじめなどに会わないこと、の最低二条件を満たして初めて、世界をありのまま観察できる正常な国際感覚が身につく。松岡のような悲惨で低級な留学体験は、必ず、歪んだ人格と“国際音痴”を形成する。現代で言えば暴走族のリーダーのような、松岡の自暴自棄的ゴロツキ性は、生来の性格も多少あるだろうが、オレゴン州の小学校/中等学校/大学での原体験が主として形成している。

 ともあれ、三国同盟をドイツ以上に熱心に推進した松岡洋右の真意は、一九四〇年九月十四日午前八時に開会した「連絡会議」の議事録史料が最も正確。松岡は二枚舌/三枚舌だから、松岡発言を書き留めた、側近や知人による記録は、ほとんど意味がない。
 




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「ドイツの提案を蹴った場合、ドイツはイギリスを降し、最悪の場合ヨーロッパ連邦を作りアメリカと妥協して英蘭等(のアジアの現植民地をそのまま)ヨーロッパの植民地として日本に一指も染めさせぬ最悪…。

「東亜新秩序等の望みは止め少なくとも半世紀の間は英米に頭を下げるならいゝ…。すなわちアメリカとの提携は考へられぬ 残された道は独伊との提携以外に無し」(注1、カッコ内中川)。
 

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 松岡は、ここで、大きな嘘をついている。第一点。七月時点ならば松岡のようなドイツ側勝利の展望はミス・ジャッジだったともいえるが、ドイツが英国本土に上陸できる可能性がなくなった八月中旬以降で、ドイツが英国を降してドイツを首領にいただく「ナチ・ヨーロッパ連邦」など荒唐無稽な妄想。意図的な嘘。

 第二点。米国は万が一にもナチ・ドイツと妥協することはない。こんなありもしないことをありうるとの仮定を吹聴するのは、意図的な騙し。

 加えて、三国同盟を締結しなければ、東アジアの英国/オランダの植民地はドイツに盗られ、日本は一指も獲れないとは、真赤な嘘も白髪三千丈。なぜなら、ドイツはほぼヨーロッパ全域に軍事力を投入しており、アジアに割ける兵力は、陸海空ともゼロ。一兵もなかった。

 また松岡は、条約締結に当たって、モスクワと近衛文麿の合作である、“東アジア全域を共産諸国にする”という意味の「東亜新秩序」が目標だとしているから、内心では東アジアの共産化に協力したいと決意していたことになる。

 それ以上に問題なのは、日本の国益は、“英米による平和 パックス・アングロ・サクソニカ”において最大限に擁護され増進するのに、それを「英米に頭を下げる」ことだと逆さにした讒謗を投げかけ中傷する。松岡洋右は、生存と繁栄を持続させなければならない祖国日本の基盤を破壊したい一心で、外交をしていた。
 









対ソ連携に変貌した三国同盟は、社会主義国家の対英米戦争の狼煙


 日独伊三国同盟条約交渉は、第一次と第二次があって、両者は相違する。しかし、しばしば両者の同一視や混同が放置されてきた。ために、<海軍は一貫して反対であったが、一九四〇年九月、三国同盟に狂奔していた陸軍に屈し沈黙した>との、神話が今でも罷り通っている。

 平沼騏一郎・首相が「欧州は複雑怪奇」と辞任して(一九三九年八月)、立ち消えた旧・三国同盟条約案は、ソ連を形の上では一応「仮想敵国」としている。だが、松岡洋右がたった二ヶ月でまとめた新・三国同盟条約では、ソ連は“敵国”ではなく“予備同盟国”に扱われており、大きく変貌していた。

 帝国海軍は、第一次大戦以降、「親ソ」もしくは「ソ連とは戦争せず」が基調で、むしろ「英国を主敵、米国を第二主敵」としてきた。表2で明らかのように、三国同盟が、ソ連を「敵国」から「予備同盟国」へと大転換した以上、米内光政を初めとして帝国海軍が三国同盟に反対する理由は自然消滅し、ために賛成に転じたのである(注2)。


 



表2;仮想敵国の転換で賛成に転じた“親ソ反英”海軍──「内心は反対」は嘘 

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        ナチ
        独
              ソ連
                   英国
                          米国
                                備考



平沼の三
国同盟案
        信頼
              半ば敵国
                     反英
                           反米
                                1939年8
                                 月消滅
  




大島浩
        親ナチ
              半・反ソ
                      反英
                           反米
                                駐独武官、
                                 ナチ狂い
 




米内光政
(首相)
         無関心
               親ソ
                    反英
                           反米
                                 ソ連NKGB
                                   工作員



松岡の三国
同盟案
         親ナチ
              親ソ
                     反英
                           反米
                                1940年9月
                                 締結 




吉田善吾
(海軍大臣)
         無関心
               中立
                     中立
                            中立
                                対英米戦争
                                ノイローゼと
                                 なり辞任
 




及川古志郎
(海軍大臣)
        無関心
              半・反ソ
               から親ソ
               に転向
                      中立から
                      反英
                           中立から
                            反米
                                 海軍では
                                 珍しい
                                 対ソ防衛
                                 論者だった 




豊田貞次郎
(海軍次官)
          無関心
                親ソ
                    反英
                          反米
                               コミュニ
                                スト?



高木惣吉
        親ナチ
               親ソ
                    反英
                           反米
                                 コミュニ
                                 スト、ソ連
                                 GRU工作員
 



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 松岡洋右は外務大臣になると、幹部に辞表提出を強要し、その人事の大混乱に便乗して、一気に対独交渉を開始した。そして、旧三国同盟条約案が英仏ソの三ヶ国を仮想敵としていたのを、松岡は、米国を加えソ連をはずし、米英仏の三ヶ国を仮想敵とした。

 これよりも、最も注目すべきは、松岡は三国同盟条約について、二日間(九月九/十日)にわたるスターマー(シュターマー)特使との密議で、ドイツが「日ソ親善」(日ソ不可侵条約のこと)につき「正直なる仲買人」となることを誓約する項目(第十項)がある。つまり、松岡はドイツに、日独伊三国同盟を日独伊ソ四国同盟に拡大するか、独ソ不可侵条約を独ソ日三国不可侵条約に拡大するかにつき、了解を取り付けた。

 これではまるで、ユーラシア大陸を四ヶ国で分割する、馬鹿げたハウスホーファーの(非学問のドイツ系)地政学ではないか。松岡の妄想は病的だった。しかも、松岡・スターマー密議の第三項では、日本が(ヒトラーのポーランド侵攻で始まった)第二次ヨーロッパ大戦に米国の参戦を防止すべく日本が牽制するとある(注3)。これも、逆さま。日独伊三国同盟を締結すれば、ナチ・ドイツを許さないとする米国は、今度は日本も許さないとなる。当り前。だが、松岡の頭の中では、“非現実な架空”「日本の国力も軍事力も米国の数倍ある」に基づき、国際政治の流れを逆さに予測した。
 










米国の対日強硬を招き、三国同盟は「対米牽制の特効薬」どころか即破綻した


 現実にも、三国同盟の締結は、米国を牽制するどころか、米国の対日強硬を一気に倍化させた。米国は、三国同盟が対英米宣戦布告であると正しく理解したのである。

 米国のルーズベルト大統領は、一九四〇年十月十六日以降、対日輸出の屑鉄は全等級にわたり禁止するとし、海軍長官は三国同盟の挑戦に応じると演説した。英国は、日本の要請で中断していたビルマ・ルートを再開すると通告した。さらに米国は十一月三十日には、蒋介石への借款援助二千五百万㌦の約束を倍の五千万㌦に増額すると発表した。

 松岡洋右は、このような米英の対日強硬を予測して三国同盟を締結したのか、それとも、想定が一八〇度間違っていたのか。松岡は、これについては語っていない。松岡は妄想のスパイラルにおいて、大道芸人らしく、世論の喝采を受けることだけを念頭に、三国同盟を締結したとも言える。
 


 日本は、三国同盟の破棄を早期に決定すべきであった。その好機は、一九四一年十一月二十六日付けのハル・ノートで到来した。受諾ならば、形もいいし、アメリカに恩を売ることにもなる。だが日本は、その数日後の十二月一日の御前会議で、ハル・ノートを蹴り、対英米戦争の開戦日を十二月八日と決定した。

 晩年の松岡といえば、対米戦争への道を拓いた張本人でありながら、祖国への反逆と大罪を償うことなく、東京裁判も一回出廷だけで、あとは東大病院で手厚い看護を受けながら、キリストに召される至福の中で息を引き取った。祖国日本など忘却の彼方が、“地球放浪者”松岡洋右の最期だった。








2、松岡の大妄想「日ソ中立条約は、米国の対日姿勢を軟化させる」は正常か?



 松岡洋右は、対米牽制で三国同盟が逆効果になったのに、これを気にすることはなかった。無頼漢でデマゴーグでしかない松岡には、「反省」という良心とか、約束を守る倫理道徳とかは、まったく無縁だった。

 一九四〇年九月上旬にスターマーと密議したときのまま、時間が止まっていた。だから、持論に従って、続いてソ連に対する不可侵条約の締結を急いだ。そして今度もまた、日ソ不可侵条約or日ソ中立条約が“対米交渉のブラフ”になると、アメリカを侮り軽く考えていた。米国の東部エスタブリッシュメント(上流エリート階級)と付き合ったことのない、移民労働者上がりの松岡には米国は真っ暗く何も見えなかった。

 その上、自分自身が“強度の共産主義シンパ”である自覚すらフワフワであるように、松岡は“共産主義音痴”。共産主義の恐ろしさも独裁者スターリンが数千万人の国民を殺しまくる人類史に例のない殺人鬼であることも知らなかった。近衛文麿や白鳥敏夫がスターリン直属の工作員である狂信的なコミュニストであることも感知できず、近衛に仕え、白鳥を最側近にした。
 



 それにもまして、松岡とは、条約とは締結するのは容易いが破棄するのは極めて難しいことがわからぬ、外交イロハを弁えない“外交官以前の無頼漢”。だから、日ソ中立条約など状況次第ではすぐにも破棄すればよいと安易に考えた。同条約がもたらす、満州をソ連の侵略から防衛する日本人の国防意識を溶解する働きについては考慮しなかった。また、日本とソ連の事実上の共同主権であった北樺太の利権を放棄すれば、駐留権を失い、北樺太が完全なロシア領となり、南樺太防衛が困難になるのを考えなかった。

 そもそもスターリンとは、近衛文麿を使って日本国と蒋介石の中華民国との全面戦争を画策し実行させた天才である。この罠に嵌った日本をもう一つの罠、米国と戦わせることを画策していることぐらい、なぜ松岡は推量できなかったのか。

 それ以前に松岡は、ロシアが自分を歓迎した、そのことにおいて、日本がロシアの蜘蛛の巣につかまり吸血されて死を待つ昆虫になったと、どうして感知できなかったのか。ロシア人は、相手国に妥協する時は、決してコップの水すら出すことはない。
  


 ところが、帰国する松岡洋右に対して、スターリンは、駅頭に見送りに来て抱擁したり、列車の中の台所など視察し接遇に遺漏なきよう乗務員に指示を出したりしている。これだけで、ロシアの外交に精通する本物の外交官なら、「日ソ中立条約は、日本をして対米戦争へと駆り立てる麻薬だ!」「満洲はスターリンに奪われるぞ!」「俺はスターリンに嵌められた!」と、ゾッと戦慄し怒り、そして臍を噛む。

 ところが松岡は、スターリンが急遽締結した日ソ中立条約の魔毒もスターリンの遠謀深慮も見抜けず、いそいそと帰国した。後藤新平/松岡洋右に始る、ポスト日露戦争の親ロ政治家の大罪を、これからも手を緩めることなく徹底糾弾しなければならない。この種の断罪筆誅こそ、日本がロシアに再び騙されないための、わが日本が堅持すべき対露外交の根本精神を培う基盤である。

 ともあれ、一九三七年六月に近衛文麿が首相になって以来、日本国は共産主義者と松岡のような共産主義シンパばかりが国政を蹂躙した。それなのに戦後日本は、近衛文麿と松岡洋右の相違も同一性も研究しようとはしない。日本人は、一九三〇年代、社会主義・共産主義思想に汚染されて以来、祖国日本を愛し、祖国に義務を果すことを忘れた。
 






表3;デマゴーグ松岡洋右とコミュニスト近衛文麿/尾崎秀実との相違と酷似

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               近衛文麿/
               白鳥敏夫/
               尾崎秀実

                             松岡洋右



イデオロギー
                マルクス・
                レーニン主義

                             カルト「反米」教
                             の狂信者。佐藤
                             鉄太郎らと同じ。
                             アナーキスト。
 




外国工作員か否か
               近衛と白鳥はソ連
               NKGB工作員。
               尾崎はソ連
               GRU工作員。

                            白鳥敏夫的なソ連
                            工作員でない。
                            大島浩的な“ドイツ
                            の犬”でない。




日本国への感情
              共産国でない理由に
             おいて、日本を憎悪。
              愛国心の逆。

                            日本国民としての
                            意識の喪失から、
                            日本国破壊の
                            強い情動。
 




天皇制度
             昭和天皇の殺害を含む、
             天皇制度の廃止。

                            過剰な皇居遥拝や、
                           大仰しい昭和天皇へ
                           の恋闕言動は、みな
                           演技。




ソ連
            「ソ連はわが祖国」、
             日本は敵国。

                          「ソ連はわが祖国」
                           などの意識はないが、
                            過激な“親ソ”。 




ナチ・ドイツ
              日本人をソ連の
             属国化の入口に誘導
             する、好都合な中間
              過程の国。

                            ナチ・ドイツを、
                           全幅の信頼を措ける、
                           日本の真なる盟邦
                           と考えた。




対英米戦争後の
 日本構想
              ソ連の属国となる、
              共産体制の日本
              に改造(革命)。

                           日本国の全面破壊・
                           廃墟。廃墟から
                          “真日本”が再生
                           すると妄想。
 





備考
              ソ連工作員でコミュ
              ニスト近衛文麿の
              正統後継者は、
              阿南惟幾

                           “野蛮な破壊主義者”
                          松岡洋右的な人格破綻
                          の典型が、西尾幹二
 


―――――――――――――――――――――――――――――――――――










3、亡国の(一九三三年以降の)「松岡外交」と、良識の(一九二〇年代の)「幣原外交」



 戦間期とは、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間をさす学術用語。それはまた、一九一四年までの世界秩序システム「パックス・ブリタニカ」と、一九四五年以降の世界秩序システム「パックス・アメリカーナ」の間の、世界秩序システムが半ば空白だった期間でもある。世界史の後智慧で言えば、戦間期の世界に平和と安定をもたらすとしたら、“英米による世界秩序”すなわち「パックス・アングロ・サクソニカ」を構築するほかなかった。

 そして、戦間期日本の役割もまた、単なる“英米協調”ではなく、それ以上に英米の対外政策を助けることに全力をあげるべきであったろう。とりわけ、国際聯盟を通じての英国との準同盟関係と、ワシントン/ロンドン海軍軍縮条約を通じての米国との準同盟関係こそ、日本が世界の安定と秩序に貢献するばかりか、日本の海外権益の擁護と増進を含めて自国の経済繁栄に確実に裨益するものだった。
 


 それは、具体的には、幣原喜重郎や野村吉三郎のような真正の親英米派のみが日本外交を専断すべきであったことを意味する。同時に、コミュニストやコミュニスト・シンパを外交・軍事の分野から一掃すべきであったことを意味する。だが、戦後の日本は、亡国に至らしめた戦間期日本の迷走・逆走外交を、十全には反省していない。

 それでも一九六八年頃までの日本では、このような「保守」の見解が多数であった。しかし、一九八〇年代に入ってより徐々に、異様な民族系の論客たちが言論界に跋扈して、日本の学界を支配する共産党学者らの赤い学説に白いペンキをかけた“極左史観の変種”を蔓延させるようになった。「民族系」を擬装する純血の北朝鮮人で今も「ロシア」を祖国とするマルキスト中西輝政は、『諸君』誌で幣原喜重郎を中傷したり(注4)、日本をロシアの属国にするプロパガンダに余念がない。
 


 戦間期外交のまともさがまだ残る「前期」は、英米協調の「幣原外交」が、一九三一年十二月十三日に幣原が外務大臣を辞め政界を去った時に、終焉した。戦間期外交の「後期」は、田中義一の「英米離脱(自主)外交」の迷走外交で始まり、次に松岡の「親ナチ・親ソ外交」で日本破滅・亡国へと逆走外交を爆進した。なお、田中は首相と外務大臣を兼務し、その期間は一九二七年四月二十日から一九二九年七月二日。

 米国が占領軍として日本に進駐して、幣原が総理大臣として政界に復帰した一九四五年十月九日(翌年五月二十二日まで)、日本中がほっと安堵したのは、庶民感覚でも“幣原の親英米外交”が日本の国益を擁護する、日本外交の王道だと理解できたからである。「悪の松岡外交、善の幣原外交」は、戦間期外交史の真実として、日本人は永遠に忘れてはならない。
 







第一節

1、『日本経済新聞』二〇〇六年七月二十日付け。この内容は、『昭和天皇最後の側近 卜部亮吾侍従日記 』でも裏書きされている。そこでは「直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」となっている。

2、斉藤良衛『欺かれた歴史 - 松岡洋右と三国同盟の裏面 』、中公文庫、一一頁。

3、デービッド・ルー『松岡洋右とその時代 』、TBSブリタニカ、三六七頁。

4、重光葵『昭和の動乱 』下巻、中公文庫、九五~六頁。

5、上掲『松岡洋右とその時代』、三六九頁。そこに、松岡は「陛下とともに死ぬつもりである」と語ったとある。これは、昭和天皇を守るのではなく、昭和天皇を自分の死路への道連れにしたいとの意味ではないか。
 




第二節

1、西尾幹二『GHQ焚書図書開封 』第九巻、徳間書店、一一八~一二〇頁、一二三頁、一二九頁。

2、内山正熊「満州事変と国際連盟脱退」『満州事変 』,有斐閣、一五八~九頁。

3、原田熊雄『西園寺公と政局 』第三巻、岩波書店、三頁。

4、上掲『GHQ焚書』第九巻、二八四~五頁、二八九頁、二九七頁。

5、『太平洋戦争への道〈別巻〉資料編―開戦外交史 』,朝日新聞社、四六七頁、五一〇頁。


 


第三節

1、『太平洋戦争への道〈別巻〉資料編―開戦外交史』、朝日新聞社、三三三頁

2、相澤淳『海軍の選択―再考 真珠湾への道 』、中公叢書、第六章。

3、松岡・スターマー密談で合意した十四項目のうち九項が、近衛文麿『平和への努力―近衛文麿手記 』(日本電報通信社)の一八~九頁にある。

4、中西輝政「中華文明の本能を見誤った幣原喜重郎こそA級戦犯」『諸君! 』二〇〇六年二月号。




中川八洋
 









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