“戦争狂”池上彰と“貧困促進屋”池上彰は同一体(その2) | 日本人の進路

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左翼全体主義(共産主義)国家化が進む日本。マスコミはどこを向いても左翼ばかり。これでは日本国民が洗脳されてしまうのはくやしいけどどうしようもない。ただあきらめてしまったら日本の明日はない。日本の中、露、朝への属国化が現実のものとなってくる。

“戦争狂”池上彰と“貧困促進屋”池上彰は同一体(その2) ──日本の経済破綻と超貧困化を狙う“池上彰の犯罪”の先に来るもの

 

 

 

 

 

 

 

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中川八洋掲示板
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2018-03-06  


“戦争狂”池上彰と“貧困促進屋”池上彰は同一体 ──日本の経済破綻と超貧困化を狙う“池上彰の犯罪”の先に来るもの

 

“凶悪共産党員”池上彰の嘘

 

 

 

筑波大学名誉教授  中 川 八 洋

 

 

 

 

 

 

 

 
 
大家族の自給自足から計画経済を妄想し、家族の消滅を絶対としたマルクスの矛盾

 マルクスアダム・スミス『諸国民の富』を熟読していることは、その用語から明瞭。が、ほとんどを逆さにするか、少なくとも大幅に改悪した。例えば、アダム・スミスの労働価値説は、労働によって代価の賃金という価値が発生するという意味。当然、搾取は発生しない。

 マルクスアダム・スミスを真正面から180度逆にした一つは、スミス流の「人間は、自分自身と家族のために利益最大化を思案しつつ経済的労働をする」という人間の本性を認めず、“転倒の道徳”を神聖視したことが挙げられよう。つまり、マルクスは、家族を維持するために家族構成員同士が助け合っているように「人間は他者のために、社会のために、経済労働をすべきである」という“人間の本性”に反することを倫理・道徳と考えた。

 

 娘がレイプされるようとしているのを父親が命を棄てて守らんとする自己犠牲の愛情も、息子を大学に行かせるために時間給アルバイトを年365日もする母親の愛情も、それは家族内の倫理道徳であって社会的なそれではない。しかも、人間は、ほんのわずかな例外を除き99.99%は「自分自身か家族か以外の他者のために、利益を求めた経済的労働に人生を捧げることは決してしない」。

 

 だが、ルソーの家族解体を宗教的に狂信するマルクスは、家族解体を断行して、その後に人口が300万人であろうと5000万人であろうと、“超現実の狂妄”「国家全体が、家族になればいい」と思い付いた。家族とは血縁でつながり相互によく知っている間柄のこと。だが、狂人マルクスには、この実在する“家族”と、相互にどの構成員が日常何を欲しているか知ることはできない/接触したことも見たこともない数百万人/数千万人の(そもそも家族ではないのに擬制家族だと詐称した)“国家における、全国民からなる集団”との差異がわからない。

 要はマルクスは、数千万人であろうとも数億人であろうとも、人間は国家権力の強制によって大規模な家族(=共生社会)になれるとの仮構において、「個人は他者のために最大限の経済労働をする」との反現実の真赤な嘘を真理だと宣言した。麻原彰晃の「ハルマゲドン」発見の宣言・洗脳と同じ。

 

 だが、本当の真理はマンドヴィルが発見しアダム・スミスが大成した「人間は、自分自身と家族のための利益最大化の労働には真剣にやる」&「個人の、この経済的な自己利益追求が、社会全体の経済利益を意図せずして齎す」であった。マンドヴィルがこの真理を発見して発表したのが、『蜂の寓話』。ノーベル経済学賞レベルだが、1705年出版だったため、ノーベル賞がまだなかった。上田辰之助の名訳があるので一読を進める(注6)。緒言を付けた再版は1714年。

 

 アダム・スミスが心底から感嘆した『蜂の寓話』の偉大さは、「個人が自己の利益追求のための経済活動」は我利慾の行動だから一見すれば倫理道徳的に反するように見えるが、現実には、この「私悪的行為が、社会全体の経済を右肩上がりに発展させて公益に直結する」真理の発見だったからである。だが、「人間が、自分自身と家族のための利益最大化の労働をする」を可能にしている市場を、国家権力は尊重し擁護しなければならないと人類が本当に理解したのは、1991年のソ連邦崩壊によってであった。

 

 もし逆に、「人間は、自分自身と家族のための利益最大化の労働をする」を可能にしている市場を国家権力が破壊すれば、そのような国家は、苛烈な階級差別、人民からの無限の収奪、人民の国家への隷属と果てしない窮乏化が発生する。旧ソ連北朝鮮が、これを証明している。序なので、スミスがマンドヴィル『蜂の寓話』を咀嚼して解説している箇所を引用しておこう。

「あらゆる個人は、自分自身の安全だけを意図し、またその生産物が最大の価値を持ちうるような仕方でこの産業を方向づけることによって、あらゆる個人は自分自身の利得だけを意図しているわけなのだが、彼は見えない手an invisible handに導かれ、自分が全然意図してもみなかった目的を促進するようになる」

「個人がこの目的を全然意図していなかったことは、社会にとって、常にこれを意図する事よりも必ずしも悪いとは言えない。彼は、自分自身の利益を追求することによって、実際に社会の利益を促進しようと意図する場合よりも、一層有効にそれを促進する場合がしばしばある」

「私(アダム・スミス)は、公共の幸福のために商売していると振りをする人々が、幸福を大いに増進させた、などとの話を聞いたことがない」(注7)。

 
 
“悪魔の麻薬”マルクス労働価値説を吸引してラリる池上彰の“正気喪失病”は重態

 池上彰が経文のように念じては狂信する“霊験あらたかな宗教ドグマ”労働価値説について、『資本論』の一節を引用しておこう。

「ある使用価値の、価値の大きさを規定するのは、ひとえに、社会的に必要な労働の定量、またはこの使用価値の製造に社会的に必要な労働時間にほかならない」

「同一労働時間に製作され得る商品は、したがって、同一の価値の大きさを持っている。ある商品の価値の他の商品それぞれの価値に対する比は、ちょうどその商品の生産に必要な労働時間の、他の商品の生産に必要な労働時間に対する比に等しい」

「価値としては、すべての商品は、ただ凝結せる労働時間の一定量であるにすぎない」(注8)。

 商品の価値は、市場や交換で売れた価格で決まり、それ以外では産まれない。だが、マルクスの教義に従って、労働一般が価値を生産するなら、走らない故障ばかりの新車を製造するのに投入された労働者の総時間が、トヨタの新車のそれの三倍であれば、六年間無故障&燃費も数倍優れたトヨタの新車の三倍の価格と言うことになる。馬鹿げすぎて、口もきけない。

 が、唖然とするのはここまで。マルクスほどの高いIQで、経済学的or経済社会学的にこれほど飛びぬけたナンセンス誤謬を犯すだろうか、と思い直す必要がある。ちなみに、例示的にIQの序列をすれば、「大内兵衛/向坂一郎/宇野弘蔵中川八洋マルクス<レーニン<ルソー」である。つまり、天才の域にあるIQだから、マルクスの経済社会学的にナンセンスな誤謬は意識した意図的なものでしかありえず、隠された目的のための周到精緻な詭弁だと考えられる。

 特に、第一篇第一章「商品」で、漂流者ロビンソン・クルーソー(デフォーの小説の主人公)にかなりの頁数を使い言及するのは(138~41頁の丸四頁)、誤謬に見せかけた“狡猾なマルクス流すり替え”を示唆している。無人島での孤立人は自分一人が生きるため食料や道具を獲得・製造するが、「交換」がないから、それらは「商品」ではない。よって「生産」でもない。がマルクスは、無人島における「たった一人」の「製造物・収穫物」をもって、「多くの人間」からなる「共同体の総生産物」にすり替える。

「自由な人間の協力体における人々は、共同の生産手段をもって労働し、彼らの多くの個人的労働力を、意識して一つの社会的労働力として支出する。ロビンソンの労働のいっさいの規定がここで繰り返される」

「ロビンソンの全ての生産物はもっぱら彼の個人的な生産物で、したがって彼のための使用対象であった。この無数の自由人からなる協力体の総生産物は一つの社会的生産物である。その生産物の一部は再び生産手段として用いられるが、依然として社会的である」(注8)。

 このマルクスの言説から、マルクスが、「多人数からなる協力体=孤立した一人」「協力体の総生産物=個人使用のための収穫物・製造物」「多人数の個人労働力の総和=一人の社会労働力」と考えているのがわかる。これは重症状の精神分裂病に犯されたマルクスに発症する狂気の思考なのだが、そんなことは、今は脇におく。

 問題は、この思考の核心を突き詰める事。つまり、マルクスは、共産社会の経済体制を、その構成国民数が五千万人であろうとも一億人であろうとも、いわば巨人のような「一人」に考えている。「五千万人=一人」である。だから、「五千万人の労働力の総和=一人の社会労働力」となるのは当然。

 

 この論理において、国家全体には「商品」はゼロとなり、また「交換」もなくなる。さらに、国家は「一人」なのだから、何を欲し何を生産すべきかは自ずから自明で明確だから、需要と供給の信号や情報を唯一に発生する「市場機能」は不要となる。

 

 以上の事柄は、労働価値説とは、その表面上の文言とは一切関係なく、数千万人以上の国民からなる大規模な国家すらも、孤島における一人の人間の生活と同一視するための反・学問の論理仮説だったことを暴いてくれる。ソ連は、計画経済を実行した七十年間、一貫して国境を閉じて大海の孤島のごとき閉鎖し、国家全体を刑務所とした。この閉鎖社会化/国家刑務所化は、マルクスの労働価値説を導入する場合の、絶対に避けられない大前提であろう。

 

 ソ連では、(共産党幹部の特権階級「ノーメンクラツーラ」を除き)すべての国民が農奴以下の奴隷・家畜or刑務所の囚人に扱われたのは、国民一人一人は人間であってはならず、あくまでも“人工的に造られた鋼鉄の一巨人=ソ連”を形成するために集合・凝固させられた大量のボルト・ナット群になること以外の選択肢が禁止されていたからだ。ソ連では、人間改造、つまり一般通念の人間から人間性の全てを剥ぎ取られて無機的なボルト・ナットになる人間改造が絶対とされ、その手段にピオニール/コムソモール等における洗脳ならびに重労働強制収容所/無差別処刑の国家テロルが常態化したが、それなしには労働価値説の維持はできず、労働価値説を堅持するための必然策だった。

 

 なお、レーニンのロシア共産革命成功後における、マルクスの労働価値説の導入に関する当時の経済計算について、山本勝市の古典『計画経済の根本問題』第四章は(注9)、必読すべきだろう。

 ところで、紙幅が足りなくなった。池上彰の戦争狂と貧困促進屋性の問題については、次回以降で言及する。

(3月3日記)

 

 

注  

1、ハックスリー『すばらしい新世界』、講談社文庫。  

2、ジョージ・オーウェル1984年』、ハヤカワ文庫。村上春樹の『1Q84』は、このオーウェル作品の表題を剽窃している。ただ、表題は著作権法の保護対象ではないから、村上には違法性はない。  

3、ソルジェニーツィン収容所群島』、新潮社、全六巻。  

4、コンクェスト『スターリンの恐怖政治』上下、三一書房、1976年。原著『The Great Terror 大テロル』は1973年。なお、コンクェストには、もう一つの偉大な名著『悲しみの収穫 ウクライナ大飢饉』、恵雅堂出版、もある。これ等は、保守知識人を目指すエリート大学生の必読。  

5、クルトワ/ヴェルト共著『共産主義黒書』、恵雅堂出版。  

6、『上田辰之助著作集』第四巻、『蜂の寓話』、みすず書房。  

7、アダム・スミス『諸国民の富』第三巻、岩波文庫、56頁。  

8、マルクス資本論 一』、岩波文庫。75頁、141頁。  

9、山本勝市『計画経済の根本問題』、理想社、1939年。

 

 

 

 

 

 

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