過般来から大阪城のかはず石の所ではよく人が死ぬから、あれを御調べになったら如何ですかと進める人がいるので、近日に手を着けようと思っていたところ最近になって霊媒癖が出てきたN氏がある日「体が変でかはず石の霊が来たらしい」と言うのでこんな程度のものは社長を煩わすでもないと早速同氏を神前に伴ひ鎮魂に取り掛かった。

 

 

ところがどうしてどうして大変な代物で丁度そこらの酔っ払いそのまま状態であった。まず問答を尽くして其正体が何であるかは最後に発表する事にする。

 

 

例に依り審前者の前に発動した肉体は恭しくニ拝する。かはず石もなかなかな状態だと思っていると、N氏の守護神が発動して何者かが来て居ることを知らされた。そこで守護神にお鎮りを願って憑るべく待ち構へている者を迎へ容れた。

 

 

すると俄に霊媒の態度が一変し、右の肩を怒らし組める手先を斜に構へて、

「分かった分かった、かはずかはずかはずだ。かはず岩だあ・・・・かはず岩の霊だあ』と、大変な勢ひで其の語調は芝居の舞台で聞くそのままであった。

『どこのかはず岩ですか』

『大阪城のかはず岩だ』

『何の目的で来たのですか』

『招んだから来たんだ』

『誰が招んだのですか』

『誰か知らぬ、昨日招んだ者があるから昨日から来て居るのに、此肉体へ入れてくれなかつた』

『何か用事がありますか』

『用事は分からん。怪しからん。用事がないに何故招んだ。招んでおきなら用事を聞くとは何事だ』

と機嫌斜のご様子でかはず石殿はさらに肩を聳やかし振り動し怒髪冠を衝く勢ひで、

『人の事なら数知れず殺したおれだ。何のために招んだか、今言へ、今言へ。言いをらうぞ・・・・・・言わなきゃ承知しない』

『そんな態度、そんな口の聞き方する者は悪の系統です、慎みなさい』

『悪か、悪が悪くば改心致す。用事もないになぜ招ぶ』と居丈高になり、さらに語を継ぎ

『豊臣の猿親父がおれの領地を分取ったわい』

『あなたはどこに居られたのです』

『あそこに居つた。秀吉の馬鹿奴めが、怪しからぬ。ずるがしこい奴めが、とうとう徳

川に殺されよった。ウファハ、ウファハ、ワッハッハッハア」

と何うして囃子鳴物を入れなきや治まらぬ様子になって来た。

 

『そうすると大阪城はあなたのものでしたか』

『城ぢゃないわい、土地だわい、痴呆者奴が』

『何時頃からあそこに居られたのです』

『秀吉より五・六百年前からだ』

『あなたのお姿は?』

『おれの姿か・・・・・おれの姿は口では言はれぬ、怖い怖い顔だ。見せてやらうか、それ』

と手をグッと突出し妙な形にして、『いやいや人に見せる顔ではない』と鎮まる。

 

『あなたは妙な事ばかり言つて居られるが、大神様の立替立直しの事を聞かれてを

りますか』

やや大人しくなり

『然り、然らず・・・・イヤ分からぬ。兎に角おれはエライ者だ。なに日本の外国のってそんなことはどうでもよい、兎に角世界中でおれが一番エライ』

とフン反り返る。

『あなたは肉体がありますか」

『ウム、ある』

豊臣秀吉を御存じのようだからその時の戦争の話を伺たい」

『戦争か、戦争は面白いな・・・・エ、おれか、おれは見て居つた。徳川の狸爺が大軍を引きつれて、ソレソレやつて来るやって来る。陣太鼓の音が聞えぬか。ドンドンドン~、近々にもまた戦争が始まる、怖い怖い。ナニ?戦争が怖いかって?君子危うきに近寄らずだ。』

こんな調子で段々怪しくなって来る。こんな先生は大概程度の知れた者で、無論言う事も出放題だが、こんな連中がそんじょそこらの人々にたくさん憑依して居るから、この記事で思ひ当たって自制の出来る人もあらうかと進んで試問を続けることにした。

 

 

審神者は更にかばず石先生に向つて、

『それではあなたは豊臣秀頼を知ってますか』

と優しく聞いてやる。

『秀頼か、秀頼はおれの友達だ。茶臼山で一緒に遊んだ』

『その頃のあなたは誰に憑つて居られたのですか』

『誰にも憑っていない』

『ではあなたの名は』

猿飛佐助、イヤそれは人の名前だ。名は・・・・名は・・・・・名和長年だ。イヤそれも人の名だ、困ったな』

と頭へ手を揚げ脱線振りが益々激しくなって来る。

 

真田幸村は御存じですか』

『真田幸村か、幸村は痛快な奴だ。大石良雄はエライ奴だ』

『大石良雄も知つてますか』

『ウム大石はおれの友達だ、京都で知っている・・・・・・心は千々に山科の・・・・己が棲家を後に見て、遊女通ひは死出の旅イー』

と巧な節廻しでまた浪花節が始まつて来た。

 

最前から審神者も、肉体を一時貸して居るN氏も可笑しさをこらへて居れが、N氏は遂に堪らなくなって吹き出した。そうするとかはず石先生はこの肉体が笑ってると面白がり「アレ、この肉体に居る何かがおれに出ろと言っている』と二重人格三重人格の顕現を説明し、且つN氏の守護神が一時的にせよ、このような低級霊の憑依を嫌がる事を伝えてきました。

 

 

かはず石先生委細構はず、

『アァ、後は忘れた・・・・・・花の都を旅立ちて、閉ざすぬ閨の・・・・これも忘れた神崎与五郎東下りをやらうか・・・・・・アァ、何だかいい気持ちになって来た。何か食べさせんか』

と今度は極めて上機嫌だ。

 

 

審神者が一、二度注意したがそんな一向に止めない。

吉良上野介も知つてるぞ。吉良の狸爺の白髪首パッサリ』

と見得を切る。

『あなた酒はお好きですか』

『酒は大好きだ、酒はいいな。女も好きだ』

『何が一番お好きですか』

『そうだな・・・・・女だ、女だ、女が一番好きだ』

と眼を細くする。

『そんな事ではいけない。早く改心しなさい』

『改心か、改心する時には改心する。こないだ国勢調査をやった』

『国勢調査を知ってるのですか』

『中之島でやった・・・・・・国勢調査の・・・・・・』

と又浪花節を始めかけた。

『モウ浪花節はおやめなさい』

『マア黙って聞け、モーつやらせ・・・・ア、また忘れてしまった・・・・・おれのところへも国勢調査が来たよ。白い紙を持つて・・・・ナニおれか、大阪城に居るがな・・・·・おれは字は書けないから人が書いた』

今少しかはず石の因縁に触しめて浮れ状態を鎮めんと、

『かはず石は一体あなたの何ですか』

『あれか、あればおれの臍だ。あの石をあちこち引ずり回して今どこへやつたか知らんが、時々馬鹿な奴等が小便をかけたから堀の中へトプン・・・・・プク~と殺してやつた。あの堀は深いぞ、擦鉢の様だなどと言ってるがそんなものちやない。底知れずだ。

何時か師団長が水を替えるとて、やりかけたが駄目だつたがな。昨日新聞社で誰か九分九厘と一厘との戦とか言つて居たが、一厘の仕組はあの瀬にあるぞ』

とまた意気軒昂だ。

 

『あなたは何ですか』

『おれは実は天狗だ。鞍馬山の天狗だ。弁慶の何とか言ったな、ソレソレ、牛若丸は

おれの弟子だ』

『そんな事言ってる時代でない、もういい加減改心なさい』

『改心?昨日誰か三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世になりたぞよ・・・・・・改心何とか言っていたよ。それから菓子や饅頭はやめにするとか言って居た。馬鹿な奴だ。誰か新聞社の奴に憑ってやろうかしら』

『みな神用をしてる人です。あなたの様なものの憑る事は許しません』

『ナニ昨日ズーツと見渡したが、おれの憑かれる人間が幾らでも居る。一つ誰かに憑かって好き放題やったろか』

とぼつぼつ自棄気味だ。

 

『あなたの様な悪を許す神がありますか』

『悪いことを許す神さんがあるもんか』

『あなたは何処で生れたのですか』

『生れか、生れは遠州浜松在と・・・・」又芝居が始まつた。

『そんな精神で居ると根の国底の国におとされ、悪の世の終りとなりますぞ』

『フフン、世の終りか、尾張名古屋は城で持つだワッハッハッハ・・・・・・根の国底の国?どんな所でも構やせね、何とでもしやがれ、愈々の瀬戸際に改心すりゃ、神は人を助けるアーメンだ、ウッフッフッ行き当たりばったりだい』

『あとの改心は間に合はぬぞ』

とやや厳しく云へば、かはず石先生すくっと態度を正し、

『一体あなたはどなた』

『大神様にお仕え申して居る末の末の者だ』

この一言にアッと平伏して頭を上げない。

 

かかる低級な憑霊を何時までも留めおいては、N氏の肉体にも守護神にも気の毒であり、かはず石の正体も明かになつて居る事であるから、更に改心を促して追い返した。

 

元かはず石のあつた付近から大阪城の堀に身を投じて命を捨てた人が少なからずいた

め、かはず石に何等かの祟りがあるだろうと、今では偕行社の庭前に封ぜられているそうだが、二、三問答中に既に年古りし狸であることが記者の霊眼に映り、かはず石の正体が解決したのであつたが、世間にこうした気持ちの人や所作の人が頗る多いのは悉くこんなの感じに貴い臍下丹田を占領されてしまっているのを警告するために貴重な時間を費したのである。

 

 

霊界消息 神秘之扉

 

大阪のかはず石(蛙石)について参考サイトもありますので興味があればどうぞ。

 

 

当時はそれなりに世間を騒がせたらしく実際に自殺する人が多数いたようです。

 

この霊界消息 神秘之扉の初版が大正10年(1921年)であり、(第2版以降などで加筆されていない限り)この問答はそれよりも前なはずですが、昭和に入ってから一番有名なのが昭和15年(1940年)の自殺騒ぎなのでこの狸霊はその後も相変わらずだったのかもしれません。

 

 

場所はこの辺り

 

 

上の「大阪妖怪・伝承探訪」さんのサイトでは

「これ(自殺騒ぎのこと)が新聞沙汰になり、あっという間に脚色されて世間に広がり、見物人が押し寄せたものだから、師団司令部によっていずこかへ撤去されてしまったそうです。(中略)昭和32年(1957)初夏、近畿管区行政監察局(当時法円坂町に在り)に勤務していた天羽蒋次氏が、近くにあった「警察クラブ」横の藪中でそれと思しき石を発見。さっそく関係者と協議の上、この発見された「蛙石」が本物であった場合、しかるべき寺院に移祀するのが良いだろうという話になった。そこで氏の知人であった元興寺(奈良県)の住職に依頼し、同寺へ運び込まれ、今に至るとのことです。」

とありますが、霊界消息 神秘之扉では大正10年以前に

「今では偕行社の庭前に封ぜられている」

とありますので、昭和32年に藪中でそれと思しき石として発見され元興寺(奈良県)に送られた石というのが全く別の石なのか、それとも一旦は大正時代の偕行社(現在の大阪府大阪市中央区大手前1丁目3−49付近にあった)の近くにあった社(今でもあるかは不明)が移転や廃社などで石は藪の中に放棄されてそれが昭和期になってから発見されたのかわかりません。

 

ただ昭和になっても自殺騒ぎがあったらしいので、大正時代に社に封じられたのはあまり意味がなかったのか、違う石なのか、そうだとしたら本当の蛙石はどこに行ったのか?などそのあたりはよくわかりません。

 

 

これは霊界消息 神秘之扉の中のお話の一つです。ここで登場する新聞社とか記者というのはかつて大本教が運営していた社主が出口王仁三郎、社長が浅野和三の大正日日新聞のことで、王仁三郎はこのさっさと潰れてしまった新聞社の運営を信者たちに任せたことを「自分の過去を深夜静かに省みると、一代の大失敗は、大正日日新聞社の買収と、経営に就て、何れも素人連に任せ切つた事であつた。」とまで言っています

 

この新聞社の社員たちは大本教の信者たちによって構成されていたのでみな鎮魂帰神法に通じていたためこういった霊懸かりはしょっちゅうだったようで、霊界消息 神秘之扉の中では主に関西圏の霊懸かり現象の小話がたくさん載っていてひふみ神示で有名なまだ若かった頃の岡本天明も鎮魂帰神法の霊媒(神主)として出てきます。

 

 

大本教が明治~昭和前期に掛けて大きくなった要因の一つは何といっても鎮魂帰神法による霊懸かりでしょう。

 

人間というものは元来不思議なことが大好きですから目の前で不思議なことが行われたり、あるいは自分自身がそれを体験すると大変な興味を持ちます。

 

神などいない、霊などいないと言っても捏造不可能な条件で直接的且つ強烈な体験を持つと考え方が変わる人はたくさんいて、大本教はそれに長けていたたけ多くの信者を獲得し、当時の一大宗教勢力となりました。

 

 

しかし1923年(大正12年)にはこの鎮魂帰神法も禁止されています。政府からも宜しかずということで止められており、また大本教団としても神様から止められたということで中止になりました。

 

 

その理由はかはず石のような狸の霊などが憑かかる人たちがあまりにも多く、世界には物質以外の何かがあるという証明にはあり、また面白おかしくはあるのですが、本当の意味で人格向上や精神性の発達には繋がらないからで、王仁三郎の伝記などを読むと笑い話のような鎮魂帰神法による低級霊の憑依の例が山ほど出てきます。

 

 

表向きはお金持ちで高い社会的地位を持ち、世間で紳士淑女の風体を装っていても一旦鎮魂帰神法を行えば憑霊が表に出てきて痴態を演じ、本人も周囲の人間も驚いたなんていう話には枚挙に暇がなく、低級霊しか出て来ないなら言ってみればエクトプラズムなどの物質現象と同じレベルの現象です。

 

 

 

鎮魂帰神法は人格円満にして清廉な人物であれば高級霊が出てくるかもしれませんが、残念ながら今の世の中は動物霊の入れ物になっているのがほとんどなので令和の今の世で鎮魂帰神法をみんながやったら世の中は大混乱で、霊の証明は出来てもとんでもない社会混乱が起きそうです。

 

そこから生じるあらゆるデメリットと霊の存在の知らしめるというメリットを天秤に掛けたときに止めた方が良いという判断になったのだと思います。

 

霊には良いのも悪いのもいます。悪い霊が圧倒的多数の現代人にとって具体的に生じるであろうデメリットを完全に網羅することは出来ませんが、悲惨な結果になるであろうことは予測できます。

 

 

どれだけ霊の存在を信じない人間でも片っ端から鎮魂帰神法で副守護神(動物霊・悪霊のこと)を表に出せば「少なくとも霊はいる」というところまではいくかもしれませんが、だからなんだという話ですし、鎮魂帰神法を悪用して犯罪に使う人間や逆に悪霊たちに玩具にされる人間が多数生まれて、とんでもない社会混乱が起きるでしょう。

 

 

ひふみ神示にも「霊かかりよろしくないぞ、やめて下されと申してあろう。」とか「かみかかりに凝るとロクなことないからホドホドにして呉れよ。」などのように鎮魂帰神法を窘める言葉が時折見られます。

 

 

少なくとも人間側が邪霊から身を守る確実な手段を手にするまではやめた方が良いのはよくわかります。下らない酔っ払いみたいな霊ならともかく中には到底人間の手に合わない強力で残忍で恐ろしいのもいるからです。

そこまでいかなくてもしょうもない神かかりで関わった霊によって身を亡ぼすことはありえます。鎮魂帰神法をしなくても霊に憑依されるのは日常茶飯事であり、それで現在の有様なのですから鎮魂帰神法を盛んに行えばとんでもないことになり、人類に害悪が振りまかれるのは目に見えています。 

 

 

 

 

 

ビルゲイツがインターネットに関して一見素晴らしい技術に思えるインターネットの普及が実はキチガイが仲間を見つける手助けをしただけと発言したのがニュースになっていますが、インターネットを鎮魂帰神法に差し替えることが出来ると思います。

 

鎮魂帰神法は新しい世界を切り開く素晴らしいツールかと思ったらクレイジーな人間と霊同士が仲間を見つける手助けをしただけ、という感じでしょうか。

 

 

インターネットには功罪両方の面がありますが、神様から見れば今の人間のレベルで鎮魂帰神法は功よりも罪の方が大きい、少なくとも一部のちゃんと人間じゃないとまずいということでしょう。

 

 

インターネットではなく科学技術と置き換えてもいいかもしれません。例えば科学技術の代表格である原子力は上手に使えば原子力発電のように決して悪いものではありませんが、核爆弾をちらつかせて他国に戦争を仕掛けるという悪い国もいます。

 

 

ネットでも原子力でもその他のあらゆる技術でも進んだ技術を悪用する例は幾らでもありますが、せっかくの高度な技術を社会福祉や平和、生活の向上・進歩のために使うのではなく、私利私欲のために他人なんかどうなっても構わないという気持ちで悪用する悪人が地球には多過ぎるため、その力が巨大で影響が大きいものであるほどどれだけのものを人間に与えるかどうかはよくよく考えねばなりません。

 

 

少なくとも核爆弾を始めとする原子力の技術に関しては、人間が持つにはまだ早すぎたと個人的には思っています。全く同じ理由で鎮魂帰神法も人間が持つにはまだ早すぎるのだと思います。

 

 

シルバーバーチも言っていますが、霊能力者というのは進化した人間であり、未来においては全員が霊能力者になるそうです。キリストとか出口王仁三郎とか色々な宗教の教祖は霊能力者として様々な超能力を見せつけてたくさんの信者を獲得しました。それが超能力に見えるのは彼らが現時点の人類よりも一歩進んだ人間だからですが、きっとそのうち誰もが普通に現在超能力と呼ばれる各種能力を普通に扱う日がくるでしょう。

 

 

鎮魂帰神法は霊との関わりを持ち、自己の霊能力(超能力)開発のための道の一つですが、気違いに刃物にならないように我々も気をつけねばなりません。

 

大本教団の中では禁止されているようですが、やろうと思えばやってやれないこともないのでこういうデリケートなものは扱いが非常に難しく下手に手を出すと役に立つこともありますが大火傷で済まない場合もあるのでよくよく注意が必要です。