27 石橋湛山の「中共工作員」疑惑に口を閉ざす中西輝政 | 日本人の進路

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左翼全体主義(共産主義)国家化が進む日本。マスコミはどこを向いても左翼ばかり。これでは日本国民が洗脳されてしまうのはくやしいけどどうしようもない。ただあきらめてしまったら日本の明日はない。日本の中、露、朝への属国化が現実のものとなってくる。

27 石橋湛山の「中共工作員」疑惑に口を閉ざす中西輝政





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石橋湛山



石橋湛山02




石橋湛山01






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いしばしたんざん 【石橋湛山】

(1884~1973) 政治家。東京生まれ。早大哲学科卒。東洋経済新報社社長を経て,第二次大戦後第一次吉田内閣蔵相。1956年(昭和31)自由民主党総裁となり,内閣を組織したが,病に倒れ三か月足らずで辞職。日中・日ソ交流促進に尽力。


総理在職期間
昭31.12.23~昭32. 2.25 65日
総理就任時年齢:72歳






石橋 湛山 (いしばし たんざん)
1884~1973 (明治17年~昭和48年)
【経済評論家・政治家】 満州放棄、軍国主義反対を唱えた気骨のジャーナリスト。戦後は政治家として活躍。

大正・昭和期の経済評論家・政治家。東京都生れ。早大卒。1911年(明治44)東洋経済新報社に入社、主幹・社長を歴任。戦前に満州放棄を主張するなど、大正デモクラシー期から昭和戦前期に硬骨の言論人として活躍した。第二次大戦後は、第一次吉田内閣の蔵相として積極財政を推進。47年(昭和22)新憲法下初の総選挙に当選するが、1ヶ月で公職追放となる。その後、鳩山内閣で通産相を務め、鳩山退陣後の56年自由民主党総裁選に勝利。その直後、病に倒れ僅か2ヶ月で辞職。59年訪中し、石橋・周恩来声明は、日中国交回復の基礎となった。



















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27 石橋湛山の「中共工作員」疑惑に口を閉ざす中西輝政



2008年04月22日 17:17








 中西輝政の珍語「チナミンテルン」と奇語「歴史力」から誰でも発想するのは、戦後、毛沢東/周恩来らが対日工作のための敵内前進基地として1950年9月につくった 「日中友好協会」 と、これに参集した日本の毛沢東狂のマルキストたちの群れである。日中友好協会は今も健在の組織だが、札つきすぎて、第一線の工作活動からは少し後ろにいる。第26信で指摘したような、代わりの新しいフロント組織が次々に設立されかなりの働きをしているので、表立った活動は不用になったようである。

 初期の「日中友好協会」の大規模な対日工作に連動して暗躍した政治家の一人が、自民党内の「チナミンテルン工作員」石橋湛山だった。中西に「歴史力」があるなら、 “労農派もどきの隠れコミュニスト”石橋湛山を解剖した歴史学的な論考があるはずだが、そのような研究はどこにもない。中西には、カウンター・インテリジェンスの素養も基礎もなく、その「インテリジェンス・リテラシー」の空洞がばれてしまっている。

 石橋湛山が、戦後、いや今なお、「リベラルのジャーナリスト・政治家であった」と粉飾する嘘宣伝の本が絶えないのは、むろん事実がその反対だからである。石橋湛山は、戦前はソ連に直結する「GRU工作員」であった可能性は高く、戦後は「中共工作員」と「KGB工作員」の両方であったろうことは間違いない。














1、なぜ極左人士のヒーローなのか


戦時中、石橋湛山のソ連との関係を察知したのが東條英樹で、石橋と東洋経済新報社を何らかの法律で検挙しようとしていた。東條の嗅覚は鋭く、スターリンの五ヶ年計画を極度に賞讃し、あらん限りの嘘データを垂れ流した出版物の一つが『東洋経済新報』であった。  

戦後、<石橋湛山の腹心>石田博英(自民党、1946~83年の衆議院議員)は、レフチェンコ証言(1982年7月)でばらされたように、コードネーム「フーバー」というKGB工作員であった。石橋政権の誕生は、石田なしにはありえなかったが、それは「石田・ソ連連合の功績」というべきものであったろう。

石橋湛山のもう一人の同志は、金日成教徒というか「北朝鮮の犬」となった“日本の超極左”宇都宮徳馬(1952~76年の衆議院議員、1980~92年の参議院議員)であった。 『金日成・宇都宮徳馬会談の記録』(1974年)の出版が示すように、宇都宮の共産主義への狂信は半端ではない。なお、河上肇の弟子で共産党員だった宇都宮は、1929年に治安維持法で逮捕されている。



石田や宇都宮と極左イデオロギーで緊密に結ばれた特殊な人間関係を見るだけでも、石橋の思想本籍がマルクス・レーニン主義の血縁筋なのは自明に過ぎよう。「擬似コミュニスト」というならまだ正しいが、それがどういうわけか、<「自由主義者」石橋>という、嘘ラベルが今も繰り返し繰り返しキャンペーンされる。

例えば、日本共産党員だった「北朝鮮人」武村正義と、1990年代「新党さきがけ」をつくった田中秀征は、その著『日本リベラルと石橋湛山』(2004年)で石橋を「リベラル」とする。「労農派もどきのコミュニスト」とか「社会党左派系の準マルキスト」などと正確には決して書かず、さも左翼ではないかに情報操作しているのである。なお、田中秀征とは、社青同の過激学生あがりで、石田博英の秘書をしていたマルキストである。


ともあれ、石橋湛山を宣伝したり信奉したりする人士には、朝総連系の佐高信(『孤高を怖れず』、1998年)など、なぜ極左が多いのか。答えは、石橋が極左だからである。また、共産党も今では石橋湛山を露骨に賞讃する。例えば、共産党員の家永三郎は『日本平和論大系 第6巻』(1993年)で、石橋の説がレーニンの世界共産化に資すると共産党の仲間にしている。また中国共産党員の姜克實は、石橋の永年の“親・中共一筋”の功を讃えて『石橋湛山の戦後』(2003年)を出版した。 『戦う石橋湛山』の著者・半藤一利は、日本共産党以外に投票したことはない熱烈な日共シンパである。












2、「浅沼稲次郎ー→石橋湛山」の系譜


 石橋は、親・中共/親・ソ連/反米を旗幟鮮明にした左翼政治家であった。このことは、日米安保条約反対運動で、社会党に組して、石田博英宇都宮徳馬らとともに、衆議院本会議をボイコットし、日米同盟を露わに反対したことでも明らかだろう(1960年5月20日)。さらにはその直前の1959年9月、のこのこと国交のない当時の中共に出かけて、周恩来と共同コミュニケまで出すという、中共一辺倒/ソ連一辺倒を外交信念として揺がすことはなかった。この訪中で石橋の脇を片時も離れなかった側近が、宇都宮であった。

石橋は、過激な台湾切り捨て論者であって、日華条約に反対し続けた。それは、日華条約を締結して日本の安全保障と自由世界の自由とを死活的に守る「前線基地」台湾を事実上の同盟国とした、日本の国益を真に理解しえた「大宰相」吉田茂の正統外交を破壊せんとする、スターリン系共産主義者の陰謀そのものだった。また、反共・親台湾の吉田路線を継承せんとした岸信介に対する、極左分子としての挑戦であった。



 1960~1年、日ソ協会の会長になった石橋は、露骨に択捉島・国後島の放棄を公言する始末で、ソ連は石橋を「ソ連人」と見做していた。フルシチョフ第一書記は甘い言葉で訪ソを要請し、三年ほど遅れたが1964年、石橋はついに念願のソ連を訪れた。石橋には、国家の主権と自由とが、国土を寸分たりとも守らんとする精神にあることがわからない。固有の領土を棄てる石橋とは、1917年の革命と同時にレーニンの共産ロシアに欣喜した。石橋は、後藤新平とともに、大正期日本の二大“隠れコミュニスト”であった。


 石橋が、鳩山一郎が1956年12月に政権を投げ出した直後、自民党の総裁戦に出馬して奇跡的な勝利を収めたが、藤山愛一郎が華麗なる財閥の御曹司として相続していたあれだけの財産をすべて失ったように(3回の出馬ですった額は、現在価格で約八百億円?)、当時の総裁戦では札束が決定的であった。このため、石橋もまた巨額の現金をばら撒いた。藤山は自分の財産だったが、石橋はソ連と中共から運び込まれた“外国の金”だった。石橋の墓銘碑には、「売国奴」の名こそふさわしい。



 ただ、日本には神様がおられて、この石橋に対して「71日間」で総理の座から追放してくれた。脳梗塞で倒れたのである。もう一人の「中共/ソ連の工作員」大平正芳の1980年の突然死は、石橋の教訓を学んでいなかったのだろう。


 話を先の、石橋の周恩来との会談に戻せば、これは半年前の社会党委員長・浅沼稲次郎を前座とする、「浅沼→石橋」と幕を重ねていく周恩来の対日工作劇の一つであった。この延長上にL・T貿易が始まっていく。

なお、浅沼は、1959年3月、北京で「米国は日中両国人民の共同の敵である」との国辱的な演説をした。1960年10月の浅沼の死もまた、石橋の脳梗塞と同じく、日本の神様が日本を守るために下した天罰であった。日本は、アイルランド人のラフカディヲ・ハーンの言うとおり、「神国」なのかも知れないと当時の日本人の大多数は思った。1960年代までの日本人は、精神において健全で、今のように腐ってはいなかった。












3、恐るべし! 中共の対日謀略工作力


1950年9月に日中友好協会が設立されてから、1972年9月に田中角栄・大平正芳がなした暴挙「日中国交回復と台湾切り捨て」 までの、この二十二年間を振り返ると、周恩来を頂点とする、息の長い恐るべき大規模な対日工作の全容が浮かび上がる。これぞまさしく、「ミュンツェンベルグ・トラスト」など塵ほどに小さく見える、世界史に残る「周恩来トラスト」であろう。
日本の政界・財界・新聞界・学界が、こぞって周恩来の操り人形となって二十二年間、ただ日中国交樹立に向かって踊った無様な姿は、周恩来の対日謀略力の偉大さに驚愕するとともに、日本側に主権国家としてこれにカウンターする対抗謀略力、すなわち「周恩来トラスト」をズタズタに引き裂く、カウンター・インテリジェンスと対抗情報戦との双方が、能力上も制度的にも、いや意識においてすら、皆無であったことをまざまざと見せ付けてくれる。

中西輝政が、仮に学者であれば、中西と瓜二つのガラクタ大学院生を集めた中西ゼミ「情報史研究会」などせず、この二十二年間の「周恩来の対日謀略工作史」などの本当の研究をしていただろう。それをしない中西とは、やはり、日本にカウンター・インテリジェンス力を持たせたくなく、読者をあらぬ方向に誤導すべく、悪意をもって、出鱈目とまやかしとトリックばかりの連載『国家情報論』を書いている。この派生体である『インテリジェンスの21世紀』(2007年10月刊)は、大学1年生が書いたのかと思うほど劣悪・低レベルで、文科系大学院の無駄と全面廃止を痛感せしめる。












4、捕捉;コミュニスト石橋湛山のルーツ


 日本では、共産主義者すべてはマルクス・レーニン主義者だと短絡している。が、例えば、かつての「日本共産党のヒーロー知識人」 清水幾太郎がコントとデューイでマルクス・レーニン主義を完全に代替したように、また丸山真男が知識社会学(ルカーチとマンハイム)やフランクフルト学派でマルクス/レーニン/スターリンを完全に代替したように、共産主義信仰の道には幾多もある。

 石橋湛山は、清水や丸山と似て、その共産主義を(マルクス以外の)デューイとホブハウスから形成している。デューイについては早稲田の恩師(田中玉堂)から洗脳されたようだ。レオナルド・ホブハウスの思想の方は、東洋経済新報社に入社してあとに注入されたのか、はっきりしない。ともかく、ホブハウスの著『LIBERALISM』(1912年)が石橋に色濃い。




ホブハウスとは、“(道徳を含む)精神の進化”を信仰する進歩主義に立ち、スペンサー/コント/ヘーゲルと同類の左翼と理解してよい。つまり、道徳の古来からの不変性において、“道徳の保守”を説くブルクハルトやホイジンガの保守主義とは180度逆の、このホブハウスの論拠において、石橋は、血塗られたレーニンの狂気を共鳴するようになった。ホブハウスの『LIBERALISM』には、我々の一般通念上の自由は不在で、自由否定/自由消滅をもって「自由主義」としていることに注意のこと。

 なお、デューイについて、日本ではプラグマティズムの言葉を額面どおりに誤訳して誤解が広がっているが、デューイは、ダーヴィニズムの延長上に、新種の米国型共産主義の構築をカルト宗教家として実践した人物で、実際にも、アメリカ共産党との関係は強いし、生涯レーニン教徒であった。



 湛山が、1917年6月5日号の『新報』社説「露国の平和促進運動(=共産革命)如何」や、1918年1月15日号の社説「露国講和の結果」で、早々とレーニンとそのボルシェビキ革命を擁護し、それが終生変らなかったのは、上記の思想背景があったからである。この流れで、湛山は、親ソ一辺倒の論考「日露国交回復と将来の希望」(1925年1月31日号社説)も書いている。

 石橋を、(1955年以降とは異なって)1947年当時のコミンテルン系共産主義者(GHQ民生局のケーディス大佐を含む)が同志とは思わなかったのは、このようにマルクス/レーニンの母胎からその共産主義を形成していなかったからである。石橋の公職追放は、日本共産党の密告にケーディスが過剰反応したことによる。宇都宮徳馬は初めから、石橋を(一風変ってはいるが)共産主義者だと正しく見抜いていた。












5、中西輝政の欠陥と失格

 ともあれ、中西大先生! 中共の対日工作のインテリジェンスをするに、解剖する必要のある数十人の人物のうち、たった一人にすぎない石橋湛山だけでも、上記のような該博な教養が最小限不可欠ですよ。「教養=インテリジェンス」の無い中西輝政には、インテリジェンス分野の学者になるには知的欠陥が決定的で失格であることを、もうそろそろ自覚して欲しい。  












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