コロスケの思う事2
次に②の女性ダンサーが登場する場合について。
「チーム遊助」の中で男性ダンサーと女性ダンサーについては上地の視点は違います。
男性ダンサーはかつて上地がヒップホップダンスをやっていた頃にすでにトップクラスにいた人たちであり、尊敬やあこがれだった気持ちが強いでしょう。
女性ダンサーの書き方は、ドラマの撮影現場で頑張っていたADの子や事務所に入って2年くらいの子たちに対するのと同じような目線です。
キャリアはともかく年齢的なものもあるかもしれません。
しかしADの女の子がブログに書かれてもファンは過剰な反応をする訳ではありません。
この違いはダンサーの言動の一部がファンに見えるところからきていると思います。
一部のダンサーが書いているブログや、一般の人もたくさんいる花見に誘うとか、ちょっと非常識な部分があります。
もう一つ、ダンサーたちとの飲み会などの様子を読むと、ダンサーたちの意識に「チーム遊助として遊助を盛り上げていこう」という空気があまり感じられない事があると思います。
その部分が欠如しているから「馴れ馴れしい」とか「利用だけしているのではないか」という印象を持ってしまうのではないでしょうか。
仲間であろうと上地が芸能人である事への配慮も足りないのでしょう。
ダンサーの中にはキチンとしている人もいますが、一人でもそういう人がいれば全体がそう見られてしまいます。
「嫉妬心ではないか」と言う人もいますが、嫉妬心というのは自分より優れている人にするものです。
もし女性ダンサーに嫉妬心を持つのであれば上地の身近にいるというくらいで、それだけでは大した事ではありません。
「チームとして共感できない人が上地の身近にいるから」というのが正解であるように思います。
この部分が上地とファンとの行き違いの原因であると思います。
問題の根本は上地のブログではなく、「神児遊助」に書かれた事で触発されただけです。
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コロスケは上地が100%完全な人間だと思っている訳ではないので、このケースに限らす「今日のブログは共感できない」と思う事はたびたびあります。
別にその時のブログはスルーするのではなく、「へー」と思って読んで終わりです。
上地雄輔という全体からすれば些細な事だからです。
このブログを書いたのはコロスケの意見に同調してもらいたいからではありません。
批判している人の多くが感情的になったり誰かの意見に左右されたりしているように見えるからです。
また、批判はしなくても何か「もやっ」と感じた人もいるでしょう。
自分で考えて、自分なりの答えを見つけないと、また同じ事が繰り返されるだけだと思ったからです。
このケースに限らす、自分にとって大事な物は何か、大切なモノは何か、「自分で考える」事が必要なのでしょうないでしょうか。
結局は上地の問題ではなく「自分の問題」なのだと思います。
久しぶりに説教臭いブログを書きました(笑)。
コロスケはまだまだ上地を応援し、また芸能人としての上地を楽しみたいと思います。