朝鮮戦争の推移と韓国の歴史教科書-殺人鬼・金日成と殺人鬼・李承晩の戦争犯罪(その2) | 日本人の進路

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左翼全体主義(共産主義)国家化が進む日本。マスコミはどこを向いても左翼ばかり。これでは日本国民が洗脳されてしまうのはくやしいけどどうしようもない。ただあきらめてしまったら日本の明日はない。日本の中、露、朝への属国化が現実のものとなってくる。

朝鮮戦争の推移と韓国の歴史教科書-殺人鬼・金日成と殺人鬼・李承晩の戦争犯罪(その2)








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朝鮮戦争の推移と韓国の歴史教科書-殺人鬼・金日成と殺人鬼・李承晩の戦争犯罪(その2)


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朝鮮戦争の推移と韓国の歴史教科書
-殺人鬼・金日成と殺人鬼・李承晩の戦争犯罪



2013年11月







 (続き) 








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パブロ・ピカソ 1951年作 『朝鮮の虐殺』 パリ・国立ピカソ美術館所蔵









同日、7月1日、在日米軍が釜山に上陸した。同時に、沖縄基地から爆撃機B29が発進、
北朝鮮軍を爆撃した。

7月2日、在日米軍は北上して大田(テジョン)に到着した。大田は、ソウルと
釜山をむすぶ要衝である。在日米軍はここに強固な防衛線を築き、北朝鮮軍を
食い止める作戦だった。

7月3日、漢江の橋の修復が終わると、北朝鮮軍の戦車が漢江南岸に殺到した。
韓国の防衛線は一瞬にして崩壊した。小火器で重戦車に挑むのは、どだい、
ムリな話なのである。
 


ところで、なぜ韓国軍は戦車を持っていなかったのか? じつは、1年後に、
米国からM26戦車を受領する予定だった。 北朝鮮の奇襲が1年後であった
ならば、状況は変わっていたかもしれない。

7月7日、米国を中心に、16ヵ国が参加して国連軍が編成された。しかし、
こうしている間にも、北朝鮮軍の南進は続いていた。在日米軍は、大田から
北上を試みたが失敗、逆に押し返されてしまう。その後、国連軍も合流したが、
7月中頃までに、兵数は半減、大田の維持すら困難になった。そこで、
韓国政府は大邱に逃げ込んだ。

7月20日、北朝鮮軍の猛攻で大田が陥落した。
 









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さらに、8月末までに、国連軍は、大邱と釜山、朝鮮半島南部に押し込まれた。
このままでは、全軍が日本海に追い落とされる。

しかし、背水の陣となった国連軍は必死だった。米軍の将軍たちはこう宣言した。
「朝鮮半島からの撤退はありえない。我々は最後まで戦う」
 











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You tube:Re-enactment of the 1950 Nakdong River Battle





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5.マッカーサー元帥の反撃


一方、北朝鮮軍にもアキレス腱があった。快進撃の結果、兵站線が伸びきっていた。
ピョンヤンから大邱まで、直線距離にして400km。

兵站とは、戦闘部隊の後方支援で、燃料・弾薬・食料の補給、兵員や兵器の
補充を行う。兵站線が長いほど補給は難しくなり、兵站線を途中で絶たれる可能性もある。
当然、兵站線を絶たれた先には補給は届かない。兵站線は軍隊の血管なのだ。

北朝鮮軍は優勢だったが、国連軍に対する最後の一撃が打ち込めなかった。

一方、国連軍は、防戦一方で、反撃する余力はなかった。

そこで、マッカーサー元帥は、戦況を一転させる奇襲を断行する。
 


兵站線の真ん中、仁川に強襲上陸し、北朝鮮軍を南北から挟撃するのである。
単純明快、鮮やかな作戦だが、包囲殲滅される可能性もある。奇策、どちらかと
いうとバクチに近い。これが歴史に残る「仁川上陸作戦(クロマイト作戦)」である。

9月15日、国連・韓国軍は仁川に奇襲上陸した。危険な敵前上陸を任務とする
米海兵隊を先頭に、7万人が上陸に成功した。このとき、M26重戦車をはじめ、
重火器も大量に送り込まれた。

北朝鮮軍は、国連・韓国軍に挟撃され、算を乱して逃走し始めた。戦局は一変した。
 











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6.中国軍参戦を招いた李承晩の北進決定



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9月28日、国連・韓国軍はソウルを奪還した。翌日、韓国政府もソウルに戻った。
かねてより、南北統一をもくろんでいた李承晩にとって、棚からぼた餅のいチャンス
だった。

無知・無能・無策・無責任な、対日憎悪感の権化・対日報復の鬼・李承晩は、
はやる気持ちを抑えきれず、韓国軍単独で北緯38度線を突破させた。
韓国軍は北進した。続いて、国連軍も北進した。

危機感をつのらせた毛沢東の中国は、ここで朝鮮戦争参戦を決定する。
志願兵による義勇軍との名目で、100万人もの正規軍兵力を投入した。
 








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10月20日、中国軍100万人参戦について何も知らない国連・韓国軍は、
北朝鮮の平壌を占領した。さらに、逃げる北朝鮮軍を追った。

先鋒の韓国軍は、中国との国境、鴨緑江に達した。ここで、中国軍の猛反撃が
始まった。100万人による圧倒的な人海戦術、加えるに、名将・彭徳懐将軍が指揮し、
ゲリラ戦に熟達した中国正規軍が国連・韓国軍に襲いかかった。

中国軍は、国連・韓国軍が、まったく思いもつかなかった、冬山を夜間に踏破して、
国連・韓国軍の背後の高地に陣取り、突然、背後から国連・韓国軍に襲いかかった。
中国軍の夜間山地移動を米軍の偵察機は発見することができなかった。

突然、大地からわき出るような無数の中国兵に襲われて、米国軍の兵士は
パニックに陥った。凄まじい恐怖に駆られた。
 









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国連・韓国軍は北朝鮮各地で大敗北を喫し、敗走に次ぐ敗走で、北緯38度線の
南へ逃げ帰った。これがトラウマになり、以後、米国軍の現地指揮官たちは、
中国軍とは戦いたくないと考えるようになった。

中国軍は、津波のように国連・韓国軍を呑み込んだ。

12月5日には、中国軍は平壌を奪回した。さらに、ソウルも再占領した。

あまりにもの大敗北に怒り狂ったマッカーサー元帥は、中国に原爆を投下せよと
トルーマン大統領に迫ったが、あっさり、国連軍最高司令官と日本占領軍
最高司令官を解任されてしまう。
 











6.北朝鮮軍、韓国軍、中国軍と国連軍の人的損害

北朝鮮軍の、戦死者数、約52万人、負傷者数、約41万人といわれる。

韓国軍の、戦死者数・負傷者数は、合わせて約99万人といわれる。

中国軍の、戦死者数は18万4,000人、負傷者数は71万5,900人、
捕虜になった者は2万5,600人といわれている。

国連軍の、戦死者数は3万6,813名、負傷者数は11万4,816名、
行方不明者は6,198名、捕虜になった者は4,439名といわれている。
 








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7.一般市民、約400万人が死亡
     -金日成と李承晩の戦争犯罪


朝鮮戦争の死亡者の数は、韓国約150万人、北朝鮮約250万人、南北朝鮮合わせて
約400万人といわれている。、総人口の20%にあたる。
つまり、国民の5人に1人が死亡したことになる。

第2次世界大戦の日本の死亡者は約300万人である。総人口の4%である。
朝鮮戦争は、南北殺し合いの、凄まじい戦争であった。

You tube : The Korean War 






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出典:
金学俊(キム・ハクジュン)著 Hosaka Yuji訳
『朝鮮戦争 -原因・過程・休戦・影響』--抜粋








 (続く) 









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