プーチンに騙されたこともわからない“外交白痴”安倍晋三 | 日本人の進路

日本人の進路

左翼全体主義(共産主義)国家化が進む日本。マスコミはどこを向いても左翼ばかり。これでは日本国民が洗脳されてしまうのはくやしいけどどうしようもない。ただあきらめてしまったら日本の明日はない。日本の中、露、朝への属国化が現実のものとなってくる。

プーチンに騙されたこともわからない“外交白痴”安倍晋三






  日本が好きな方はクリックをお願いします 
人気ブログランキングへ

 


https://ameblo.jp/kororin5556/entry-11914433050.html

プーチンに騙されたこともわからない“外交白痴”安倍晋三


テーマ:

 

 












安倍晋太郎



安倍晋太郎













プーチン大統領


プーチン大統領












ロシアの犬・安倍晋三


ジェンダー・フリー01




















****************************






中川八洋掲示板より
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/18/141041



プーチンに叩頭する“ロシアの犬”安倍晋三の危険(Ⅰ)──プーチンの露帝国は、ついにクリミアを侵略   

2014-03-17






第二節 “スーパー親ロ”晋太郎のDNAを継いだ安倍晋三

 安倍晋三は、彼が尊敬する祖父・岸信介の悪い所のみ受け継いだ政治家。岸のいい所はまったく継がなかった。負の隔世遺伝である。

 一九六〇年の安保騒動で社共が唾棄する“昭和の妖怪”岸信介は、「反共/反ソ/反・中共」という良質のイデオロギーと、それとは対極にある「反米/社会主義経済の信奉/福祉国家シンパ」という左翼体質の欠陥をあわせもつ政治家だった。だが、岸は東大法学部を首席卒業した秀才らしく、この両者がぶつかる場合は、前者を優先して後者を引っ込める、高所からの冷静な判断力を失うことはなかった。
 


 一方、安倍晋三は、祖父・岸信介の「反共/反ソ/反・中共」をひとかけらも継承しなかった。むしろ、父親・晋太郎と同じ、「容共/親ロ/支那へのあいまい対応」で、岸とは対極的な外交感覚であった。ただ、二〇〇六~七年の第一次内閣時の失敗に懲りて“学習”し、第二次内閣では、共産党系の「親ロ」は堅持しつつ、日本人の多数派で人気確実な「親米」「反中」をうわべ演技することにした。

 が、(共和党政治家に多い寛容な紳士とは異なる、黒人マイノリティ出身の)オバマ大統領は、安倍の正体(強度な「反米」)を見透かして距離をおいている。晋三流「親米」演技の薄っぺらいメッキはとっくにはがれて透け透けである。「反米」「親ロ」「福祉国家(社会主義)シンパ」の安倍を蝕む左翼小児病は、世界各国で知らない国はない衆知の常識。
 
 









安倍晋太郎は、“エチオピア農民百五十万人殺しの共犯者”

 安倍晋三は、父・安倍晋太郎の政治姿勢を、仲が良かったこともあり、そっくり相続した。

 安倍晋太郎とは、絵に描いたような極度な“外交音痴”。国際問題がさっぱりの“外国音痴”だった。岳父・岸信介の七光りがなければ、党内出世などおぼつかず陣笠代議士で人生を終わっていただろう。新聞記者あがりの農林族がやっとの六流政治家、それが安倍晋太郎の実力だった。


 首相の中曽根康弘が晋太郎を四年近くも外務大臣にしたのは(一九八二年十一月~八六年七月)、外交を中曽根首相が直接「独裁」する上で、安倍晋太郎の“外交音痴”が好都合だったからだ。この人事は功を奏し、中曽根はレーガン大統領と「ロン-ヤス」の関係を築けた。晋太郎は、中曽根が、「親米」演技の水面下では「反米」「反・自衛隊」という矛盾する狡知な政策を着実に進めていることすら感知できなかった(注1)。 


 結局、四年近くも外務大臣をしながら、安倍晋太郎がやったことは二つしかない。第一は、カンボジアのポル=ポトの犯罪“自国民二百万人以上の殺戮”とまったく同種の、百五十万人殺戮として計画的に実行された“エチオピア飢饉処刑”に協力するという、国際法の「人道に違反する罪」に加担した“ジェノサイド共犯”外交。第二の安倍晋太郎外交は、ロシアに対して「北方領土は要りません」と伝えた、非国民しかできない“売国奴外交”。

 “天性の外国音痴”安倍晋太郎とは、悪魔すらたじろぐエチオピア共産政権(独裁者メンギスツ)の人為的な大規模餓死処刑としてのエチオピア農民飢餓政策を見抜けず、ソ連KGBの検閲下にある朝日新聞・毎日新聞・NHKなどの真赤な嘘報道のままに、“創り話”「天災上の旱魃飢饉」だと信じて、外務省職員に「おにぎりで我慢しろ」と昼飯代の半分以上をエチオピア食糧援助に徴収したり、「毛布百万枚を避難民に送ろう」の運動をしたり、エチオピア飢饉の真相隠しプロパガンダに協力した。そればかりか、エチオピア共産政権の大量殺戮にみずから手を貸し“凶悪大犯罪の共犯者”となった。
 


 外務省職員に昼食代のほとんどをカンパさせるやり方を、外務省では「スターベーション・ランチ(飢餓昼食)」と自嘲していた。毛布は、結果として「一七一万枚」が集り、そのほとんどはエチオピア共産軍の軍用毛布となった。人道援助で日本が送った医薬品も共産軍の病院へと直行した。『週刊新潮』が「援助物質は<一割>しか飢餓難民には届いていない」と報じたが(注2)、これこそは事実だった。諜報筋では、「五%」説が多かった。

 一九八三年~五年にかけてのエチオピア人為飢饉の真相はこうだ。ブレジネフ書記長がエチオピア陸軍のコミュニスト将校を唆してハイレ・セラシェ皇帝を一九七四年に追放・処刑して創られた“ソ連の傀儡”メンギスツ共産独裁政権が、国家権力でもって実行した飢饉による大量殺戮(ホロコースト、ジェノサイド)政策。旱魃などによる天災飢饉ではない。独裁者メンギスツの「世紀の犯罪」“餓死処刑”は、二つの方法で実行された。
 


 •A 政敵の反政府ゲリラの拠点である「チグレ州」「ウォロ州」などの農村でこれら反政府ゲリラたちが潜めないよう飢餓地帯にすべく、老人と子どもを残し、働ける農夫とその妻たちの多くを、エチオピア南西部の荒地に強制移住させた。ために、これら働き手を失った農村で農業ができず飢饉が発生した。
 悪魔のメンギスツ共産政権は、海外からの善意の大規模な量の援助食糧を、意図的にこれらの飢饉地帯にほとんど運ばなかった。そのほとんどは、武器代金の代わりとなってソ連に売却された。また、海外からの援助食糧に対してメンギスツは一トンにつき一・五㌦を徴収し、外貨獲得の手段にした。年間二百万㌦をゆうに越える額であった(注3)。 


 •B 「チグレ州」「ウォロ州」などで、南西部へ駆り立てた残りの農民に対して、ソ連がすでに失敗して失敗確実が証明済みの集団農場(コルホーズ)化を試み、必然的に生じる食糧生産と食糧流通の崩壊を発生させた。これは、四千万人以上が餓死した中共の(毛沢東が「大躍進」と称した)人民公社化の狂気の繰り返しでもあった(注4)。しかも、これらの州では「集団農場」に登録されていた少数の飢餓難民に限り、海外支援食糧を支給したが、そうでない多数には支給せず餓死処刑を執行した(注5)。
 さらに、ウォレガ州などの南西部の荒地での集団農場づくりでも「農機具はない/肥料はない/灌漑設備はない」から、ここでも飢餓・餓死が大量に発生した。この飢餓を救う方法は簡単。これら強制連行された百五十万人農民を「チグレ州」「ウォロ州」に帰還させれば、すぐさま完全解決する話であった。
 


 ところが安倍晋太郎は、大量殺人鬼メンギスツと会い「約束したから」のみを根拠に、メンギスツの要請する通りの援助を行った。メンギスツへの協力こそが餓死を急騰させている惨状の原因を知る米国は、安倍に唖然としつつも、国務省や在日の米大使などのチャンネルを通じ、かなりの諜報情報を与えて安倍晋太郎に何度も説明した。だが晋太郎は、さっぱり聞き入れず、エチオピア共産政権の農民餓死処刑という狂気に協力し続けた(注6)。

 メンギスツには、第三番目の「犯罪」もある。メンギスツは、農村の灌漑対策に一文も支出しない「農業予算ゼロ」を敢行した。人口四千万人の国家が、国民を弾圧するためソ連から軍用ライフル銃を一千万丁も買うなど、エチオピア軍事化にすべての国庫支出を当てたためでもある。
 


 このように、エチオピア大飢饉が、メンギスツ共産政権による人為的な餓死処刑=自国民大量殺戮なのは、一九八四年に入った頃には、世界の専門家や諜報機関での常識だった(注7)。世界の専門家は、エチオピアの飢饉を、スターリンによるウクライナ農民八百万人殺しや(注8)、自国民の四分の一をたった四年間で殺戮したカンボジア・ポル=ポト派とまったく同一の、共産主義者特有の“人間殺戮狂”が生んだ政策飢饉だと正しく指摘していた。

 真偽に無関心な“知が死んだ”安倍晋太郎には、外務省内でも注意を促した外交官もいた。だが晋太郎は、ソ連や日本共産党が編集を支配する朝日新聞・毎日新聞・NHKの嘘報道以外をいっさい顧慮しなかった。「日本の外務大臣・晋太郎は、常軌を逸したアホバカ政治家だ」と、当時の(諜報機関がしっかり機能している)米欧の関係者たちは眉を顰めた。
 


 参考までに、一九八三~五年エチオピア飢饉について、入門書二冊を挙げておく(注9)。安倍晋太郎を洗脳し操っていた人物名も挙げておこう。ロシア工作員として著名な国会議員・石田博英(KGBコードネームは「フーバー」)の、その娘婿でコミュニスト三宅和助(当時、外務省中近東アフリカ局長、注10)。なお、石田も三宅も、血統は北朝鮮人。北朝鮮人やコミュニストをすぐに側近にする癖は、晋太郎と晋三は瓜二つ。やはり父子。

 安倍晋太郎に関する少数意見。一九八五年頃、安倍晋太郎は“外交音痴”ではなく筋金入りのコミュニストだ、と私に忠告した某専門家がいた。岳父の岸信介の手前、共産党と接触しないことが習慣となっているだけだ、と。
 


 つまり、安倍晋太郎は、モスクワKGB第一総局の命令下にある、意識した(witting)アフリカ共産化に全力投球するコミュニスト工作員であった、という。黒柳徹子(日本共産党の熱烈党員)/安倍晋太郎/三宅和助/アグネス・チャン(中国共産党員) は、“<メンギスツの犬>四人組” といわれているし、軍用毛布百万枚以上をメンギスツ共産陸軍に贈答するに、日本人騙しの共同工作をしたのは、安倍晋太郎と黒柳徹子がイデオロギー上の同志だったからである、と。  







“対ロ醜態外交”の安倍晋太郎の、その愚行を繰り返す安倍晋三

 安倍晋太郎が、対ロ外交にしゃしゃり出たのは、外務大臣の時ではない。自民党幹事長(一九八七~九年)ですらなかった。自民党の一派閥のボス(清和会会長、一九八六~九一年)、つまり有力な一国会議員としてだった。

 内閣の専管であるべき外交に、首相でもなく閣僚でもない一国会議員が前面に出るのは、禁じ手の二元外交。日本は、安倍晋太郎のように、決してしてはならない“お祭り騒ぎ外交”をするから、ロシアの術中に嵌って、北方領土の奪還を遠のかせるのだ。

 しかも安倍晋太郎の頭は、脳内空洞の“ピーマン”。ロシアとの領土奪還交渉の難しさなど理解できない。しかも安倍晋太郎の本性は、外見の柔和さとはほど遠く、「外交交渉の常道やルールなんか、糞喰らえ!」のならず者。自分の売名のためには、領土や国益なんか平気にドブに捨てる、愛国心ゼロの六流政治家である。
 


 対露外交では、戦後政治家の中で抜きん出て一流の名外交官だった吉田茂に、むろん、安倍晋太郎など比すべきもない。国益が危機にあるときには個人の信条をきっぱり捨てた二流政治家・岸信介に比べても、娘婿の安倍晋太郎の劣悪さは目にあまる。

 対ロ交渉に個人的野心から盲目的に暴走して、北方領土の奪還の好機を日本側から破壊した犯罪的な政治家を列挙すれば、第一に鳩山一郎・河野一郎(一九五六年)、第二に田中角栄(一九七三年)、第三に安倍晋太郎/小沢一郎(一九九〇~一年)と続く。第四番目以降は、ここでは省略。
 


 安倍晋太郎は、「ゴルバチョフは、<ペレストロイカ>だから、北方領土を返還する」「ならば、この返還の功績で、政治家・安倍晋太郎の名を不朽にしたい」と考えた。どうやれば人類史上に稀な(百戦百勝の)外交交渉の天才・ロシアに北方領土を返還させることができるかと、腐心もしなければ苦悶もしなかった。もちろん、鳩山一郎や田中角栄の過去の失敗の研究も、ロシア交渉能力・外交パターンの初歩的な研究もしなかった。いや、それ以前で、「ゴルバチョフにお世辞を言えば、お土産を渡せば、北方領土は<返還せよ>と要求せずとも還ってくる」と信じていた。前代未聞の惰弱と妄想癖の政治家だった。要は、愛国心ゼロの政治家だった。

 一九九〇年一月、ソ連邦の共産党独裁体制は、崩壊へと進んでいた。前年十一月、「東欧諸国」を解放したことは、第二次世界大戦の戦果としての占領地の返還ともいえるから、北方領土の返還もポーランドやハンガリーと同列に考えてよい事態なのは間違いではなく、北方領土奪還の好機到来だったのは事実である。だが、東欧解放は、レーガンが完備した対ソ核戦争態勢に対し、ソ連が軍事的敗北の恐怖にかられた結果であることなど、馬鹿に近い“無知人”安倍晋太郎には想起することができなかった。
 


 だから、一九九〇年一月、安倍晋太郎は、ゴルバチョフとの会談(モスクワ)において、これからの日ソ関係につき「八項目提案」を行なった。ところが、この八項目の中に、北方領土の返還要求を入れなかった(注11)。安倍晋太郎は、ロシアに、「日本は、北方領土の返還を要求しない。ロシアは返還しなくて結構です」と通告した。安倍晋太郎とは、河野一郎に優るとも劣らぬ“売国奴の中の売国奴”だった。

 このとき安倍晋太郎は、事前のロシアとの打ち合わせに従い、ロシア青年一千名を招待するとゴルビーに提案し、一九九〇年九月、実際に一七九名が来日した。ロシアは一ルーブルも使わず日本の金で日ロ友好ムードの煙を大きく立ち上らせ、北方領土を要求する日本側の強い意思をグニャグニャに軟化させる作戦が成功した。これは古来からのロシア外交の手口の一つ(注12)。安倍晋太郎の周辺はロシア工作員ばかりだった。ここでは、“安倍晋太郎はロシア工作員”の説をいったん脇においている。
 


 もともと安倍晋太郎は、伊藤博文や山縣有朋など(外交における)親ロ主義者が続出する“国賊の巣窟”長州藩(山口県)の出身である。米英に西ドイツまでが加わって、西側が一丸と団結してソ連を軍事的に包囲している一九八六年。対ソ軍事包囲の西側の鎖の中で、もっともダラシナイ日本を、この鎖からはずす分断策として、ソ連は、日本の安倍晋太郎・外務大臣をモスクワに呼ぶ工作をした。

 一蹴して拒否するのが当たり前なのに安倍晋太郎は、毛鉤に喰らいつく愚鈍なアホ魚のごとく積極的に釣られてしまった。一九八六年五月末、不要不急な(外務大臣レベルの)日ソ文化協定の締結をモスクワでセットし、いそいそと訪ソした。目的は、有名なゴルバチョフ・ソ連共産党書記長に会えるからという、追っかけギャルと同じだった。
 


 安倍晋三が(神戸製鋼のサラリーマンを辞め)安倍晋太郎の秘書になったのは、晋太郎が外務大臣になった一九八二年十一月(二十八歳)。それは同時に、晋三が初めて外交というものを四年近く体験し学ぶことになったが、当然、晋太郎の信条である対ロシア宥和/対ロシア叩頭病が深く伝染した。安倍晋三が、二〇一三年四月、プーチンに頭をレイプされて、北方領土の奪還を自ら困難にした“対ロ逆走外交”に暴走したが、父親・晋太郎からうつされた伝染病がDNA化していたのである。  



















++++++++++++++++++++++++++++++++++



プーチンに騙されたこともわからない“外交白痴”安倍晋三


 安倍晋三が、北方領土奪還の道筋をつけるとばかり鳴り物入りの日本側報道の中で、欲得に国家を忘れた“非国民”財界人五十名を引き連れてモスクワに乗り込んだのは、二〇一三年四月末。しかも、狡猾で縁起担ぎのプーチンは、安倍との首脳会談を、反ロ主義を戦前・戦後ともに貫かれた昭和天皇のご誕生日二十九日にわざとセットした。しかし、安倍は、この日を快諾し、“反・昭和天皇”の姿勢をロシアに闡明した。

 無教養と無責任さが本性の安倍晋三は、国際協力銀行を使った対ロ投資の拡充や、インフラ整備や医療協力など、ロシアへの無原則な経済協力をプーチンと合意した。本人の言によれば、対ロ経済協力が北方領土奪還の呼び水になるという。馬鹿馬鹿しい。


 ならば、同じことをした首相・田中角栄の一九七三年のあれほど大掛かりな対ロ経済協力が北方領土の返還にいっさい繋がらなかった“愚行の歴史体験”を、安倍晋三はどう検証したのか。どう解釈したのか。安倍晋三が“人気至上主義の滑舌芸人型政治家”であって、愛国心ゼロの政治家なのは、これだけでも明らかではないか。


 技術開発や学術研究であれ、スポーツであれ、金儲けであれ、成功を欲するならば、過去の失敗は知力をふりしぼって分析・考察する。だが、安倍は、ブレジネフに騙された田中角栄や、エリツインに騙された橋本龍太郎の、日本がこれまで連戦連敗した対ロ交渉の失敗の研究をまったくしない。

 そればかりか、安倍は、プーチン大統領がいかなる人物かも知らない。プーチン知らずでプーチンと交渉するとは、象を撫でる群盲のそれ。


 国民弾圧機構のKGB第二総局(現FSB)出身者で、二〇〇〇年に大統領になって以来、プーチンはどれほどの自国民殺人を命令・指揮したか。しかし、安倍は、プーチンにかかわるこれらの事実に興味すらない。


 日本でも大きく報道された事例を挙げれば、ロシアでプーチン批判の急先鋒アレクサンドル・リトビネンコ(元FSB職員)は、二〇〇六年十一月、見せしめのためエイズとよく似た症状で死亡するポロニウム210をロンドンで投与されて殺害された(注13)。女性ジャーナリストのポリトコフスカヤも、その前月の二〇〇六年十月に殺害された(注14)。いずれもプーチン大統領の命令であろう。



 それだけでなく、チェチェン人の仕業に見せた高層アパート連続爆破事件(一九九九年九月)やモスクワ劇場占拠事件(二〇〇二年十月)なども、前者はチェチェン人は関与しておらずFSBの自作自演。後者はプーチンがうまくチェチェン人たちを煽動して実行させた、自作自演に近い残虐なテロ事件ではないかといわれている。前者の事件後、プーチンは直ちにチェチェンを無差別爆撃し戦車・砲兵部隊を突入させた。その功績で、翌年大統領に選出された。

 なお、ベスラン学校占拠事件(二〇〇四年九月)も、モスクワ劇場占拠事件との酷似性が指摘されている。プーチンの治世は、ただただ血腥い。

 ロシアの本質を知る政治家や官僚は、吉田茂など一九六〇年代まではそれなりの数が存在していた日本だが、一九七〇年に入るや日本の政治家すべてが“ロシア知らず”となった。だからといって、安倍は北方領土の奪還で対ロ交渉を内外に高らかに宣言した以上、ロシア知らずだからと安倍晋三の対ロ全面敗北を免責してはならない。プーチンを知らず、ロシアを知らず、モスクワに行くだけで北方領土が返還されると、自分に都合のよい結末を妄想する無責任な安倍の“対ロ外交ごっこ”は、日本国の主権(=領土)への毀損行為であり、“国賊”として厳しく糾弾しなくてはならない。



 安倍は、プーチンと合意した(双方が外務大臣と防衛大臣を出す)「二プラス二」協議機関の設置で、領土問題が前に進むかのように勝手に妄想する。が、プーチンのロシアは、二〇一三年四月二十九日をもって、日露間の領土問題を日本に完全放棄させるのに成功した。安倍晋三とは、この日モスクワで、プーチンに日本の無条件降伏を快諾し、北方領土返還要求を幕引きした。だから、ロシアの新聞テレビのすべてが、モスクワ訪問時の安倍が北方領土返還をプーチンに要求した事実を、一行も一語も報道しなかった。

 ロシアにとって、隣国が(経済協力という)お土産をもってきたことは、ロシアの属国になりますとの誓約である。安倍晋三は、「日本は、貴国ロシアに主権を投げだす隷属国家でございます」と、“降伏の儀式”のためモスクワ詣でをしたことになる。つまり安倍は、この日プーチンに、「北方領土はもう要りません」と叩頭して誓約した。


 もし安倍晋三がロシアと領土交渉を本気でするなら、まずもって根室に行き、元島民とその子孫たちを集めた前で「盗人のロシアよ!日本の領土を還せ!」「北方領土が返還されない限り、日露関係の縮小・冷却化は避けられない。この責任すべては、侵略国家ロシア側にある」と絶叫したはずである。

 ロシア人は、ロシア側を怒らせたものにしか妥協しない。剣を振り回すものにしか、妥協しない。そしてロシア人は、相手に妥協すると決心すると、顔がこわばり態度が硬化し、決して歓迎の態度を見せない。プーチンが安倍に対し、歓迎する雰囲気を見せた以上、ロシアは北方領土を安倍内閣には万が一にも返還しない。


 ロシアの外交に関する基本知識を次節で多少まとめておく。自らの無学・無教養やIQの低さを恥じず、傲慢不遜にも対露外交交渉にしゃしゃり出る日本の政治家が、最小限知っているべき基礎知見である。北方領土をプーチンに貢納する破目になった安倍晋三とは、「基礎知見なき政治家は、ロシアと接触するな!」を証明した反面教師だろう。















****************************