日本の悲劇はソ連(コミンテルン)による日本共産化革命によって引き起こされたものである(その4)ー大東亜戦争(日中戦争、太平洋戦争、日ソ戦争)は共産主義者の謀略により引き起こされた
ー日本の悲劇は日本の政界、日本の軍部に入り込んだ共産主義者の謀略により引き起こされたものである。
共産主義者は忠誠を誓う母国はソ連であり、ソ連のため、日本が欧米や中国と戦争を引きおこし、大敗北して大混乱状態を作り出し、その混乱に乗じて日本を共産主義国とするため、謀略の限りをつくしたのである。
ー大東亜戦争(下記3戦争)
日中(対蒋介石)戦争、太平洋(対米、英,ほか)戦争、日ソ戦争・ソ連による一方的な日本侵略戦争
は近衛文麿などの謀略により、日本が戦争に引きずりこまれたものである。
日本の悲惨な戦争は共産主義者によって引き起こされた。
https://ameblo.jp/kororin5556/entry-12267923456.html
日本の悲劇はソ連(コミンテルン)による日本共産化革命によって引き起こされたものである(その4)
テーマ:大東亜戦争(日中、太平洋、日露)
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満州開拓団の悲惨な結末(その4)
テーマ:戦争と平和、MMN
満州開拓団の悲惨な結末(その4)
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満州開拓団の悲惨な結末
2012年10月 Minade Mamoru Nowar
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/0607HisannaSaigo.html
満州開拓団の悲惨な結末
2012年10月 Minade Mamoru Nowar
(続き)
7.誠実で、人間として実に立派であった廣田弘毅元首相
作家・城山三郎氏の名作『落日燃ゆ』(新潮社 1974年1月発行)の中に描かれている通り、
廣田弘毅元首相は、誠実な、人間としては実に立派な方であった。
同書第119頁は、
アメリカ大使グルーは、「廣田は【外交による国家防衛】へ政策を転換させ、
荒木陸軍大将を辞職に追いやり、軍事を外交から締め出そうとした。
ここ数か月間、廣田は間断なく、また、私の見るところでは、
真摯に、中国、ソ連、英国、および米国と交渉するための
友好的な基礎を建設することに努めた」と友人あての手紙に書いたとある。
極東国際軍事裁判(東京裁判)において
廣田弘毅元首相は一言も弁明しなかった。
廣田元首相の責任が厳しく問われたのは廣田内閣が制定した
【国策の基準】についてであつた。
東京裁判の検事団は、日本の最高指導者たちの【共同謀議】によって、
中国に対する侵略が進められ、ドイツと同盟して対米開戦して、世界制覇を
目指していたという筋書きを描いていた。
しかし、無知で、あまりにも愚かであった旧大日本帝国陸軍の
最高指導者たちには、そんな大構想を描く能力はまったくなく、
かつ、高級参謀を中核とする若手将校たちの暴走を止められなかった
ていたらくであったので、【共同謀議】を立証する事実は見つからなかった。
そこで検事団は、廣田内閣の【国策の基準】を【共同謀議】に仕立て上げるべく、
多数の証人に証言させて、廣田元首相を【共同謀議】の張本人に仕立て上げた。
再三、ウィリアム・ウェブ裁判長の不公正な弁護妨害に強く抗議した
ディビッド・スミス弁護人は実質的に追放された。
スミス弁護人と守島伍郎弁護人は、廣田元首相が自ら証言台に立ち、
中国侵略も南京大虐殺もすべて陸軍の暴走であった事実を述べるよう強く求めた。
しかし、廣田元首相は、「陸軍が自分の意思に反して暴走したことは事実だが、
自分には首相としての責任があった」として、自分に不利な証言に対して
一切反論しなかった。弁護を諦めて守島伍郎弁護人は辞任した。
満州事変の翌年の1932年5月15日に起きた犬養毅首相を殺害した
無知で愚かな若手海軍将校によるテロ事件(5.15事件)と、
1936年2月26日に起きた斎籐実(さいとう・まこと)内大臣(元首相)、
高橋是清蔵相(元首相)を殺害した無知で愚かな若手陸軍将校による
テロ事件(2.26事件)は日本を破滅させた昭和戦争の号砲であった。
犬養首相(当時)、斎藤元首相、高橋元首相という、
広い視野をもった良識ある元首相たちを殺害した
無知で愚かな若手将校たちの愚かなテロが、
日本だけでも軍人・市民合わせて310万人以上の死亡者を出した
昭和戦争の惨禍に繋がったのである。
兵士を巻き込んで行われたこのテロで、当時の岡田啓介首相と
鈴木貫太郎侍従長(終戦時の首相)は辛うじて殺害を免れたが、
以後、無知で愚かな陸海軍将校たちに【国賊】と罵られ、
【テロで殺害される恐怖】で、
政治家たちは自由に意思決定することができなくなった。
特に軍事費の増大に反対する政治家は、真っ先に
無知で愚かな陸海軍将校たちのテロの標的にされたので、
満州事変以後急激に増大して日本経済を疲弊させた軍事費増大に
反対する政治家はいなくなった。
日本の軍事費の推移
藤原彰著『日本現代史大系 軍事史』 東洋経済新報社 1961年2月発行
第271頁~第272頁より引用
年度 | 国家予算総額 | 直接軍事費 | 軍事費比率 | 注 |
昭和01年 | 1,578,826千円 | 437,111千円 | 27.1% | |
昭和02年 | 1,765,723千円 | 494,612千円 | 28.0% | |
昭和03年 | 1,814,855千円 | 517,173千円 | 28.5% | |
昭和04年 | 1,736,317千円 | 497,516千円 | 27.1% | |
昭和05年 | 1,557,864千円 | 444,258千円 | 28.5% | |
昭和06年 1931年 |
1,476,875千円 | 461,298千円 | 31.2% | 満州事変 |
昭和07年 | 1,950,141千円 | 701,539千円 | 35.9% | |
昭和08年 | 2,254,662千円 | 853,863千円 | 37.9% | |
昭和09年 | 2,163,004千円 | 951,895千円 | 44.0% | |
昭和10年 | 2,206,478千円 | 1,042,621千円 | 46.1% | |
昭和11年 | 2,282,176千円 | 1,088,888千円 | 47.7% | |
昭和12年 1937年 |
4,742,320千円 | 3,277,937千円 | 69.0% | 日中戦争 |
昭和13年 | 7,766,259千円 | 5,962,749千円 | 76.8% | 日中戦争 |
昭和14年 | 8,802,943千円 | 6,468,077千円 | 73.4% | 日中戦争 |
昭和15年 | 10,982,755千円 | 7,947,196千円 | 72.5% | 日中戦争 |
昭和16年 | 16,542,832千円 | 12,503,424千円 | 75.7% | 太平洋戦争 |
昭和17年 | 24,406,382千円 | 18,836,742千円 | 77.0% | 太平洋戦争 |
昭和18年 | 38,001,015千円 | 29,828,820千円 | 78.5% | 太平洋戦争 |
昭和19年 1944年 |
86,159,861千円 | 73,514,674千円 | 85.5% | 太平洋戦争 |
昭和20年 | 37,961,250千円 | 17,087,683千円 | 44.8% | 太平洋戦争 |
(続く)
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