~中略~

Y氏を霊媒にして鎮魂帰神法を行った際の問答。

 

 

あなたはなんですか?姿は?

「人であります・・・・・。元のままの姿でいます。」

お名前は?

「常次郎、常次郎」

常次郎?

「この肉体(Y氏)の親でございます。」

どうしたんだ?

「東京牛込区箪笥町で死にました。」

いつ死んだのです?

「明治41年8月24日」

なぜその肉体に懸かっていますか?

「この肉体を東京に連れ出したいと思っています。」

何のためにですか?

「私は浮かばれません。墓がありませんので、墓を立ててもらいたいがためです。」

どうしてそんな情けない状態にになった?訳があるでしょう。遠慮なく話してごらん。

「私は大阪で失敗しました。その挙句・・・・あぁ悪うございました。悪うございました。実は失敗して家屋敷を売り飛ばし、東京に逃げていきました。そして東京で肺病で死にました。」

その肉体(息子のY氏)をどう始末して行ったのです?

「悪うございました。悪うございました。実は妾を連れて逃げていきましたので、妻や子供を捨てていきました。」

妾はどうしたのです。?

「妾は南地(ミナミ)の太棹芸者でございましたが、私の死んだ後で金をすっかり持って逃亡してしまいました・・・・。今はどこにいるか存じません。」

そうかね。ずいぶん悪いことをしたものだ。それはそうと肺病はどうなりました。人は死んでも姿はそのままにあるというが、病気はどうなるんです?

「死んでしばらくの間は病気がやはり残っていますけど、(死後しばらく経過すると)すっかりなくなって仕舞います」

あなたはどんなところに住んでいる?

「薄暗い地面のじめじめしたところにおります。」

現界に例えるとどんなところですか?

「左様ですなぁ・・細長いような・・・・まぁ井出川の辺とでもいうようなところです。」

どんな連中がいます?日本人ばかりですか?

「見渡したところでは日本人ばかりいるようです。」

どんな着物を着ております?

「大抵一枚着ております。私は縞の袷着物を一枚きりで着ております。」

初めから?

「いいえ、死んでから3日の間は死んだときに着せられたままでいましたが、3日目に家に帰って箪笥の中から私の好きなのを取ってきました。」

その場合は現界においてはどんな風になって現れますか?

「現界ではそのまま物質が残っていることになります。誰も気づかずに着ているでしょう。」

何か欲望は無いのかね。

「腹が減って仕方ありません・・・・・祀り手がいないので、ひもじい思いをしております・・・・・・探し回って食べております・・・・・または人の分けてもらったりしています。」

それから?

「水を供えていただきたいです。水はありますけれど汚のうございます。」

あなたがいるところより、もっと悲惨なところは見たことはないですか?

「・・・・・・小さいドブのようなところに多数苦しんでいるのを見ました。」

寒くはないか?

「私のいるところは暑さ寒さの感じはありません。ただ、薄暗いところです」

普段は何をやっている?

「朝も晩もありません。習慣で日数がわかるだけでして・・・・まぁ3日ほど起きていて、1日眠ると言う具合です。しかし私は墓がないので寝床がありません。」

と、ざっと衣食住の状態を物語った。

 

 

すべて生前の生活階級などは死とともに一旦棒引きされて、幽界に入っては何の権威もなく、幽界はもっぱら霊の因縁、生前の罪科、積徳の程度がひとつひとつその境遇を左右するのである。

 

 

Y氏の亡き父は以上の話によりてはまだ比較的罪科が少ないものと思われる。

 

幽界人の寝床が墓所であると知ったなら世間にはそれを怪しむ人が少なからずいるでしょう。濡れ手で粟を掴むようなずるい金儲けをしても第一気の向くのは別荘を建てたりやお妾さんのことで人生で祖先の墓や祭祀の事はよほど正しく観念を失わない人でも、第2第3の後回しとなり全てが自己中心の虚栄虚飾のみに憧れるのが現代人というものです

 

このような人々の祖先は歯痒いことであろうとお察しする。私はさらにこの霊に問いを続ける。

 

 

 

それではあなたは放蕩生活をしてるようなものか?

「はい、全く左様でございます・・・・・・・。」

いつまでそこにいるのかね?

「私にはわかりません。中には100年200年といるという人もいます。すべて自分の事は自分でしなければなりませんけれども・・・・・・。」

世の立て替え立て直しのあることを聞きましたか?

「はい、顔役から大立替えがあって、今後は大変規則が厳しくなるという事だけ聞きました。」

顔役というのはどうやって普通の霊と区別する?

「上級の方は出会うとすぐわかります。自然に頭が下がります。」

あなた方はどうやって移動するのです?

「足でも歩くのですが、遠方へ行こうと思うと、何かしら持っていってくれるような気がいたします。そして行きたい場所に行くことができます。」

家にはどうやって入ったのですか?

「隙間を覗いて入りますので、自由には入れません。」

何か他に望みないのか?

「そのほかの欲は少しもありませんが、先日家に行きましたらこの肉体の母親が今年は13年の法要するとか言っておりましたが、どうぞよろしくお取りなしをお願いいたします。」

法事さえすればいいのか?

「菩提寺に祀って欲しいのでございます。先祖代々の墓に一緒に祀ってもらいたいのでございます」

なぜこの肉体に懸った?他に頼む人はいないのか?

「この肉体に兄がある事はありますけれども、それは義理の子供でございますので」

義理の子?

「この肉体の母親が連れ子して私のところへ嫁いできたのです」

この肉体はあなたのことを知っていますか?

「いいえ、息子であるこの肉体は当時まだ子供でございましたから、何も存じておりませんません」

そうか。それでは後でよく相談して仏などとは違って神様に祀ってあげよう。

「え!?神様に!?」

とY氏の肉体はびっくりした表情をして前に乗り出してさも嬉しそうな様子をする。

 

後で、その肉体によく言い聞かせて浮かばれるようにしてあげましょう。・・・・・もう他に欲望はありませんかね?

「何もありませんが、腹が減っております。ご飯とお水が一番宜しゅうございます。」

あなた方は体は生前と大きさが違いますか?

「小さい位牌に入れるような程度までは小さくなりますが、普段は生前のままで私は42歳で亡くなりましたので、その当時のままの姿でおります。」

それでは話はあらかたわかりました。その肉体に説いて聞かせるからあなたも今後は改心してその肉体を善に導くようにしない・・・。よろしい、静まりりなさい。

 

 

しばらくしてY氏に憑依した父の死霊は静まってしまい、Y氏は目をパッチリと開けた。

 

 

Y氏曰く「不思議なものですな。自分でも妙なことを言うなと意識もはっきりしていて、端から第三者の自分を明瞭に意識して傍聴していました。実際不可抗力な力が加わりまして勝手に口が開いて様々なことを言い出すので抑えようと思っても出来ず、とうとう最後まで喋りました。すっかり感心いたしました。」

 

 

Y氏はなおも話を続けて、「実は今だから話しますが、私は3歳の時父親と別れたそうで、父親については何も知りませんでした。そのことを母親に尋ねても何も話してくれませんので、私は家庭の紛糾については何も知りませんでしたが、今日初めて亡き父のことを承り初めて今までわからなかった父の消息が分かりました。それではお祀りするように帰って母に相談いたしましょう。

 

~後略~

 

霊界消息 神秘の扉

 

 

これは大本教が運営していた大正日日新聞社において行われたプライベートな鎮魂帰神法の実演の一幕ですが、極端な物質主義者のY氏を霊媒にして鎮魂を行ったら思わぬ結果(3歳のころに蒸発した亡父が懸かってきた)になった一例です。

 

 

Y氏が3歳の頃に父は大きな失敗をして愛人とともに故郷の大阪から妻子を捨てて東京に行き当地で肺病になって死にましたが、そんなろくでもない人生を生きているわけですからまともに祀ってくれる子孫がいるわけありませんし、死後に赴く境涯もあまり良いものとは言えません。

 

 

そこでさまよった挙句3歳のときに捨てた息子に憑りついて東京に自分の墓を建てさせようとするのですが、思わぬところでこのような結果になったというわけです。

 

 

目的を果たすために憑依した子孫を病気にして自分の目的を果たそうとする先祖、あるいは他人も多々います。

 

この手の話はいくつかありますが、下記の古武士霊は語るは有名です。

 

 

 

 

 

江戸時代に無念の切腹自殺を遂げた加賀藩の武士が地縛霊となって苦しみ、自分の居場所を作るために石碑の建立を願って多くの人に祟り、凶事を起こし、人を病気にし、時には死に追いやって、紆余曲折を経て念願の石碑を建ててもらう実話です。

 

 

このY氏のケースでは(まだ)病気にはされていませんが、有名な古武士霊は語るは実際に憑りついた人間を病気にしており、自殺したり、生前善行を積まずに生きてきた霊で地縛霊になった者の中には自分の居場所を作るという目的(墓を作ってもらうとか、石碑を立ててもらうとか、神として祀ってもらうなど)を果たすために子孫や無関係の人を病気、不幸、例えば仕事で失敗させたり、夫婦を不妊にしたり、色々と気付いて欲しいがゆえにあらゆる手を使います。

 

 

肉体があれば言葉を交わすことが出来ますが、それが叶わないためそのようなあまりよろしくない方法を取るしかないからです。

 

 

この亡父は生前そこまでの残虐な極悪人とは言えないものの、妻子を捨てて愛人と蒸発するくらいですから決して立派な人間とも言えないでしょう。

 

 

死後もそれに相応しくちょっと暗い程度の境涯にいます。おそらく生前に死後の世界のことを何も知らずに物的な快楽のみを求めて生きた物質的享楽主義者であり、倫理観もあってないような現代人に多そうなパターンです。

 

 

物質的な肉体がなくなった以上食べる必要はないのですが、食べないければ体が維持できないと思い込んでいるために幽体になってからも飲食をし、また睡眠もします。

 

 

つまりこういった地縛霊になってしまった死者にはこのような衣食住の特に食と住を残された地上人が提供してやる必要があるということです。そうすればそれを土台にして死後向上の努力をすることが出来るからです。

 

 

○私の家ではこうしています。

 

参考にならないかもしれませんが、ある程度の年齢になれば親や祖父母、先祖代々の霊を祀るということをする必要があるかもしれません。

 

私個人としては自分の親や祖父母、先祖代々の人物がどういう人間であったのかを詳しくは知りませんが、全員が全員神のように立派だったとはとても思えませんので、家では小さな祖霊社を祖先の浮かばれない霊のための家として用意し、霊璽の板(祖霊の依り代)として名前(神号)を書いて、毎日朝夕に小皿にお米とお塩、そして水と火を供えています。

 

たまにちょっとしたものを要求されることはありますが(布や木材を要求されたことがあります)、これで衣食住のうち衣食は手に入るので本人たちが努力する最低限の土台があるわけです。あとは神社での祖先祭にも申し込んだりしています。

 

○墓について

 

Y氏の亡父は最初「墓を建てて欲しい」と言っていますが、途中から「先祖代々の墓に一緒に祀ってもらいたい」にシフトしています。

そしてさらに神として祀られることに歓喜して受け入れています。神としてということは祖霊社になるわけですが、自分の居場所(寝床)がないので作って欲しいというのが趣旨であり、それが叶えばどんな形でも良いという風に受け取れます。

 

要するにホームレスなので家があればなんでもいいわけです。

 

 

ここでは「私は墓がないので寝床がありません」と述べていますが、死者の全員が墓に留まるわけではなく、生前強く墓に鎮まるぞ~と意識して死んだ人や墓地を好む人、あるいはもっと明るい楽しい境涯に生前の行いのせいで進むことが出来ず致し方なく墓地に留まる(そこしか居場所がない、もっと良い場所に行きたくても不可能)など色々のようです。

 

 

要するに地縛霊になってしまう人たちであり、本来は肉体が滅びた後はより上位の指導的な立場にある霊に導かれて地上圏を離れ天国的境涯に進むのが人間の本分ではあります。

 

 

しかし、この点においては、近代の日本人はあまり優秀ではないらしく、生前の不道徳な行為や物質万能主義によって霊的なことを全く理解していない人が多いため地縛霊になってしまう人が多いそうです。

 

 

そういった人たちは地上圏の幽界で本来地上生活中に学ぶべきことだった霊的な事柄を学んだり、あるいは精神統一などの修行を積んだり、未練や後悔などを何とかしたいと地上で足掻いたりします。

 

 

そういった地上圏の幽界生活において私たちが衣食住を必要とするように地縛霊たちも

同じように食事(これは霊の進歩度合いによる)や住む場所を求めるわけです。

 

 

江戸時代の霊界通信である幽顕問答を引用します。

 

幽顕問答

 

宮崎氏「帰幽せる霊はみな各自の墓所にのみ居るものか」

 


 「常に墓に鎮まりたるは余の如く無念を抱きて相果てし輩か、あるいは最初よりその墓に永く鎮まらんと思いを定めたる類にして、その数いと少なし。多くの霊の赴く先は、霊の世界のことゆえ言葉にては告げ難し」

大門 「墓所に居らざる霊はいずこにて供養を受くるや。彼らもその供養の場を訪ねるものか」

 「地上にて幾百年も引き続きて行い来れる祭りごとは、幽界にても大体そのごとく定まれるものなり。されば勝手に月日を改め、そのことを霊に告げずして執行すれば、それがために却って凶事を招くことあり。なぜと言うに、霊がいつもの期日を思い出し、祭りを受けに来るに、すでに済みたるを知り不快に思うが故なり。

 地上にて同時に数カ所にて祭祀を行う時には、霊は数個に別れてそれぞれの祭場に到り、祭りを受くるものなり。たとえ百カ所にて祭るとも、霊は百個に別れて百カ所に到るべし。

 もっとも、余の如き者の霊(地縛霊)は一つに凝り固まりて、その自由は得難し」

 

(中略)

 

大門「切腹してのち、そこもとは常に墓所にのみ鎮まりたるか」

 「多くの場合、墓所のみに居たり。切腹のみぎりは一応本国(加賀)へ帰りたれど、頼りとすべき地もなく、ただただ帰りたく思う心切なるが故に、すぐに墓所に帰りたり」

大門 「本国へ帰らるるには如何にして行かれしぞ」

 「行く時の形を問わるるならば、そは、いかに説くとて生者には理解し難し、いずれ死せばたちまちその理法を悟るべし。生者に理解せざることは言うも益なし。百里千里も一瞬の間にて行くべし」

 

(中略)

 

宮崎氏「墓所に居らざる霊魂はいずこにて供養を受くるか。彼らもその供養の場に訪れるものか」

 

霊「地上にて幾百年も引き続きて行い来たれる祭り事は幽界にてもだいたいそのごとく定まれるものなり。されば勝手に月日を改め、そのことを霊魂に告げずして執行すれば、それがために却って凶事を招くこともあり。

 なぜというに、霊がいつもの期日を思い出し祭りを受けに来るに、すでに済みたるを知り不快に思うが故なり。

 地上にて同時に数カ所にて祭祀を行う時には、霊は数個に分かれてそれぞれの祭場に到り、祭りを受くるものなり。たとえ百カ所にて祭るとも、霊は百個に分かれて百カ所に到るべし。もっとも余のごとき者の霊は一つに凝り固まりて、その自由は得がたし。」

 

(中略)

 


大門 「さらば人間界において弔祭(供養・祭礼)など催すも、幽界には通ぜぬことにならずや」

 「なかなか然らず。考えてもみられよ。
神を祀り魂を供養するは、たとえ人間界の催しとは申せ、そはみな幽界に関わることにあらずや。故に、祭祀は神にも通じ霊にも通ずるものなり。金銭のやり取り、婚姻等の俗事は穢わしければ、神霊はこれを見聞きするを避くるなり。霊となりては衣食ともに不要なるが故に欲しきものもなく、ただ苦を厭い楽しみを思うのみなり。

 さて祭事を行うに当たり、人々俗事を忘れて親しく楽しむ心は幽界に通じ、祀られし神霊もこれに感応して喜ぶ。喜べは自然に魂も大きくなり、徳も高くなり、祭りを行いたる者も幸福を受くるものにて、人間界より誠を尽くせば、その誠よく神霊に通ずるものなり」

 

 

古武士霊は語る 新装版: 実録・幽顕問答より

 

 

 

趣旨をまとめると下記のような感じです。

・墓に留まる霊は非常に少ない。

・無念を抱いて死んだか、墓所が好きな人のどちらか。

・ほとんどの霊は死後地上圏を離れて幽界に進む。

・幽界にいても人間界からの死者を思う気持ちやお供えは届く。

 

続きます。

 

大門 「墓所に居らざる霊はいずこに居るものか、おおよそにしても承りたし」


「霊の赴く先はそこここに多くあれど、そは現界に生を営む者の知らで済むことなり。ただ、死後、各自の落着くところはあるものと心得おればよし。死したる後は生ける人間の考えおることとは大いに異なるものにて、生ける者の理解の及ぼぬものなり、理解の及ばぬことを言うは徒労なり、死すればたちまちに知れるものぞ」

大門 「その儀。一応もっともなれど、仏教にては死後行くべき場所を人に知らしめて安心せしむるを主眼とし、儒教もまたこれを説く。さらば今この機会にその真実を世に知らしむるの必要、無きにしもあらず。儒仏の唱うるところ、いずれが実説なりや」

「儒仏の説くところを信ずるは、みなその道におもねる者のすることにて、要するにその門に入りたる者を治むるための説にすぎず。死後、人間の赴く先は地上にありて空中にあらず。もっとも空中にもあれど、そこは死後ただちに赴くべきところにあらず。他界直後の霊の赴く場所が大地のいずこならんは、いまあからさまには告げ難し」

 

大門 「極楽浄土につきて仏説の当否は如何」

「(微笑しつつ頭を左右に振り、しばらくしてから) 極楽説は人の心を安ぜんがための手段方便にすぎず。生前いかなる説を信じて死すとも、死後の実相とは甚だしく違うものにて、死後のことは死後に知らばよし。人の世にあるうちは世の掟を守り、死後のことは世話を焼くには及ばぬことなり」

 

また多くの伝統宗教が述べている死後の世界は実際に死んだ霊たちの述べるところによれば大いに間違っているそうです。特に仏教の述べる極楽地獄は間違っていると述べる霊は複数います。

 

 

 

○霊格が向上すると墓に居れない

 

戦国以前は一般の日本人には墓がない人が普通で、外国でも釈迦の教えを守った仏教が盛んな国は墓がないのでそういう場合はどうだったんだ?というと日本では各家庭の祖霊社が死んだ先祖の家であり、釈迦の教えを守っている日本以外の仏教国は輪廻転生という死後49日で生まれ変わる釈迦の教えが伝わっているため墓云々という意識がありません。

 

ちゃんと幽界に進むか、必要があれば祖霊社を土台としていたわけdせう。

 

 

引き続き
幽顕問答を引用します。

(武士の地縛霊に神号を与えて祀るという話の流れで)

宮崎「山本氏と諮りたるところ産土神社の社地に建碑の事は公の許可を得る必要があるとのこと。故にただ今の墓地に大きく石碑を造立し、周囲に石を畳みなどせばよろしからんとの儀でござる」

「石碑を大きくし石垣をめぐらすなどのことはお断り申す。墓なら一尺二寸にして七月四日とのみ記して遺骨の上に建てていただけば、それにて十分なり」

宮崎「さような無造作なことにては後年また祟ることなきや」

「されば、神号を受けねば元の人魂なり。祟らぬとも限るまじ」

宮崎「七月四日と祭日を定めて祭祀を行いても祟ることありや」

神号なく元の人霊のままならば、たとえ従来のごとく強く祟らぬまでも、折ふしは祟りもすべく、また当家の守護も為し難し。もしも神号を受け清浄の地に鎮まることにならば、今後は祟ることもなく、却って当家の守護にも当たるべし。神号は墓地にては受け難し

 

(中略)

 

霊「今一つおのおの方に申し入れたき儀あり。先月当家を立ち退きし時、公の許しあるまで三年にても四年にても待つべしと約せしが、いよいよ幽界に帰りてみれば余の霊格いつの間にか向上して、墓はもちろん、その辺りの土地すべてに穢れを感じていたたまれず、やむなく樹上などにあるも、ただただ旅心地して安んずることなし。願わくば寸尺の浄地を与え給え。その儀改めて乞うものなり」

宮崎「その儀ならば石塔建立の時まで浄地に鎮めるよう取り計らって進ぜむ。上代には櫛あるいは刀を霊代(みたましろ)とする例などあるが、暫時の宿としていずれがよろしきや」

霊「ともかくも修法どおりに為し給え。その法に従いて憑(うつ)り申さむ」

山本「白木の箱に霊璽(れいじ)を置きてそれに鎮むる法もあり」

宮崎「されど霊気盛んなれば魂も太かるべし。小さき箱にては如何ならむ。八寸の箱にて鎮まり得るや」

霊「十分出来申すなり。修法に従えば一寸の箱にも鎮まるものなり。かかる事は顕世にある者の耳には入り難ければ詳しく述べても益なし。その道の法の通りに従うべし」

 

まとめると下記のようになります。

 

・地縛霊であっても霊格が向上すると墓が穢らわしく感じてそこに居れない。

・一寸(約3センチ)の墓でも鎮まろうと思えばできる。

・子孫を守護するなら神号(神として祀られる)方が良い

・先祖に神号(仏教でいう戒名)は墓地のような穢れた場所では受けられない。

 (ということは祖霊社や石碑など別の住処が必要になる)

 

墓地が好きかどうかは人それぞれで生きている人間でも墓地で暮らしたいとか、キャンプしたいとか、墓地に遊びにいくという人は少なく、どちらかというと日本では死者の骨が埋められているあまり清らかとは言えない場所というイメージがあります。

 

 

古武士の霊も霊格が向上して墓地が穢らわしくなって居られないと述べていますが、これは私たちの先祖にも当てはまるのではないかと思います。

 

もちろん一番良いのは地縛霊にならずにスムーズに死後の世界へ進んで地上圏を離れることです。

 

 

○死後の世界の家

 

ここで述べている自殺した古武士霊や妻子を捨てて蒸発した男の霊のようにあまり宜しくない死に方、生き方をした霊はいわゆる反面教師とするべき悪い例です。

 

善行を積んだ霊はそのようなことはなく、生前積んだ善行が霊界で家となって準備されているとシルバーバーチやベールの彼方の生活では述べられています。

 

 

 

霊界にも庭園もあれば家もあり、湖もあれば海もあります。なぜかと言えば、もともとこちらこそが実在の世界だからです。私たちは形のない世界で暮らしているのではありません。私たちもあい変わらず人間的存在です。

ただ肉体をもたないというだけです。大自然の美しさを味わうこともできます。言葉では表現できない光輝あふれる生活があります。お伝えしようにも言葉がないのです。

 ごく自然な形で霊界でも家に住みます。ですがその家は地上生活(の善行・徳行)によってこしらえられたものです。庭園も自然な形で存在します。手入れがいると思えば手入れをします。
究極的にはそうしたもの一切が不要であるとの悟りに達しますが、それまではそうした (地上とよく似た) 環境の維持に必要な配慮がちゃんとなされております。

 

(中略)

 

「みんな自分の家を持っているのでしょうか」

「はい、持ちたいと思っている者は持っております。そう望んでそれなりの努力を致します。が、持とうと思わない者もいます。同じく家を持つにしても自分の建築の好みに合わせて工夫する者もあります。例えばあなた方のご存知ない照明方法を組み込んだりします。こうしたことはその霊の創造的才能に関わる個人的な好みの問題です」

「霊界の家はそれまでの生活の中身によって左右されるとおっしゃったことがありますが・・・・・・」  

    
「持ちたいと望み、それなりの努力をしたら、と言ったつもりです。が、いったん家をこしらえたら、その建築様式は純粋にその人の好みの問題となります。青空天井にしたければそうなります。好みというものは長い間の習慣によって形作られていることを忘れてはいけません。習慣は精神的な属性であり、死後も存続します。

生涯を英国だけで送った人は当然英国風の住居の様式に慣れ親しんでおり、したがって同じような様式の家に住むことになります。そういう習性が残っているからです。

やがてその習性から脱け出せば、また別の種類の住居を持つことになります。こうしたことも生活の連続性を維持するための神の賢明なる配慮なのです。ショックを防ぎ、生活をスムーズに、そして調和のあるものにしてくれています」

 

シルバー・バーチの霊訓 

 

 

 

地上の言い方をすれば "何年も前" のことになるが、靴直しを生業としていた男が地上を去ってこちら(霊の世界)へ来た。(地上時代の彼は)何とか暮らしていくだけの収入があるのみで、葬儀の費用を支払った時は一銭も残っていなかった。


こちらで出迎えたのもほんの僅かな知人だけだったが、彼にしてみれば自分ごとき身分の者を迎えにわざわざ地上近くまで来て道案内をしてくれたことだけで十分うれしく思った。


案内された所も地上近くの界層の一つで、決して高い界層ではなかった。が、今も言った通り、彼はそれで満足であった。


と言うのも (靴職人にとっては、生前の) 苦労と退屈と貧困との闘いのあとだけに、そこに安らぎを見いだし、その界の興味深い景色や場所を見物する余裕もできたからである。彼にとってはそこがまさに天国であり、みんなが親切にしてくれて幸福そのものだった。


ある日のこと・・・地上的に言えばのことであるが・・・彼の住まいのある通りへ一人の使者が訪れた。

 

中をのぞくと彼は横になって一冊の本をどこということなく読んでいる。その本は、彼がその家に案内されて「ここがあなたの家です」と言われて中に入った時からそこに置いてあったものである。

 

 

ベールの彼方の生活

 

 

シルバーバーチは生前の善行が死後の生活を左右し、積んだ善行が材料?になって死後自分が住む家を形作ると述べていますし、ベールの彼方の生活では生前善行を積んだ靴職人は死後に用意された自分が住む家に案内されています。

 

 

まずもって自分のことをしっかりやるというのが前提条件ですが、今の日本ではY氏の亡父ほどではなくても死後の世界に対して無理解で、且つあまり褒められた生き方をしていない人がたくさんいます。

 

 

こういった霊は一概には言えませんが、酷いのになると死後ホームレスになり子孫や周囲の人間に祟ります。自分がそうならないように努力するのはもちろんですが、先祖などにそういった人物がいればやはり祟られてひどい目に合わされてしまいますので祀ってやらねばなりません。

 

 

自分のことをちゃんとやるのはもちろんですが、自分一人だけ良ければそれで良いというわけでもないのが難しいところです。