こんばんは乙女のトキメキ

 

毎日暑いですね晴れ

 

私たちが

「コロナ脳VS非コロナ脳」

「マスク派VS非マスク派」など

くだらないことで

争っている間に

 

企業主体の

スーパーシティ構想が

着々と進んでいます。


何度も書いているように


コロナとスーパーシティ構想のタイミングが たまたま重なったのではなく

スーパーシティ構想(将来的にはムーンショット計画)のためのコロナ騒動ですよ!

 

NTTとトヨタ自動車の業務資本提携で動き出す「スマートシティプラットフォーム」

 

 

本当に

支配者層が考えることは

異常です…

正気の沙汰ではない。。

 

スマートシティって

なんかSFみたいで

ピンとこないですよね。

 

この動画を見ると

支配者層が望んでいる方向性が

なんとなくつかめます。

 

 

 

 

私としては

超監視管理社会である

スーパーシティ構想に

猛反対していきたいので

監視管理社会反対運動を頑張っている

押越清悦さんの

コチラのデモにも

参加します。

ぜひ、お時間ある方は

共に(平和的に)闘いましょうドキドキ

 

 

さて、私としては

マスクをつけたい方に

「外せ」と強要するようなつもりはないですが

意外とマスクに関する情報を知らない方も

多いようですので

今日はマスクの話をさせてもらいます。

 

今、世界中でマスク強制やソーシャルディスタンス反対運動が

起こっています。

 

 

 

どたなかが日本は『コロナ後進国』

表現されていて

まさにその通りだなと笑ってしまいましたが

そんな日本でも

この波は数か月後には来るのではないかな。

 

ちなみに

熱中症の問題もかなり深刻です。

人の目を気にしてマスクをし続けることが

誰かの命を削ることにもなると

私は考えます。

 <

 

 

 

 

欧米がマスクに敏感なのは

『マスクは奴隷の象徴である』という史実を

知っているからだと思われます。

っていうか、日本人が

マスク好きすぎるのかもだけど…

 

いつも大変貴重で面白い情報を記事にしてくださっている

精神世界の鉄人、トーマさんの5月のブログより

転載させていただきます。

 

長いですが

素晴らしいメッセージですので

ぜひ最後までお読みください虹虹

 

元記事はコチラです下差し下差し

『奴隷』

 

 

 

******【以下、転載です】*******

 

マスクというのは、昔の欧米諸国では、「奴隷」の象徴だったそうですね。

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ご主人様に、口答えをした奴隷は、こうやって、口元を拘束され、一定期間、食事ができないようにしたそうです。

その間は、このマスクの拘束具の隙間から、水を飲むことしか、できかったそうです。

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ご存じのように、こうやって、自分の意識ではなく、他人に行動を束縛され、コントロールされる人のことを、「奴隷」と言います。

代表的なのは、アメリカの黒人奴隷ですね。

一般的には、

「白人が、黒人を奴隷にしていた」

という解釈ですが、正確には、

「ユダヤ人が、黒人を奴隷にしていた」

というのが、史実みたいです。

その証拠に、アフリカとアメリカを往復していた奴隷船のオーナーの名義が、公開されていて、その全員が、ユダヤ人だそうです。

 

奴隷船です。

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さらに、その時代の前には、ヨーロッパからアメリカ大陸に移住してきたユダヤ人たちは、最初は、当時のインディアンたちを、奴隷いようとしたみたいですが、誇り高い彼らは、

「奴隷になるくらいなら、戦って死を選ぶ!」

こういう姿勢を見せたので、奴隷にするのを諦めて、虐殺したそうです。

その後、仕方がないので、アフリカまで行き、黒人を奴隷にしたという経緯があるそうです。

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この時の奴隷たちは、首から木製の名札のようなものを、ぶら下げていたそうです。

その名札には、その奴隷の名前が書かれていたそうですが、興味深いことに、そのアルファベットの文字は、全部、大文字だったそうです。

たとえば、普通、「山田太郎」という名前であれば、

「Taro Yamada」

こう書かれるはですよね。

それを、全部が大文字で、

「TARO YAMADA」

だったそうです。

全ての文字が大文字、それが、「奴隷」の象徴だったそうです。

 

そうです。

現在でも、私たちの財布の中に入っている、プラスチックのカードる、「クレジットカード」のルーツが、これなのです。

もちろん、便利な道具なので、私も使いますが、これの月末の支払いに振り回されている人たちは、やはり、現代の奴隷なのです。

逆にいえば、振り回されずに、自分が主導権を握って、効率よく、適切に使っていれば、奴隷ではありません。

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これは、当時の奴隷たちの皮膚に、刻印された焼印です。

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どうですか?

こういう歴史、知っていましたか?

こういうことを知っているのと、知らないで、生活をしているのでは、社会を見る目が、全く違うと思います。

私たちは、学校教育などで、こういう真実を、全くといってもいいほど、教えてもらえなかったのです。

 

 

ちなみに、古代の中国では、

「民」という文字は、「目を針で刺されて、盲目になった人々」

こういう意味だったそうです。

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現在でも、「民」という文字は、象形文字として、その意味が隠されています。

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さらに、「奴隷」という文字の語源は、こういう文字だったそうです。

「奴」という文字です。

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「隷」という文字です。

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これは、さらに、古い文字では、こうなっていたそうです。

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この「奴隷」という文字は、いろいろな意味に解釈できるので、あえて、細かい解釈はしませんが、いずれにしても、古代においては、「生贄」や「悪崇拝」とも関係していたことは、明白ですね。

 

 

他にも、こういう知識も、紹介しておきます。

 

「家族」というのは、基本的には、とてもいいものだと思います。

お盆や正月に、実家に帰って、自然体の自分に戻って、ほっとすることも多いですね。

家族の仲がよくて、それぞれがお互いを尊重して、自由に生きられる家庭なら、素晴らしいのですが、逆に、「家庭」が、束縛の源になり、不自由で苦しんでいる人もいると思います。

 

英語の「 family 」の語源を調べると、その歴史は、 15 世紀に遡り、ローマ人が使っていたラテン語の「 famulus(奴隷、召し使い)」が語源だそうです。

「famulus 」が、「 familia(召し使い、および親族と召し使いを含む世帯メンバー)」に変わり、そして 「family 」となったそうです。

「family 」が、「血縁がある」「一緒に住んでいる」 の意味で使われ始めたのは、17 世紀からだったそうです。


「家族=奴隷」

この二つの単語が同じ意味だった時代も、あったのですね。

 


(中略)

 

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私は、この場面を見て、現代も、ほとんどこれは変わっていないということを感じました。

なぜなら、その当時勤めていた会社の部長さんなどが、故郷に勤務し、家を建て、ローンを組んだとたん、

「もう辞められないぞ。もう逃げられないぞ」

とばかりに、別の土地に赴任させ、単身赴任を強いて、せっかく買った家にも家族にも、正月とお盆くらいにしか会わさないということを、平気でやっていたからです。


昔のアメリカの奴隷たちも、あまり、

「自分たちは奴隷だ」

という意識はなかったそうです。

それどころか、リンカーン大統領が、「奴隷解放宣言」をやった後も、
「どうせ、自分たちは、他になにもできない。やはり、前の主人に、もう一度雇ってもらおう…」
こう言って、また自ら奴隷の身分に、希望して戻ってきた黒人もたくさんいたそうです。

こういうのを、「奴隷根性」や「本当の洗脳」というのかもしれません。


動物園などで、大きな象の一つの足を、太いロープで杭に縛りつけておくと、最初は、このロープと杭から逃れようとして、さんざん暴れるそうです。

しかし、その後、飼育係が、このロープを外しても、その大きな象は、
「どうせ、自分は動けっこない。ずっと不自由な身なんだ…」
こう思い込んで、その場所から動こうとしないそうです。


現代の日本のサラリーマンは、この「動けない大きな象」になっている人が、あまりにも多すぎるのではないでしょうか?
ちょっと、自分の視点を変えただけで、「大きな自由」を獲得できると思います。
もしかしたら、後世の歴史家たちは、私たちが現在生きている現代の社会のことを、
「21世紀は、多くの人々が、自由を奪われていたにも関わらず、そのことにも気がつかないくらいに、社会的な洗脳が行われていた時代だった」
というふうに、表現するかもしれません。

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サラリーマン時代の悪い思い出のほうを、たくさん書いてしまいましたが、楽しかった思い出もたくさんあります。

特に、たくさんの人々と協力しながら、仕事を終え、皆で打ち上げで、お酒を飲んだりしたことなどは、とてもいい思い出です。

会社勤めにも、利点はたくさんあるのです。


私が、その会社を辞めたのは、一つは、最初に入社するときに、目標を、ある程度達成したからだというのも、理由の一つでした。今、会社を辞めようかどうか、転職をすることを考えている人たちは、この「初心を思い出す」ということを、ベースに判断するといいと思います。
つまり、最初の初心を達成したり、現在の状況が、その初心を貫徹するという目的から、あまりにもかけ離れている場合は、変化をしたほうがいい時期だということです。


前述のように、「職場」は、一日の時間のほとんどを費やす空間です。

そして、自分の人生の中で、ほんとうに輝ける時間というのは、案外短いということです。

ほとんどの人が、25~55歳ぐらいが、体力的、精神的、気力的にバリバリ働ける期間だと思います。

30年ぐらいなのです。

その中でも、ほんとうに、光り輝く時期は、20年ぐらいだと思います。
その20年を、グチグチと不平不満ばかり言って過ごすのか、本当の自分になり、光輝くのかは、本人の選択に任されているのです。
 


今、自分がやっている仕事を振り返って、自分自身に聞いてみてください。
「自分は、こういう仕事をするために、この世界に生まれてきたのだろうか?」
どのような行動を起こすかは、「今日の自分」が決めるのです。

そして、「今日」が、「未来」を決めるのです。

 

*****【転載は以上です】********

 

 

奴隷として生きるのか

自分自身として生きるのか

 

未来を決めるのは

今日のあなた自身です。