年々、年の瀬感がなくなっています。
「何だか、毎年、年末って感じがしなくなってさ」。
そんな声をよく耳にします。
ただ、そういう雰囲気にしているのは、意外にも自分たち。
企業や商売人は、あの手この手で商品を売りたいわけですから、年の瀬感を全面に押してきます。
ただ、消費者自体が、面倒なことを年々徹底的に拒み、何でも簡略化。なれば、年の瀬感が衰退するのも当たり前ですね。
松飾り、年賀状、おせち制作…。
簡略化、あるいは、そもそも無し。
時代に関係なく、こだわる人はこだわるのでしょうから、ま、今や、年末年始の迎え方のみならず、季節ごとのイベントの力の入れようは、人さまざま、まさに自由、多様性なんでしょうね。
ただ、本当に世の中が多様性に満ち溢れているかというと、実際はそうではなくて、例えばG.W。
ある情報番組のコメンテーターが、
「G.Wというと、必ず『どこに出かけるの?』聞かれるんです。でも、僕はどこにも出かける予定もなく、家でゆっくりしたい。なんか、G.Wは何が何でも出かけなければいけない、みたいな雰囲気、圧迫感を感じるんですよね」。
私は、何事にも、少数派意見に寄り添う癖がついているというか、自分自身が生来の少数派なので、自分のプライベートに関しては、人に迎合することはなく、あまり人の言うことに影響は受けない方ですが、確かに、そのコメンテーターが言うように、日本は、「少数派が生き辛い」国であることは事実です。
いわゆる、昔で言う、「島国根性」とか、「村八分」。
皆が同じであることを好む傾向は、今も昔も変わらない。
少数派外が生きやすくする術…。
私の経験によると、人の顔色を見ないこと。人から嫌われることを怖がらないこと。これが身についた瞬間、いろんな呪縛から解き放たれ、自由になれます。
人生楽しんだ者勝ち。
若いうち、人に気ばかり遣って、何事も楽しみきれなかった経験から生まれた、我ながら重みのある言葉です。
これからの時代、季節のイベントだけに留まらず、いろんなシチュエーションにおいて、「風情」は、自分流で作っていこうっと。