米国は世界の平和を守るために核兵器を増産すべきで、西側諸国は財政的に支えなくてはならない | 日本人の進路

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左翼全体主義(共産主義)国家化が進む日本。マスコミはどこを向いても左翼ばかり。これでは日本国民が洗脳されてしまうのはくやしいけどどうしようもない。ただあきらめてしまったら日本の明日はない。日本の中、露、朝への属国化が現実のものとなってくる。

米国は世界の平和を守るために核兵器を増産すべきで、西側諸国は財政的に支えなくてはならない

「日露平和条約締結交渉」は日本の対露国防を解体して北海道を侵略するためのものである

 

 

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世界征服を狙う殺人鬼・プーチン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プーチンの犬たち(日本をロシアに捧げる人たち)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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大森勝久評論集
http://1st.geocities.jp/anpo1945/2806.html
米国は世界の平和を守るために核兵器を増産すべきで、西側諸国は財政的に支えなくてはならない/「日露平和条約締結交渉」は日本の対露国防を解体して北海道を侵略するためのものである(2016年5月31日脱・2016年6月20日掲載)

 

 

 

 

 

米国は世界の平和を守るために核兵器を増産すべきで、西側諸国は財政的に支えなくてはならない/「日露平和条約締結交渉」は日本の対露国防を解体して北海道を侵略するためのものである

 

 

 

●侵略国家ロシアが日本に「平和条約締結」を呼びかけるのは、日本の対露国防を更に解体して北海道を侵略占領するためであるー安倍首相はロシアの尖兵である

 安倍首相は5月6日、ロシア南部の町ソチを訪れてプーチン大統領と日露首脳会談を行った。「北方領土問題解決を含む平和条約締結について」、安倍首相は「これまでの発想にとらわれないアプローチで交渉を精力的に進め、交渉の停滞を打破しよう。グローバルな視点を考慮に入れた上で、未来志向の考えに立って交渉を行っていく新しいアプローチが必要だ」と述べた。両首脳は「双方に受け入れ可能な解決策の作成に向け、新しいアプローチで交渉を進めることで一致した」と報道された(5月7日、8日付読売新聞)。また、安倍首相はプーチンにロシアが求めていた「8項目の経済協力計画」を提案し、プーチンは「素晴しい。このような事業はぜひ実現していきたい」と歓迎した。安倍首相が9月にウラジオストクを訪問して、日露首脳会談を行う方針でも合意した(同)。

 

 ロシアにとって「条約」とは、相手を拘束支配し、自らは破っていくものとしてある。侵略国家にとって外交とは、武器を使用しない侵略戦である。だから相手を騙し自らは破っていくものとして、「平和条約」や「不可侵条約」や「友好善隣協力条約」や「中立条約」等を締結するのである。

 

 ロシア(ソ連)はバルト3国と1926年や1932年に「不可侵条約」を結んだが、1939年、40年で侵略占領した。1921年にポーランドと「平和条約」を締結したが、1939年に侵略占領した。フィンランドに対しても「不可侵条約」(1932年)を結び、やはり1939年に侵略した。アフガニスタンとは1978年に「友好善隣協力条約」を結び、翌年に侵略占領している。スターリンは1945年8月14日に国民党の蒋介石と「中ソ友好同盟条約」を結んでおいて、裏で中国共産党を支援して内戦によって共産中国を樹立させた(1949年10月)。

 

 なによりも、ロシア(ソ連)は1941年4月に「日ソ中立条約」を締結しておいて、1945年8月に一方的に日本を軍事侵略したではないか。しかもロシアは「ポツダム宣言」第2項の「日本国が抵抗を終止するに至るまで戦争を遂行する」に違反して日本を侵略した。日本は8月14日午後11時にポツダム宣言を受諾し、翌15日正午の天皇の「玉音放送」で停戦となったのだが、ロシアは日本領土の千島列島(得撫島以北の18島)へ8月18日から軍事侵略している。日本領土の南樺太へは8月16日から侵略した。択捉島と国後島そして北海道の一部である歯舞諸島と色丹島への侵略は8月28日から9月2日であったのだ。そしてロシアは今もこれらの日本領土を不法に侵略占領し続けている。ロシアが不法占領する「北方領土」は、択捉・国後・歯舞・色丹の4島だけではない!

 

 このようにロシアは相手を騙すために「平和条約」等を結び、油断させ、安心させて、軍事侵略するのである。今独裁侵略者プーチンは反日左翼の安倍首相と共同して、「日露平和条約締結」を掲げて工作を進めている。日本からロシアが必要とする経済協力を引き出してロシアの経済力=軍事力を更に強化するとともに、日本国民を安心させて対露国防を一層解体していき、北海道を侵略占領することをめざしている。日本国民はロシアの尖兵である安倍首相に騙されて、この危険性をまったく認識できなくさせられている。安倍首相を支持して国民世論をつくる保守系新聞の犯罪性は極めて大きい!

 

 ソチは、プーチンのロシアが2014年3月に軍事侵略してロシア領に編入したウクライナの「クリミア半島」のすぐ近くにある町である。そんな町にのこのこ出掛けて行ってにこやかに首脳会談をし、「経済協力計画」も提案した(これはG7のロシア経済制裁決議の主旨に違反する)安倍首相を見て、世界の識者は、日本はロシアのウクライナ侵略・領土略奪を容認していると考える。欧米は侵略国ロシアをG7から追放し、経済制裁を科し、プーチンとの関係を絶っている。しかし安倍首相だけは侵略者プーチンと極めて親密であるのだ。首相はまさしくロシアの尖兵である。だから反日である。

 

 プーチンはソチでの露日首脳会談とその内容をロシア国民(大衆)に見せつけて、近い将来ロシアは日本(北海道)を侵略占領することを国民に告げたのだ。ロシア国民はロシアが締結する「平和条約」が、侵略の前段階に当るものであることを知っている。ロシア国民は安倍首相が「経済協力計画」を提案して「平和条約」を結ぼうとしていることを見て、「ロシアにとって役に立つ日本の首相だ。日本侵略は成功することは間違いない」と考える。

 

 プーチンもメドベージェフ(首相)もラブロフ(外相)も、少しばかり前に「これらの領土(北方領土)は第2次大戦の結果としてロシア領になったものだ。ロシアには返さねばならない領土は1平方メートルもない」と公言したではないか。国際法も2国間条約も否定する侵略国家の姿だ。プーチンは5月20日、ソチでの記者会見で、「ロシアは日本から多く(経済協力)を買う用意はあるが、何も売るものはない」と述べて、日本の経済協力は大いに利用するが、領土交渉で一切妥協することはない。日本を騙すだけだとロシア国民に言明している。

 

 安倍首相は9月にウラジオストクを訪問してプーチンと首脳会談する。ウラジオストクの意味は「東方(つまり日本)征服」である。反日左翼でロシアの尖兵の安倍首相は、日本国民を欺き続けていく。首相は5月6日の首脳会談後、記者団に「今までの停滞を打破し、突破口を開く手応えを得ることができたと思う。プーチン大統領も同じ認識だと思う。この問題は2人で解決していこうという考えで一致した」と語っている。

 

 安倍首相は日本企業にロシアへの大規模な投資や技術協力を促がしていく。プーチンが求め、安倍首相が示した8項目の協力計画は、(1)原油開発や液化天然ガスプラントの新設や増設、(2)極東地域の港湾・空港整備や大規模な農業開発、(3)原子力や情報技術(IT)分野などの尖端技術支援、(4)産業の多様化促進、生産性向上、(5)中小企業の交流・協力の抜本的拡大、(6)観光客や人的交流の抜本的拡大などである。それは日本侵略を目指すロシアを経済的=軍事的に強化していく協力計画である。安倍首相は敵国を支援する侵略者である。日本は安倍首相が推進する「日露平和条約締結交渉」によって、対露国防を益益解体されていくことになる。北海道に配備されている現在でも異常に少ない戦車なども更に削減されていく。ロシアに「どうぞ侵略してください」と言っているに等しい状況がつくられていくのだ。

 

 ロシアはとりわけ択捉島の軍備を増強している。去る3月下旬、ロシアは択捉島に地対艦ミサイルを配備すると表明した。地対艦ミサイル配備が意味するものは、近い将来ロシアは、沿海州、樺太、そして択捉・国後の3方向から北海道を軍事侵略するということである。また択捉島と択捉海峡は、ロシアの戦略原子力潜水艦等の聖域となっているオホーツク海を防衛するための戦略的要衝でもある。択捉島と国後島は昔からの日本の固有領土であるが、以上のことからロシアが日本に返すはずがないのは明明白白である。

 

 反日左翼と反米民族派が、安倍首相を歓迎して批判せず、口をつぐむのは当然であるが、愛国者である保守派はなぜ、断固として安倍首相を批判・糾弾できないのか。それは、高校生程度の知力もないというよりも、原理原則から考え、最高権力者であっても誤っていたら批判を提出していくという、基本的な姿勢が欠如しているということなのだ。保守派は最高権力者批判はタブー、党の方針批判もタブー、ほとんどの国民が支持することを批判するのもタブーという思想性、精神性になってしまっている。「〈法〉の支配」の思想がなくて、「自立した政治主体」たりえていないのだ。こういう思想性では、自分の「思い」(タブー)に規定されて現実が見えなくなってしまう。自分の「思い」(タブー)から見て、「不都合な現実の分析」(安倍首相は北海道をロシアに侵略させようとしている)は、自然に思考が停止してしまって分析できないのである。自分の「思い」に規定されて、都合のいいようにしか現実を分析できない。

 

 読売新聞は5月8日付の「社説」で日露首脳会談を論じた。社説は「プーチン氏は会談で、日露安保協力に期待を示した。日本も、中国や北朝鮮をけん制するため、協力を進める意義は小さくない」とも書いていた。プーチンと同志の安倍首相は2人3脚で、この「嘘論理」をプロバガンダしてきた。ロシアKGB(現SVR)の工作員の中西輝政氏も、この嘘論理を主張してきた一人だ。ロシアと中共と北朝鮮は同盟関係にある。ロシアと中共は毎年合同の対日米の軍事演習をしている関係にある。ロシアの核戦力を含む軍事力は圧倒的であり、中共を恐れてはいない。そればかりか、ロシアは中共の戦力の近代化を支援しているのだ。読売新聞の「社説」も現実が全く見えなくなり、都合のいいようにしか分析できない一例である。ロシアと安倍首相に操作されてしまっている。安倍首相は「日露安保協力」も進めて、日本の対露国防を粉砕し、また日米同盟の形骸化もめざしていく。

 

 首脳会談というものは、相互に訪問して行うものだ。しかしプーチンは一度も来日せず、安倍首相が5回連続して(9月で)ロシアを訪れることになる。世界は「日本はロシアの属国だ」と見る。安倍首相がこれで平気なのは、彼は反日左翼であって、ロシアの尖兵であるからだ。「北方領土」は初めからロシアに貢ぐ考えである。もちろん、独裁侵略者のプーチンなんかと首脳会談すること自体が誤っているのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

●自由主義国の核兵器は露中北朝鮮などの侵略国の核等の兵器から平和を守るための兵器であり、米国は増産すべきで日本も米国から買って核配備すべきである。また西側は米国の核増産を財政支援すべきだ

 

 1、オバマ大統領はG7サミット終了後の5月27日夕方、広島平和記念公園を訪れて「声明」を発表した。安倍首相も同行した。オバマ大統領は「71年前の快晴の朝、空から死が降ってきて、世界は変わってしまった。閃光と火の塊が街を破壊し、人類が自らを滅ぼす手段を手にしたことを見せつけた」で始まる17分間の声明を読み上げた。大統領は「我々のように核の備蓄を持つ国々の間で、核兵器が完全に廃絶される世界を求め、恐怖の論理から脱却する勇気を持たなければならない」と「核兵器のない世界」をめざして努力すべきだと主張したのであった。核を保有する独裁侵略国のみを利する完全に誤った声明である。

 

 オバマ大統領は5月22日放送のNHKのインタビューで、「被爆者に謝罪する考えはない」を強調した。5月27日声明でももちろん謝罪しなかった。それは当然のことなのだ。8月6日の広島と8月9日の長崎への原爆投下によってこそ、主勢力の国家社会主義者とそれに正体を偽装した共産主義者(ソ連を祖国と考える者)が支配した狂信的な軍国主義左翼国家の日本、侵略国家の日本の降伏を早めることができて、米英軍の「本土決戦のための上陸」の前に「ポツダム宣言の受諾」(8月10日と8月14日)となったからである。もし本土決戦になっていれば、「当時の推計で米側の犠牲者は100万人、日本側で数百万人。進攻しなかったことで多くの命が救われたのだ」(元米国防長官ウィリアム・ペリー氏。5月29日付読売新聞)。トルーマン大統領による原爆投下の決断は全く正しかった。オバマ大統領声明には、原爆が日本の降伏を早めはるかに多くの命を救ったとの認識が完全に欠落している。

 

 日本本土進攻を目指し準備していた米国兵士の多くは、原爆投下の知らせを聞き「これで生きて帰国できる」と思ったし、陸軍は原子爆弾であることを隠くして「新型爆弾」と発表させたが、日本国民の間にも広島に原子爆弾投下の噂はたちまちの間に拡がり、もうダメだという絶望的な空気が醸成されて行ったのであった(佐治芳彦『太平洋戦争の真実』286頁。1992年5月刊)。

 

 

 

 

 2、日本政府・大本営(陸軍海軍部)は「本土決戦」を考えており、1945年6月の段階では、米軍は本年9月頃に九州方面にまず来攻し、次に関東に進攻すると判断して準備を進めていた。元大本営陸軍部第二部(情報)長・陸軍中将の有末精三は、「問、大本営首脳は九州決戦の成功によりいかなる政戦両略上の効果を期待していたか」に対して、「答、九州において来攻米軍を撃破し得るかあるいはこれに対して甚大なる損害を与え、かつ日本軍民の強烈なる抗戦意志を知らしめ得たならば、これにより比較的有利な条件で終戦の好機をつかみ得るかも知れないとの希望を持っていた。最小限米軍の関東進攻の計画を挫折させるかあるいは時期を遅延せしむることが出来ると胸算していた」と述べていた(『終戦工作の記録(下)』59頁~61頁。1986年9月刊)。

 

 大本営は本土決戦に在郷軍人(予備・後備)から150万人を動員した。1945年2月から3月に第1次動員、4月から5月に第2次動員、5月から6月に第3次動員である。農村や工場で生産労働をしていた予備・後備の壮年・熟年者が根こそぎ入隊させられた。軍の機構も本土決戦用に改められ、東海地方以東に第一総軍、近畿以西に第二総軍が置かれた。

 

 軍とは別に国民戦闘組織つまり「国民義勇戦闘隊」も編成された。全国民がこれに参加し、米英撃滅に武器をとって戦うというものだ。兵站を担う「国民義勇隊」と「国民義勇兵」に分かれ、後者は年齢15歳以上60歳までの男子と17歳以上40歳までの女子であり、武器をとって上陸米軍と直接戦うのである。しかし正規軍でさえ武器不足のため、国民義勇兵の主力武器は「竹槍」であった。私は子供の頃、母親から「当時の日本人は本当に竹槍で鬼畜米兵と戦うつもりであった」と聞かされたことがあった。

 

 

 

 

 3、「ポツダム宣言」(7月26日に発表された)について書こう。「宣言」は十二項の前段で天皇制度を存続させようとしている。軍隊の無条件降伏であり日本の無条件降伏ではない(十三項)。日本軍は武装解除せられた後、各自の家庭に復帰し平和的、生産的生活を営むことができる(九項)。連合国は日本人を民族として奴隷化したり、滅亡せしめる意図は持っていない。日本政府は、国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去すべし。言論、宗教、思想の自由、基本的人権の尊重は確立されねばならない(十項)。連合国の条件はこれが全てであること(五項)。七項に述べた保障占領は、日本国国民の自由に表明せる意思に従い平和的傾向を有しかつ責任ある政府が樹立せられたら(これは天皇制度の存続となる。十二項前段)、連合国の占領軍は直ちに日本国より撤収する(十二項後段)等々と述べていた。

 

 しかし日本政府・大本営はポツダム宣言のこれらの部分を隠して国民に流したのである。そして日本国民は戦争に負ければ奴隷化される、殺害される、遠くアフリカなどに売り飛ばされる、日本民族はバラバラに解体されてしまうと嘘プロバガンダされて、「1億玉砕」の覚悟で本土決戦を戦うよう洗脳されていたのである。私たちは国家社会主義者とそれに偽装した共産主義者が支配した左翼国家日本の政府と軍部とマスコミを心底から糾弾しなくてはならない。国家社会主義者に偽装した共産主義者は、和平を否定して徹底的に本土決戦を行い、そしてソ連軍を北方から北海道にも侵攻させて北海道をもソ連領とすることを考えた。参謀本部第20班(戦争指導班)の種村佐孝大佐(戦後は日本共産党に入党)などはそうだ。

 

 

 

 

 

 4、次はポツダム宣言の受諾であるが、東郷外相が8月8日午前、陛下に拝謁して、米英の放送は広島の原子爆弾は戦争の革命であり、日本が降伏しなければ重ねてまた原爆を落とすと言っていることをご説明すると、陛下はああいう新しい武器が現れた以上、戦争を継続することは不可能だとはっきり言われた。私が講和を急ぐ必要がありますと申上げると、無論そうだ。速やかに戦争の終末を見るように努力せよ。総理にもその旨伝えよと御言葉があったので、自分はすぐ総理に話をして「最高戦争指導会議構成員会議」(6人)を開催して欲しいと申し入れた。が当日は都合の悪い人があって翌9日の朝から開くとなったのである(『終戦工作の記録(下)』354~56頁。「資料194 東郷茂徳陳述録(十)」)。広島への原爆投下によってはじめて具体的にポツダム宣言受諾へと動き出したのだ。それまでは日本政府は「ポツダム宣言を黙殺する」と発表していた。

 

 

 

 (1)8月9日午前10時半から「最高戦争指導会議構成員会議」が開かれた。鈴木首相、東郷外相、阿南陸相、米内海相、梅津陸軍参謀総長、豊田海軍軍令部総長の6人の構成員の会議である。東郷外相は皇室の安泰のみを留保してポツダム宣言を受諾するのが適当だと述べ、米内海相が支持した。阿南陸相、梅津参謀総長、豊田軍令部総長の3名は、皇室の安泰に加えて、武装解除は日本側が自主的に行う。戦争犯罪人の処分はでき得れば日本側の手で行う。連合国の日本本土の保障占領はできるだけ避け、本土占領の場合は兵力規模と進駐地域を最小限におさえるとの3条件をつけるという条件付受諾であった。しかし連合国が3条件を受け入れることはありえず、これはポツダム宣言を拒否して徹底抗戦する、本土決戦をするの立場であった。

 

 

 (2)8月9日午後2時から「臨時閣議」が開かれた。東郷案に賛成する者が6名、4条件案(「最高戦争指導者会議」で有力であった案)に賛成の者3名、中間に在る者(ただし条件を少なくする意見)5名と分かれた。多数案は「東郷案」である。

 

 

 

 (3)8月9日午後11時50分から「御前会議」(最高戦争指導会議構成員会議を御前で行う)が開催された。8月10日午前2時20分まで。とくにお召しによって平沼枢密院議長も出席した。首相が「東郷案」(閣議の多数案)と「4条件案」(最高戦争指導会議の決定案)を議案としたことを説明し、議論を行った。鈴木首相が「皆十分意見を吐露したものと認める。しかし意見の一致を見るに至らなかったのは遺憾である。事極めて重大なる故、御聖断を仰ぐ以外に方法はないと思う」と述べて、御聖断を仰ぐ旨を奏上す。天皇は「私は外務大臣の案に同意する」と述べられ、決定した。8月10日午前2時20分。

 

 その後臨時閣議が開かれて「東郷案」が了承される。そして8月10日午前6時45分に、連合国宛のポツダム宣言受諾の電報が発出された。「天皇の国家統治の大権を変更するの要求を包含していないことの諒解の下に、ポツダム宣言を受諾する」という電報である。

 

 

 

 

 

 (4)8月12日午前1時前に、米バーンズ国務長官名の「4カ国回答文」(いわゆる「バーンズ回答文」8月11日付)を外務省ラジオ室は傍受する(正式の回答文は後で届く)。東郷外相は「バーンズ回答文」を正当なるものとして受け入れた。天皇陛下もそうであった。ところが梅津参謀総長と豊田軍令部総長は部下から懇請されて、8月12日午前8時半頃そろって拝謁して、我国体の破滅、皇国の滅亡を招来すると申すも過言ならずと確信する次第ですので、4カ国回答文は断固拒否すべきものと思いますと上奏したのであった。

 

 8月12日午後3時から臨時閣議が開かれた。東郷外相が外務省の解釈を説明し、このまま受諾するほかないと説くが、阿南陸相が反対し、武装解除、保障占領の問題も条件として持ち出す必要があると述べた。鈴木首相も反対し、継戦するより外はないと述べた。窮した東郷外相は正式回答文が未着であることを理由にともかく散会に導いた。鈴木首相は閣議終了後の午後9時半、宮中で木戸内府と会談したが、この時内府より天皇陛下はバーンズ回答文の受諾・断行をすすめていることを聞かされて、自らの閣議での意見を変えることにした。

 

 

 

 

 

 (5)8月13日午前8時半から「最高戦争指導会議構成員会議」が開催された。外相の主張を米内海相と鈴木首相が支持した。阿南陸相と両総長が反対意見を述べた。13日午後4時近くなって閣議が開かれた。16名の閣僚のうち阿南陸相を支持する者2名(内相と法相)、他の閣僚はおおむね東郷外相説つまり即時受諾を支持した。最後に鈴木首相が「米国は悪意で書いたものではない。・・・実質において天皇について変更するとあらざるを感じる。・・・大御心はこの際和平停戦せよというにある。私はこれに従いたい。本日の閣議のありのままを申し上げ、重ねて聖断を仰ぎたいと思う」と結んだ。

 

 

 

 

 

 (6)8月14日、鈴木首相は木戸内府とともに拝謁して、御前会議の召集を願い出た。御召しによる御前会議は14日午前10時半から開始されることになった。最高戦争指導会議構成員の6名と全閣僚と枢密院議長が参内した。御前会議は10時50分から始まったが、鈴木首相がバーンズ回答文に反対する者の意見を御聴取のうえ、重ねて御聖断を仰ぎたき旨を申し上げた。梅津参謀総長、豊田軍令部総長、阿南陸相が所信を述べた。3名の陳述が終ると、天皇は「外に意見がなければわたしの意見を述べる。皆のものはわたしの意見に賛成して欲しい」と前置きされたうえ、「わたしの考えはこの前に申したことに変りはない。これ以上戦争を継続させることは無理だと考える」で始まる「御聖断」を述べられた。8月14日午前11時であった。午後1時から閣議が開かれて「御聖断」を追認した。

 

 

 

 

 (7)国民に伝える「詔書」が作成され、8月14日午後11時に発布された(全閣僚が副署した)。そして8月15日正午、天皇がラジオ放送で詔書を読み上げられた。いわゆる「玉音放送」(朕は帝国政府をして米英支ソ四国に対しその共同宣言を受諾する旨通告せしめたり)である。米英支ソには8月14日午後11時にポツダム宣言受諾の電報(東郷外相)が発電されていた。

 

 

 

 (8)陸軍では河辺参謀次長が若松陸軍次官を誘って8月14日午後2時すぎ、「陸軍はあくまで聖断に従い行動す」との「申合せ」を起案して、畑、杉山元両元帥および三長官に諮り、各々署名・捺印を得た。閣議中の阿南陸相も午後3時頃帰庁し、この「申合せ」に署名するとともに、課員以上に対して、「最早陸軍の進むべき道は唯一筋に大御心を奉戴するのみなり」と訓示した。参謀本部でも、梅津総長が全将校に「申合せ」の趣旨を告示した。

 一方、在外軍隊に対しては14日午後6時に、陸軍大臣・参謀総長名で「帝国の戦争終結に関する件」が発電された。「天皇陛下におかせられては四国宣言の条項を受諾することに御親裁あらせられたり。・・・御聖断既に下る。全軍挙げて大御心に従い・・・右に関する詔書〔停戦に関する大命〕は明15日発布せられ特に正午陛下御自らラジオに依りてこれを放送し給う予定なるをもって、大御心の程つぶさに御拝察を願ふ」というものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 5、以上は『終戦工作の記録(下)』からまとめてみた。日本は「本土決戦を断固戦い抜く」としていた。しかし8月6日の広島への原子爆弾の投下、続く8月9日の長崎への原子爆弾の投下によって、人々の間に「もう戦争を続けられない」との現実を直視した思いが生まれたのである。この状況を背景にして、終戦派(和平派)が発言できるようになった。それによって、昭和天皇の「ポツダム宣言受諾(降伏)」のご意思が御前会議と閣議を通して日本政府の意思となり、ポツダム宣言受諾・停戦となり、本土決戦で失われる何百万人もの命を救うことになったのである。

 

 ポツダム宣言(の内容)と広島・長崎の原爆と昭和天皇のご意思が、本土決戦派を抑えて、日本国民(軍民)の更なる犠牲と国土の更なる破壊を回避することになった。それは米軍人などの多くの命も救うことになったのである。広島・長崎の多くの犠牲者は終戦を導いた貴い犠牲者であった。

 

 4月12日付読売新聞に、米軍元戦争捕虜団体会長のジャン・トンプソン氏のコメントが掲載されていた。「戦争を始めたのは日本であり、多くの捕虜を虐待して奴隷状態にしたことを忘れてはならない。・・・原爆は恐ろしい兵器だが、戦争を終わらせるには最終的な強制力が必要だった」。全くそのとうりだ。オバマ大統領の5月27日声明に全く欠落していた思想である。当時の広島はまた有数な「軍事都市」であり、決して「無辜の人々」であったわけでもない。そして広島、長崎の「反核平和運動」は、ソ連・ロシアや中共の核兵器と侵略は等閑に付して、「反米反日運動」としてのみ存在してきていることも銘記されなくてはならない。世界の指導者は「広島」を訪問してはならない。

 

 原爆投下がなく本土決戦に突入していたならば、ソ連軍は北海道にも侵攻することになった。その場合、北海道は1989年の「東欧解放」までソ連領であった。否、今もロシア領のままなのかもしれない。

 

 

 6、陸軍の「幻のクーデター計画」についても少し述べておきたい。8月10日の1回目の「御聖断」があった後から、陸軍の一部に不穏な動きが現われ、8月12日の「バーンズ回答文」を知ってからは、「クーデター計画」が練られていったのである。8月13日夜には次のような計画がまとまった。「(1)使用兵力。東部軍及び近衛師団。(2)使用方針。天皇を官中に軟禁す。その他木戸内府、鈴木首相、東郷外相、米内海相等々の和平派の人たちを兵力をもって隔離す。次いで戒厳(令)に移る。(3)目的。天皇に関する我条件に対する確証を(米国らから)取付けるまで降伏せず。交渉を継続する。(4)方法。陸相の権限内にある局地的、臨機の警備的応急出兵権をもって発動す。(5)条件。陸相、参謀総長、東郷軍司令官、近衛師団長の4者一致の上であること」(『終戦工作の記録(下)』472頁)。陸軍軍務課の国家社会主義者竹下中佐が「クーデター計画」の主謀者である。

 

 8月14日午前10時に決行するとなっていたが、8月14日午前7時、阿南陸相が参謀総長室に入り梅津総長とクーデター問題を話しあったが、梅津総長は反対したため、クーデター計画は不発に終った。「陸軍としてのクーデター」は不発に終った。阿南陸相らは国家社会主義者であるが、ソ連を祖国と考える共産主義者ではなかった。国家社会主義者(天皇制社会主義者)と共産主義者は峻別しなくてはならない。陸軍中枢がもし共産主義者によって支配されていたのであれば、クーデターはいとも簡単に実行できる。

 

 8月14日夜から8月15日未明にかけて、「個人的な第2クーデター計画」が実行されたが(近衛師団内の反乱だ。森近衛師団長が殺害されて、ニセの近衛師団長命令書が出された。8月15日午前2時)、しかし、東部軍によって数時間で鎮圧されることになった。

 

 

 

 

 

 

 7、「核兵器廃絶」のスローガンは完全な誤りで、世界の自由ある平和を破壊し、自由主義国を滅ぼしていくことになるものである。つまり核兵器を持つ独裁国の侵略国、具体的にはロシアと中共が世界を独裁的に支配するようになるのだ。

 

 第2次世界大戦後、最近になるまで長く平和が維持されてきたのは、自由主義陣営のリーダーの米国が高レベルの核兵器を配備して、同盟国とともに、独裁侵略国を封じ込めてきたからである。米国は西欧諸国に地上発射の中距離核ミサイルを配備し、またソ連の周辺海域に海中海上発射の中距離核ミサイルを配備して、ソ連(ロシア)を核包囲してきた。前方展開した核戦力と米国本土の戦略核戦力による「2段階核戦争戦略」で、ソ連(ロシア)を包囲してきたのだ。これによって、ソ連は「東欧を解放する」ことになった。そしてロシアとなった。しかし米国と西側はソ連・ロシアに騙されて、西欧に配備した地上発射の中距離核兵器を撤去し解体してしまった。レーガン大統領である。海から包囲していた核兵器も撤去してしまった。ブッシュ父長男両大統領とクリントン大統領だ。オバマ大統領は2010年4月に「核態勢の見直し」(NPR)を発表した。艦艇から撤去してある核トマホーク(SLCM)の廃棄を明記したのであった。

 

 ロシアと中共が侵略を再開したのも、こうした米国核政策の誤り(削減)のためである。ロシアは新型の核兵器を開発して配備しているし、中共は核兵器も増大させている。独裁国家には各種の自由はなく、だから国民世論などない。核兵器削減や廃絶の主張が、国民の世論となって、政府を規制するのは西側自由主義国においてだけだ。つまり、この主張は独裁侵略国(の核兵器)を支援するものなのである。広島と長崎の反核平和運動とはこれである。侵略国の尖兵である。

 

 ロシアの皇帝プーチンは「ウクライナ危機の際、核戦力を臨戦態勢に置く用意があった」と発言した。「水平線から姿を現したロシア軍のスホイ24戦闘機2機が、海面すれすれの低空飛行で米イージス艦ドナルド・クックの至近距離をすり抜けて行った。米海軍が公表した4月の映像には、バルト海でのロシア軍の挑発行為が映し出されていた。ロシアがクリミア半島を併合した2014年のウクライナ危機以来、こうした一触即発の遭遇が頻発している」(5月25日付読売新聞)。

 

 米国の核政策は誤っている。しかし「核のない世界」をめざすと言うオバマ大統領でも現実としては核弾頭の小型化と運搬手段(ミサイル等)の精度向上に30年間で1兆ドル(約110兆円)かかる核戦力の近代化計画を承認しているのである。ロシアや中共の技術向上に対抗するためである(同日紙)。独裁侵略国の侵略を抑止し、さらには彼らを弱体化していきうるのは、米国をはじめ西側自由主義国がロシア、中共を圧倒する核戦力を保有することである。レーガン大統領が1980年代にやった核戦力の急増強を再び実行していくことである。政策の大転換が求められているのだ。日本も米国から中距離核兵器を十分な量を購入し配備しなくてはならない。「発射キー」は「米国政府との二重キー」にすること。また西側は米国の核戦力の大増強と高性能化を財政的に支援しなくてはならない。これは同盟国の義務だ。米国にのみ負担させその恩恵を享受するのは精神の腐敗の極みだ。

 

 

 

 

 

 

 8、米国共和党の大統領候補指名を確定させたトランプ氏は、プーチンを高く評価している。ISと戦っているというのが理由だ。プーチンもトランプ氏を高く評価する。トランプ氏はとんでもない人物なのだ。彼は「米国が借金を背負ってまで同盟国を防衛する時代ではない。日本への『核の傘』も例外ではない。北朝鮮の核開発に対抗して日本が核兵器を持ちたいなら容認する」(5月23日付読売新聞)とも発言した。これは「米国孤立主義」の考えであり、米国自身にとっても自由世界にとっても極めて危険な考え方だ。これまでの米国の世界戦略・核戦略(核の傘)の大転換になるからだ。だから侵略者プーチンはトランプ氏を持ち上げている。

 もし「米国は日本を核で防衛しない。核の傘はやめる。日本自身で核武装したらよい」となった場合、日本の政治軍事状況では到底核武装できないから、日本はロシア、中共、北朝鮮に侵略されることになっていく。

 

 

 

 

 

 9、侵略のロシア皇帝プーチンは現代のヒットラーであり、スターリンである。そんなプーチンに深い友情を抱く安倍首相は反日主義者でロシアの尖兵だ。日本国民はなぜ安倍首相を糾弾できないのか。「〈法〉の支配」の思想がなく、自立がなく、ほとんど最高権力者に従うだけの奴隷的な在り方である。この日本国民の在り方こそが厳しく批判され変革されていかなくてはならないのだ。

 

 私たちは安倍首相を直ちに打倒していかなくてはならない。首相は「非核3原則、核廃絶」が大好きだ。私たちはまた共産主義勢力(左の反日左翼)や反米民族派(右の反日左翼)との戦いも開始していかなくてはならない。打倒していかなくてはならないのである。日本は核武装をめざし日米核同盟へと高めなくてはならない。日本自身がこのように変わらなければ、米国政府へ建設的な批判的意見は出せない。

 

2016年5月31日脱

大森勝久

 

 

 

 

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