コロスケの思う事1
未だに先週のダンサー登場ブログの余波があるんですね。
コロスケはこれについて長いブログを書いたのですが、ブログの操作ミスで消してしまいました(T_T)
もう一度書くのに時間がかかりますが、やはり書いておいた方がいいのではと思ったので書きます。
長いですので、どーでもいい方は、もう読み飛ばしてください。
ダンサーのブログに対するファンの反応というのは毎回同じような批判が繰り返されます。
批判はしないまでも「もやっ」とした人もあるかと思います。
なぜそうなるのか、コロスケなりに考えたことを書いてみます。
まずなぜ好ましくないような印象が持たれるのか。
この元は2つあると思います。
①ブログの中で「チーム遊助」が強調される場合
②さらにその中で女性ダンサーが登場する場合
①と②は似ていますが、根本が違います。
これは「チーム遊助」の中で女性ダンサー以外が登場した時にはこれほど過剰な反応が起きません。
つまり②の反応は別物です。
まずは①の「チーム遊助」が強調される場合から見てみます。
おそらく、これのルーツは、上地が「電車の運転手」や「車の運転手」と例えたブログでしょう。
やがて「海賊船の船長」となり、「チーム遊助」へと移っていったと思います。
コロスケが苦手なのはこの部分です。
当初はなせそんな事を書くのかあまり理解できませんでした。
今は自分なりにわかってはいるつもりですが、それでも苦手には変りありません。
最初に「運転手」のブログが書かれたのは2008年の夏、めちゃくちゃに忙しかった頃です。
自分を取り巻く環境が激変する中で精神的にいかにバランスをとるか苦しんだ年でもあったでしょう。
「運転手」のブログはその方法の一つであったと思います。
それは上地が野球を通じてキャプテンであったりキャッチャーであったりした経験に裏付けされたものだからです。
「ごくせん」の時にも「リーダー」と呼ばれ、俳優仲間に気を配ったりまとめ役をやっていたのも同じでしょう。
あまりにも多くのファン、しかもさまざまファンが付いた事への対応として、「運転手」ブログがあったのだと思います。
この時期、何度かコメント欄が荒れた事を考えるとこういった「リーダーシップ」にも似た手法しか取りようがなかった気もします。
翌年から遊助として、ブログ以外にも自分から発信する場を得ました。
彼の中に「どうやって物を作り上げ、ファンに提供するか」という仕事が加わります。
上地自身、歌も上手くなければ音楽の知識もありません。
歌を作品として送りだす為に上地をメインとした人々の集まりが「チーム遊助」でしょう。
つまり歌でもライヴでもPVで作品として送りだすものは「チーム遊助」の産物という事でしょう。
上地が「表に出るのはオイラかもしれないけれど、オイラ一人では何も出来ないから」という所以はそこだと思います。
このあたりから、「食い違い」が出始めたのだと思います。
ライヴなどで関わる人たちが多くなった事で、ブログ自体スタッフも読んでいるだろうという面も加わりました。
上地の方針のようなものが強調されるあまり「オレ様風」ともとる人もいるでしょうし、チームとしての気持ちみたいものを「ファンの方に目が向いていない」と読んだ人もいるでしょう。