46 第三次世界大戦を願望する中西輝政 | 日本人の進路

日本人の進路

左翼全体主義(共産主義)国家化が進む日本。マスコミはどこを向いても左翼ばかり。これでは日本国民が洗脳されてしまうのはくやしいけどどうしようもない。ただあきらめてしまったら日本の明日はない。日本の中、露、朝への属国化が現実のものとなってくる。

46 第三次世界大戦を願望する中西輝政






    日本が好きな方はクリックをお願いします 
人気ブログランキングへ














**************************







mixiコミュニティ

http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=3205302&id=37175072





46 第三次世界大戦を願望する中西輝政



2008年11月19日 07:18









四、なぜ中西は、そんなに日本が巻き込まれる世界大戦を祈祷するのか


 中西が世界の多極構造を期待して、米国一極構造の消滅を祈祷するのは、後者の「パックス・アメリカーナ」では戦争が起きず、日本が戦争に巻き込まれて滅ぶ可能性がないからである。多極構造が、グローバルな世界的規模の戦争への道なのは、一九二〇年代/一九三〇年代において証明されている。

 第一次世界大戦が終わり、その後に到来したのは、多極構造であった。一九三〇年代になると世界は、英仏独伊露日米の七ヶ国の多極構造になっていた。このため不安定が加速するし、秩序不安定に乗じて、秩序の再編をしようとの動きがでてきた。ヒットラー・ドイツの「ユーロ・アフリカ大帝国」という妄想であり、近衛文麿の「東亜新秩序」構想におけるアジアからの英米の駆逐という狂気であった。
 


 そして、当時かろうじて存在した弱い“英米による世界秩序”に対して、多極構造を好機にドイツと日本は、その全面破壊を挑んだのである。結果は、ドイツと日本の大敗北であった。そして、ソ連(ロシア)のみ漁夫の利を得たのである。

 この不安定な多極構造が、第二次世界大戦を経て1945年から二極構造となり、さらにソ連が東欧植民地を解放した1989年11月をもって、米国一極構造になったのである。多極構造より二極構造のほうが戦争が少なく、二極構造より米国一極構造の方がさらに戦争は最小限化される。


 だが、中西は、このゆえに、戦争が多発し、日本が戦争に巻き込まれる多極構造を願望してきたし、当然、日本の平和が守られている米国一極構造を憎悪する。そこで、グルジアへのロシアの侵略という、ポスト冷戦期に入って初めてのロシアの「南下」再開に欣喜して、『VOICE』十一月号論考を書いたのである。

 グルジア問題一つが発生しただけで、米国一極構造が崩壊したという、大嘘をでっち上げるのは無理と思ったのか、中西はもう一つ大嘘をつくことにした。それが、次の一文である。


  「この二十年間つづけられてきた<多極か一極か>という議論の答えが出た(=「世界は多極になった」)」(59頁)。  



 だが、多極か一極か、の議論は、この二十年間つづけられていない。そのような議論は1989年から1993年の四年間に限りあったが、四年間は四年間であって、どうして二十年間なのか。また、中西が用いる「議論」の意味は、「予測をめぐる(1989~93年の)議論」ではなく、「選択に関する議論」という意味にすり替えられている。「予測」を「選択」にするとは、悪質なトリック的レトリックである。しかも、世界の構造は、現実の問題だから、「選択」などできないし、そのような次元の問題ではない。この意味では、中西の頭は、どこか変である。

 ポスト冷戦は、多極構造になるのか、一極構造になるのか、の予測をめぐる議論は、具体的には、次の通りであった。
 


一極構造になると断言したのは、1990年末に発表されたクラウトハマーの「米国一極の時代」(『FOREIGN AFFAIRS』)が最も有名だろう。クラウトハマーは、ハーバード大学医学部卒の精神科医出身のネオコンの外交問題専門の論客である。

 多極構造になるだろうと予測したのが、ミアシャイマー(シカゴ大学教授)やブレジンスキーなである。前者は「BACK TO THE FUTURE(未来は過去)」(『INTERNATIONAL SECURITY』一九九〇年夏季号)を、後者は『OUT OF CONTROL(制御不能)』(1993年)を発表した。フランスの評論家ルルーシュも、この一人である(『新世界』、1992年)。いずれも、その発表時期は、1993年までである。中西の「二十年間」という大法螺は、かくも明白である。

 この時期、「多極か、一極か」ではなく、ユニークな論争もある。それが、ヨハネ黙示録の時間の停止論を模倣したフランシス・フクヤマの「ポスト冷戦は退屈な永い平和な時代の到来=歴史の終わり」(1989年)に対する、ハンチントンの『文明の衝突?』(1993年)であった。のちハンチントンは、これを大著に書き直したらベストセラーになった。
 











五、逆立ちした中西の「サダム・フセインのクウェート侵略は<秩序>、米国のクウェートの独立奪還は<秩序破壊(無秩序)>」論の底意


 中西にかかると、黒は白で、殺人鬼は命を救う医者である。中西が精神分裂症である問題はさておき、仮に正常だとすれば、中西は、世界が“法と秩序のない無秩序化(アナーキー化)”を善とか理想とかとの考えを骨子として論を展開している。それが中西の『VOICE』1991年5月号の論考「湾岸戦争に沈んだ新秩序」である。

 サダム・フセインは、ソ連の東欧解放をもって、「安定した米ソ二極対立構造が崩壊する、米国は対外介入主義を止めモンロー主義に回帰する、世界は無秩序化する」と判断し、クウェートを侵略しても米英が軍事介入することはないと判断した。一九九〇年春の英国の雑誌インタヴューに、そう述べている。そして、破綻したソ連経済を立て直す方法として石油価格を吊り上げるべく、フセインにクウェートの石油奪取を吹き込んだのが、ソ連KGBの幹部プリマコフであった。日本でのプリマコフ細胞のチーフが、「KGBの工作員」末次一郎であった。


 しかし、英国のサッチャー首相が、確かにモンロー主義的な思考の持ち主であるブッシュ(父)大統領を何度も説得して、ようやく湾岸戦争(1991年1~2月)を決断させるに至ったのである。この米国の勇気ある軍事行動によって、単にクウェートが救済されただけでなく、ポスト冷戦の新時代が無秩序ではなく、米国主導の世界秩序の時代へと進み始めたのである。新秩序の萌芽である。

だが、「サダム・フセインの生まれ変り」中西輝政は、このように、世界秩序が再起動したことが許せない。イラク戦争に敗北し処刑されたサダム・フセインに成り代わって、今や米国を罵り続けるべく、「反米」キャンペーンを展開している。『VOICE』を刊行している出版会社のPHP研究所の社長は江口克彦で、部落出身の毛沢東主義者でマルキストである。同じマルキストの中西の「新・世界大戦とロシア・中共の日本侵攻」願望に意気投合し、その詭弁と嘘だらけの異常な「反米」論で読者を洗脳させるべく、中西に全面協力するよう社の編集者に命じたのである。
 


 なお、米国が、現実の世界が米国一極構造だと、自覚するのは、ずっと後であった。1999年のセルビア・ボスニア戦争への介入が米国によって解決したときである。2001年に誕生したブッシュ(息子)大統領が、初めて、米国一極構造を前提にした、対外政策を採ることになった。ところが中西にかかると、米国が一極構造に基づく対外単独介入主義になったのを1991年1月の湾岸戦争からだと錯覚している。十年も間違っている。こんな初歩的ミスをするようなものが、学者を名乗ってはなるまい。  








***********************



日本が中共、ロシアなどに侵略されぬよう、日本という国をしっかり守っていきたいと思われる方はクリックをお願いします 
人気ブログランキングへ悪事千里を走る