“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅰ)─嘘歴史をでっちあげる西尾幹二(2/2) | 日本人の進路

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左翼全体主義(共産主義)国家化が進む日本。マスコミはどこを向いても左翼ばかり。これでは日本国民が洗脳されてしまうのはくやしいけどどうしようもない。ただあきらめてしまったら日本の明日はない。日本の中、露、朝への属国化が現実のものとなってくる。

“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅰ) ─嘘歴史をでっちあげる西尾幹二(2/2)







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歴史の大偽造屋・西尾幹二


西尾幹二002



反米・親露・親中 主義者・西尾幹二


















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中川八洋掲示板より
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/18/140626





“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅰ)──「東京裁判史観」より百万倍有害な「西尾史観」

 2014-01-31  






 (続き) 







第三節 民族系論客はなぜ、スターリン史観の狂信者なのか──西尾幹二の“狂妄”大東亜戦争論Ⅱ

 二〇〇五年の『正論』誌発表のエセーにもとづき、その三年後から西尾が出版したのが、シリーズ本『GHQ焚書図書開封』である。『GHQ焚書図書開封』とは、かいつまんで言えば、二十一世紀の日本人にマルクス・レーニン主義への回帰を説き、時代錯誤の「社会主義万歳!」「共産主義万歳!」「東アジア全体を共産化しよう!」に傾倒する極左イデオロギーの復活への雄たけびである。

 西尾幹二は、日本を今でも骨の髄まで汚染しているマルクス・レーニン主義が、まったく理解できない。むろん、それらの本を、識別・判別することができない。西尾幹二の知性レベルは、自動車と飛行機の識別ができず、「動くもの」として一緒にする野蛮人並みである。

 だから西尾幹二は、GHQが「市販を禁止し市場から没収させた本」の多くが、教条的なマルクス・レーニン主義の書籍群なのが、とんと理解できない。マルクス・レーニン主義が瞬時に識別できない“哲学超音痴”の西尾は、それなのに感性でマルクス・レーニン主義に傾倒する。小学校の時に共産主義にかぶれた赤い教師に洗脳されたのだろうか。 
 
 










反学問・反歴史の“世紀の有害図書”『GHQ焚書図書開封』をどう焚書するか

 それはともあれ、西尾幹二の『GHQ焚書図書開封』は、“世紀の歴史捏造書”。なぜなら、次のような真赤な嘘を絶対前提に論を立てているからである。

 「(大東亜戦争の)戦意形成の背後を知るに値する昭和史の文書類は根こそぎアメリカに運び込まれたままになっているのが事実のようです」
「<焚書>されて本がなくなってしまったために、戦後を『自分でなくて』生きている事実にすら気がつかなくなっている」(注1、三八頁、四三頁)。 


 いかなる本も、数千部が印刷される。そのうち、「市販禁止本」に限り、おそらく五冊づつほどが米国に送付されたようだから、九十九%は日本国内にそのままある。それがどうして「根こそぎアメリカに運び込まれた」となるのか。嘘としても限度を超えていよう。  
 
 


 また、日本人の人格を形成する書籍は、万葉集や平安文学や江戸文学あるいは過去千五百年間に出版された無数の古典的な歴史関連書である。一九二八~四五年間のわずか十七年間の出版物を読まずとも、日本人の人格形成にはなんら問題はない。しかも、この十七年間ぶんの本は、読もうと思えば、複数の図書館を利用すれば、一冊残らずすべてが読める。それがどうして、「焚書されて本がなくなってしまった」になるのか。事実を愚弄する真赤な嘘話も、ここまでの嘘は聞いたことがない。

 さて、西尾幹二の八冊にもなる『GHQ焚書図書開封』シリーズは、大東亜戦争とその前夜の歴史をあらん限りに歪曲し恣意的に改竄するのが目的。だが、こんな荒唐無稽な嘘の大掛かりな舞台までつくってまで、なぜ歴史の捏造をする必要があるのだろうか。

 答えの一つとして、人格が分裂的に浮遊する西尾幹二が、七十歳になった二〇〇五年を契機に、自分を大東亜戦争とその前夜の「ゼロ歳から小学校児童」であった時代に仮構的に回帰し、対英米戦争をパソコン・ゲーム(蜃気楼)で楽しむ妄想に耽ることにした、と考えれば、西尾の真黒い思考の深層とその著の真相を抉ることができるのではないか。
 


 つまり、大東亜戦争そのものを歴史学的・学問的に考察するのではなく、「読者よ!二〇〇五~一三年の今も、日本は七十年前の大東亜戦争をやっているのだ。帝国陸軍・帝国海軍の対英米戦争を、もっと大声でフレー/フレーと応援したらどうだ!」と檄を飛ばしている狂書、それが“世紀の有害図書”『GHQ焚書図書開封』である。 

 紙幅が足りなくなったので、『GHQ焚書図書開封』全八巻の具体的な解剖は、次回に省察する。ここでは、これらがなぜ、『GHQ焚書図書開封』が、反学問で反歴史の有害図書なのかを、少し説明しておきたい。
 












大衆への教宣本を分別せず読む西尾型の雑想では、歴史は全くの暗闇のまま

 大東亜戦争の真相に迫るには、陸海軍を含めた時の政府の意志決定を詳査して正確に再現する作業をすることであり、当然、最低限、内閣/外務省/陸軍省/海軍省の部内資料を渉猟するほかない。だが、驚くことに、西尾幹二は、これら政府部内資料の引用が全くのゼロ。

 つまり、西尾は、大東亜戦争を意志決定していった政府の、その史料を一点として読んでいない。西尾幹二とは、歴史に関して“超ズブの素人”であるだけでなく、自分なりに歴史を明らかにしようとする最小限の意思もない。

 次に、渉猟すべきは、これらの政府の意志決定に少なからず影響を与えた、当時の三大メディア媒体の『朝日新聞』『中央公論』『改造』は、一九三二年以降、手抜きすることなく読破され研究しつくされねばならない。大東亜戦争を決定し推進した、当時の日本の政治家・官僚・軍人は、これら三大紙・誌を欠かさず読んでいた。
 


 だが、『GHQ焚書図書開封』がとりあげている、一般庶民を洗脳・煽動するための大衆駄本などは、日本国の戦争決定を左右するものではない。それらは、国益に反する「反日」戦争だった大東亜戦争の政府・軍部の決定に対して、良識ある国民が批判や非難をする思考を麻痺させるプロパガンダ本が過半である。

 つまり西尾幹二は、政府の戦争決定の影響を与えた書籍と戦争遂行への批判封じ込めの洗脳書籍との峻別作業をいっさいしない。そのような学問的な発想が、学者ではない“売文業者”で大衆煽動家の西尾幹二には、欠けて存在しないからだ。
 


 学問は、方法論で、その成否が決まる。歴史学は、体系的・分類的な史料分析が生命である。私事を明かすのは趣味ではないが、大東亜戦争の考察・分析にあたって、徹底的に研究したのは、(対英米戦争を御前会議で最初に決定した総理)近衛文麿の側近であった尾崎秀実の検事・予審判事の尋問調書であった。これを踏まえて、尾崎秀実の発表した雑誌論考をすべて読破して、この訊問調書との比較検討をおこなった。ついで、尾崎以外の近衛周辺のかなりの数の知識人(学者・ジャーナリスト)の著作を雑誌論文はもとより(経済学を含めた)学術書にいたるまで、広く深く渉猟した。

 これらの作業を通じて、当時の言語「東亜秩序」とか「大東亜共栄圏」とかの正確な意味を把握した。言葉の意味は、時代、時代で大きく変遷する。だから、大東亜戦争前夜の一九三二~四一年の時代を理解するには、自分の頭を“一九三二~四一年の日本人”に改造するしかない、と考えた。むろん、大衆の日本人ではなく、総理官邸のエリート政治家の頭への転換、陸軍・海軍の中枢で政策を立案するエリート軍人の頭への転換である。後者のためには、『戦史叢書』全百巻を丸暗記しておくぐらいは最低条件である。
 


 ところが『GHQ焚書図書開封』の西尾幹二ときたら、大東亜戦争の意志決定過程について何ら関心がない。当時の国際政治や国際情勢がどうあったかについても関心がない。日本を地獄へと導いた日ソ中立条約や日独伊三国同盟への批判はおろか言及そのものがない。

 この事実は、ソ連(ロシア)やドイツが日本の国防や国益とどう関係していたかなど不在だったとする虚構が、西尾幹二の前提になっているのを示す。すなわち、西尾幹二は、初めから嘘歴史を捏造することを企図し、その手段として『GHQ焚書図書開封』を書いたのである。

 つまり、『GHQ焚書図書開封』は、西尾が表向きにいう「一九二八~四五年の、日本人の歴史再発見」のためではない。意識して「一九二八~四五年の歴史を日本人から剥奪・抹殺するための偽情報・洗脳工作本」として、“ニーチェ的狂気の人”西尾はそれを書いた。 


 GHQの「市販本禁止」などより数千倍も数万倍も過激また濃密に、日本人を歴史の真実から隔離・監禁し、日本人から正しい歴史知見を剥奪するためである。西尾幹二著『GHQ焚書図書開封』は、日本人にとって最凶の危険本である。

(“冤罪捏造”の<西尾史観>と分裂症の妄想・幻覚 ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅱ)へつづく)
 






第一節
1、西尾幹二責任編集『新しい歴史教科書』、扶桑社、二八六頁、二〇〇頁。
2、ルーズヴェルトの署名には米国大統領という「肩書き」がない。また「米国政府を代表して」の語句もない。また、発表されず、秘密だった、副大統領トルーマンすら一九四五年四月下旬、ルーズベルトの死去に伴い大統領に昇格し、ルーズヴェルトの個人金庫を開け初めて知った。卒倒するほどの衝撃を受けたという。
3、ステチニアス/モロトフ/イーデンの米英ソの三外相が、その公的立場で署名した協定。調印後、公表。
4、藤村信『ヤルター戦後史の起点』、岩波書店、一八二~四頁。
5、支那艦隊の後継である英国の極東艦隊(東洋艦隊)は、一九七一年十月三十一日、母港のシンガポールを去り、その歴史に幕を閉じた。私(中川)は、このとき、日本政府がこの式典に特使を派遣しなかったこと、(東京か対馬かでの)英国極東艦隊への感謝と惜別の式典を日本政府が主催しなかったことに、英国への非礼を怒るとともに、自国国防を忘失した日本の病のひどさに愕然とした。「日本は、滅ぶ」、と。
 

6、日露戦争の直前(一九〇二年)、これを意識して対抗したわけではないが、胃腸薬「(忠勇)征露丸」が発売され、当時もその後も、「これでやっとウラジヲストック(日本征服)とバランスした」と日本人は喜んだ。一九四六年に敗戦で、この薬品メーカーは、「正露丸」に商標名を変更した。が、「正しいロシア」など存在しない。「正露丸」の商標はやめてもらいたい。
7、アルゼンチンがイタリアに発注し完成したばかりの二隻の新鋭軍艦「日進」「春日」を日本に斡旋したのは英国だった。しかも、回航にあたってロシア海軍に撃沈されないよう、両艦とも艦長を英国海軍大佐にし、かつ英国海軍の一万四千㌧の当時世界トップの巨大な装甲巡洋艦をセイロン島のコロンボまで護衛した。事実上、英国海軍による日本への回航だった。また、ロシアがチリから購入しようとした軍艦二隻は、英国が急いで高額で落札して、ロシアに売却されるのを寸前に防いだ。
 そればかりか、戦争遂行の財政力がない日本は、日露戦争の戦費の四割を英米二ヶ国での外債によってまかなったが、このとき英国国王はイギリスの資産家を国王晩餐会に招待しては、日本公債の購入を勧誘する営業マンに徹したのである。
8、『日本外交史』第三巻、鹿島研究所出版会、二四九~五〇頁。
9、西鶴定嘉『樺太史の栞』、樺太庁「樺太叢書」第六巻、二四~八頁。
10、秋月俊幸『日ロ関係とサハリン島』、筑摩書房、一七三~八一頁。全国樺太連盟『樺太沿革・行政史』、一四二~五六頁。 
 

第二節
1、文部省社会教育局『没収指定図書総目録』、今日の話題社、六頁。
2、西尾幹二「知られざるGHQの焚書と現代の焚書」『正論』、二〇〇五年九月号、引用頁は本文。
第三節
1、西尾幹二『GHQ焚書図書開封1』、徳間書店、二〇〇八年、頁数は本文。
 

                                      


中川八洋










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