自分の現在の境遇がどうであろうと決して卑下してはならないのである。凡ての人間はその運命宿命の中に各自の使命を持って来ているのであって、それを果たし得る得ないはあるとしても、そのために努力していることに変りはないのであるから、それが重要な点とすればあらゆる教えの目標も見方によってはそこにあるのかも知れない。

 

そして人間がその存在の目的のためにその力を十分に発揮するしないは固より自分自身にあるけれども、それはまた背後の霊の仕事でもあるから、この両者の隔たりを段々に縮めてゆくことこそ日々の行とすべきである。

 

 

こうして人間が術や法によってその使命を達成するためにはその背後の霊はあらゆる苦労をしているのであるが、これと手を握ろうとして努力している者は驚くほど少ないのである。

 

それは既成宗教でも新興宗教でもその本尊を余りに高い所に祭り上げているからで、釈迦にしてもイエスにしてもその他の教祖にしても、ある程度の力を持って生まれて来ているならこの背後の霊の存在とその操作についてもっと詳しく教えるべきではなかったかと思う。

 

 

そうすればその人間はどんな所に出ても立派に活躍出来るのであってこの背後との関係を知ると知らないとでは一生の間に大変な差を生じるのである。

 

この大差の原因は先祖から伝わっている悪霊やいろいろな妨害霊や自分が犯した罪業などによるものであるが、これらの悪い因縁を取り除くためにはやはり背後の力が必要であって、こうして自分の体を祓い清めその使命に向って努力してゆくのが人間としての真行と思わなければならない。



このように人間には創造する力とあらゆる場合に対処する力とが与えられているとするなればその休む時即ち眠りの時にも十分な行が出来るはずである。

 

その方法にはいろいろあるが日々の務めが修行になるなら眠ることも修行と思い、先ず寝たままで正座の形をつくる。

これは仰向きになって体をまっすぐ伸し、両手を組んで臍の上に軽く置くか掌を開いて体の両側におく。

 

そうして夜は眠る前に五分か十分間、朝は目が覚めたら同じ形になって三分か五分間の精神統一をするのである。ただそれだけでよいのであるが、これを毎日続けていると、段々に起きている時の修行にも増して立派な幽体の活躍が出来るようになるのである。

 

これは人間にとって最もよい修練の時であって、眠りに入る前によく守護霊を念じ幽体の活躍で自分の意識を充満させておくと自分は記憶しなくても幽体が常に幽界に出入いりして磨かれてくるから、翌日の体が十分に休まっているのである。

 

 

こういう鍛錬を続けてゆくと次第に自覚していて肉体から幽体が抜け出しその動く方向まで分るようになって、幽界の情景が見えたり現在のいろいろなことが解決されたりするのであるが、この幽体離脱の前にもう一つの問題がある。

 

それは夢の存在であってこの夢は大体に現在意識の中の第一潜在意識、第二潜在意識、更に上がって第三潜在意識までのものを見せることが山来るのであるが、第一潜在意識が余り頑固にこびり付いている時は背後霊が当人の頭を使って夢で幽界のことを知らせたり、現在の難問を解いてくれたりすることもある。

第三潜在意識のものとなると、もう幽体の一部を使わないとはっきり見せることは難しいであろう。

 


 このように夢にもいく通りか考えられるのであるが、大体にこれを一部と半分と全部との三段階に分けることが出来るのである。

 

一部というのは自分の見たことはぼんやりと覚えているが、景色もそこに出て来た人間もはっきりしないでただ意志の伝達だけが現在意識になってからやや分る位のものである。

 

半分というのはそこに確かに人間がいてその姿は見えるが顔がよく分らないとか、その景色は大体見えるが細かい部分がぼやけているとかというような場合である。

 

 

全部となると俗に正夢と言われるもので顔も姿も景色も凡てがはっきり見えるのであるがこれは第一、第二、第三の潜在意畿を全部統一して知らせるものであってそれ以外としては幽体によって見なければ現在意識の中に詰め込むことは難しいのである。

 

 

但しこれはその過程として分けただけであって、普通の人間はこの全部がごっちゃになったものを見ているのであろう。汝等はそういう観念の下に毎夜床に就く時は肉体の疲労の回復と幽体の指導とをよく守護霊に願い、寝ていての正座の形を取り数分の精神統一をして眠るようにすればその間に立派な行が出来るのであるからこうして夢を上手に手に使うことによって幽体の完全離脱にまで進んで行っでもらいたいのである。
 

 

 


ローム太霊講和集

 

人間が寝ている間に幽界に行っているということはシルバーバーチを始め多くの霊的な書物で見かける内容です。

 

実際には幽界と物質界にはさらに中間境涯があって、ローム太霊の本では次元界と呼んでいますが、人間は寝ている間に各自の霊的発達度合いによってそれぞれの境涯に進み、それなりの過ごし方をしているそうです。

ここではローム太霊が睡眠を有益に活用する方法として述べています。

 

 

実は今でもあなたがたは毎夜のように霊の世界を訪れているのです。ただ思い出せないだけです。それは死んでこちらへ来た時のための準備なのです。その準備なしにいきなり来るとショックを受けるからです。来てみると一度来たことがあるのを思い出します。肉体の束縛から解放されると睡眠中に垣間見ていたものを全意識をもって見ることが出来ます。その時すべての記憶がよみがえります。

 

 

問「死んでから低い界へ行った人はどんな具合でしょうか。今おっしゃったように、やはり睡眠中に訪れたこと───多分低い世界だろうと思いますが、それを思い出すのでしょうか。そしてそれがその人なりに役に立つのでしょうか」

 

シルバーバーチ「低い世界へ引きつけられて行くような人はやはり睡眠中にその低い界を訪れておりますが、その時の体験は死後の自覚を得る上では役に立ちません。なぜかというと、そういう人の目覚める界は地上ときわめてよく似ているからです。死後の世界は低いところほど地上に似ております。バイブレーションが粗いからです。高くなるほどバイブレーションが細かくなります」

 

 

 

問「睡眠中に仕事で霊界に行くことがありますか。睡眠中に霊界を訪れるのは死後の準備が唯一の目的ですか。」

 

シルバーバーチ「仕事をしに来る人も中にはおります。それだけの能力をもった人がいるわけです。しかし大ていは死後の準備のためです。物質界で体験を積んだあと霊界でやらなければならない仕事の準備のために、睡眠中にあちこちへ連れて行かれます。そういう準備なしに、いきなりこちらへ来るとショックが大きくて、回復に長い時間がかかります。地上時代に霊的知識をあらかじめ知っておくと、こちらへ来てから得をすると言うのはその辺に理由があるわけです。

 

睡眠中あなたは肉体から脱け出ていますから当然脳から離れています。脳はあなたを物質界にしばりつけるクサリのようなものです。そのクサリから解放されたあなたは霊格の発達程度に応じたそれぞれの振動の世界で体験を得ます。

 

その時点ではちゃんと意識して行動しているのですが、朝肉体に戻ってくると、もうその体験は思い出せません。なぜかというと脳があまりに狭いからです。小は大をかねることが出来ません。ムリをすると歪みを生じます。それは譬えば小さな袋の中にムリやりに物を詰め込むようなものです。袋にはおのずから容量というものがあります。ムリして詰め込むと、入るには入っても、形が歪んでしまいます。それと同じことが脳の中で生じるのです。ただし、霊格がある段階以上に発達してくると話は別です。霊界の体験を思い出すよう脳を訓練することが可能となります。

 

 

シルバーバーチの霊訓

 

 

 

シルバーバーチは「低い世界へ引きつけられて行くような人はやはり睡眠中にその低い界を訪れておりますが、その時の体験は死後の自覚を得る上では役に立ちません。なぜかというと、そういう人の目覚める界は地上ときわめてよく似ているからです。」

と述べていますが、みんながみんな有益な過ごし方をしているわけではないようですし、誰もが毎晩幽界に向かっているわけではなく極端な物質主義者は睡眠中でも肉体から出ないケースもあるようです。

 

 

 

『で、大概の人間は睡眠中に幽界旅行をやるものと思えばよい。そんな場合に幽体は半分寝呆けた格好をして幽界の縁をぶらぶらうろつき回る。が、驅と結びつけられて居るので、ドーも接触する幽界の状況が本当には身に浸み込まぬらしい。 

『餘りに物質かぶれしたものの幽体は往々肉体から脱け切れない。脱けるにしても余り遠方までは出掛け得ない。 

『しかしこんな理屈を並べているよりも、実地に幽界に出掛けて行って地上から出かけて来るお客様に逢った方が面白かろう。』 

ワアド『是非見物に行きとうございますね。』 

叔父『それなら早速出掛けることにしよう。が、幽界へ行くのには私の姿を幽体で包む必要がある。』 

ワアド『あなたはそれで宜しいでしょうが、私は何う致しましょう? 私も幽体が入用ではないでしょうか』 

叔父『無論入用じゃ。いったいお前は幽体を何所へ置いてきたのじゃ?』 

ワアド『私には判りませんナ。私の驅と一緒ではないでしょうか?』 

叔父『こんなことは守護神様に尋ねるに限る。』 

そう言えも終わらず、一条の光線が叔父さんの後ろに現れ、それがだんだん強くなって目も眩まんばかり、やがてお馴染みの光明赫灼たる天使の姿になりました。 銀の喇叭に似たる冴えた音声がやがて響きました。

── 『地上に戻って汝の幽体を携えて参れ!』 

 

 

ワアド氏は忽ち強い力量に掴まれて、グイと虚空に捲き上げられたと思う間もなく、はや自分の寝室に戻っていました。平常(いつも)ならそれっきり無意識状態に陥るのですが、この時は何やら勝手が違い、今迄よりも遥かに実質のある驅で包まれたような気がしました。その癖自分の肉体は依然として寝台の中に眠っているのでした。 

 

と、すぐ後ろに叔父さんの声がするので振り返ってみますと、果たして叔父さんが来ていましたが、ただいつも見慣れた叔父さんの姿ではなく、大変老けているのが目立ちました。霊界に居る時の叔父さんは地上に居た時よりもずっと若々しくなっていた。

 

ところが今見ると叔父さんは達者らしくはあるが、しかし格別若くもない。他のいろいろの点においてもちょいちょい違ってはいるが、さて何所とつかまえどころもないのでした。 叔父さんは微笑みながら説明しました。

 

── 『実はこれが私の本当の幽体ではない。私の幽体は、前にも言った通り、死んで間もなく分解してしまった。仕方がないから私はフワフワ飛び回っている幽界の物質をかき集めて一時間に合わせの驅をつくりあげたのじゃ。これでも生前の姿を想い出してなるべく似たものにしたつもりじゃ。──どりゃ一緒に出掛けよう。』

 

 そう言って叔父さんはワアド氏の手を執り、虚空を突破して、やがて暗くもなく、又明るくもない、一種夢のような世界に来て足を留めたのでした。 

 

『ここが幽界の夢幻境じゃ。その中夢を見ている地上の連中がぼつぼつやってくるじゃろう。』 ワアド氏はしきりに辺りを見回しましたが、何時まで経っても、付近の景色はぼんやりと灰色の霧に閉ざされて判然(はっきり)しない。そして山だの、谷だの、城だの、森だの、湖水だのの所在(ありか)だけが辛うじて見えるに過ぎない。 

 

ワアド『随分ぼんやりした所でございますね。何時もここは斯うなのですか?』

 

 叔父『イヤ此処が決してぼんやりして居る譯ではない。お前の眼が霊界の明かりに馴れっこになってしまったので、ここで調子が取れないのじゃ。明るい所を知らないものにはこんな所でも中々美しく見える。 

 

『一体この夢幻境というのは物質界と非物質界との中間地帯で、何方の居住者に取りても、いくらか非実体的な、物足りない感じを与える。夢幻境を組織する所の原質も非常に変化性を帯びて居て、其処に出入りするものの意思次第、気分次第で勝手にいろいろの形態をとる。永遠不朽の形は皆霊界の方に移り、此処にある形は極度に気まぐれな、一時的なものばかりじゃ。──イヤしかし向こうを見るがよい。地上からのお客さん達が少し見え出した。』

 

 成る程そういう間にも霊魂の群れが此方をさして漂ってくる。後から後から矢継ぎ早にさっさと脇を素通りにして行く。中には群をなさずに一人二人位でバラバラになって来るのもある。 

 

夢の中にここへ出掛けて来る地上の霊魂の他に、折々本物の幽界居住者も混ざっていましたが、一目見れば両者の区別はすぐ判るのでした。

 

両者の一番著しい相違点は、地上に生きているものの霊魂に限り何れも背後に光の糸を引っ張って居ることで、それ等の糸は物質でできた糸とは異って、いかに混ざっても縺(もつ)れるということがない。

 

平気で他の糸を突き抜けて行くのでした。 モ一つ奇妙な特徴は彼等の多くが皆眼をつぶって、夢遊病者のように自分の前に両手を突き出して歩いて居ることでした。尤も中にはそんなのばかりもなく、両眼をかッと見開き、キョロキョロ誰かを捜す風情のもありました。

 

時には又至極呑気な顔をして不思議な景色の中をうろつきながら折ふし足をとどめてじッと景色に見とれるような連中もいました。 

 

実にそれは雑駁(ざっぱく)を究めた群衆で、男あり、女あり、老人あり、子供あり、又動物さえもいるのでした。一頭の猟犬などは兎の影を見つけると同時に韋駄天の如くにその後を追いかけました。 

 

 『この連中が何の夢を見ているか、よく注意して見るがよい。』 そう叔父さんに注意されたので、ワアド氏は早速一人の婦人の状態を注視しました。 右の婦人の前面には一人の小児(こども)の幻影が漂っていましたが、それが先へ先へと逃げるので婦人はさめざめと泣きながら何処までも追いかけました。

 

と、俄かに小児の眞の幽体が現れ、同時に先の幻影はめちゃめちゃに壊れました。母親は歓喜の声をあげて両手を拡げてわが愛児の幽体をかき抱き、その場にペタペタと座り込んで、何やら物を言うさまは地上でやるのと少しの変りもありません。右の小児は凡そ六歳ばかりの男の児なのでした。 

 

 

ワアド『死んだ我が児と夢で逢っているのでございますね。可哀想に・・・・・・。』 

叔父『それが済んだら今度は此方のを見るがよい。』 

 

再び叔父さんに促されてワアド氏は眼を他方の転ずると、其処には三十歳前後の男子が眼を見張りて人の来るのを待っているらしい様子、やがて一人の若い女が近づいて参りました。 

『一体この連中は何でございますか?』とワアド氏は尋ねました。

『二人とも生きている人間ではありませんか?』 叔父『この二人が何であるかは私にも判らない。しかしこの男と女とが深い因縁者であることは確かなものじゃ。二人は地上ではまだ会わずにただ幽界だけで会っている。

 

二人が果たして地上で会えるものかドーかは判らぬが、是非こんなのは会わしてやりたいものじゃ。──そちらにも一対の男女が居る。』

 

 ワアド氏は眼を転じて言われた方向を見ますと、此処にも若い男女がうれしそうに双方から歩み寄りましたが、ただ女の付近には一人の老人の幻影がフワフワ漂うているのです。 ワアド『あの老人は、あれはたしかに猶太人(ユダヤ人)らしいが何の為に女に附き纏っているのでございましょう?』     

 

 

 叔父『あの老人は金子の力であの女子と結婚したのじゃ。若い男は女の実際の恋人であったが、猶太人と結婚するに附けて女の方から拒絶してしまった。』 

 

まだ他にもいろいろの人達がその辺を通過しました。が、一番ワアド氏を驚かしたのは同氏の父が突如としてこの夢の世界に現れたことでした。 ワアド『やあ、あれはうちの父です! こんな所へ来て一体何をしているのでしょう?』 

 

叔父『お前のお父さんじゃとて爰へ来るのに何の不思議もあるまい。他の人々と同様現に夢を見ている最中なのじゃ。事によるとお前の居ることに気がつくかもしれない。』

 

が、先方は一心に誰かを捜している様子で振り向きもしません。すぐ傍を通過する時に気をつけて見るとワアド氏の祖父の幻影が父の前面に漂うて居るのでした。 

 

ワアド『父はお祖父さんのことを考えているのですね。如何でしょう、何所かで会えるでしょうか?』 

 

叔父『まず駄目じゃろうナ。お前のお祖父さんは実務と信仰との伴わない境涯で納まりかえっているから、滅多にここまで出掛けて来はしまいよ。』

 

 

いくらか夢見る人達の往来が途絶えた時にワアド氏は叔父さんの方を振り向いて尋ねました。

 

『一たいこの幽界では地上と同じように場所が存在するのでしょうか?』


叔父『ある程度までは存在する。お前が現に見る通り、幽界の景色は物質世界の景色と、ある点まで相関的に出来ている。例えば現在われわれはロンドン付近に居るから、それでこんなに沢山の群衆が居るのじゃ。

 

が、それはある程度のもので、われわれの幽体は必ずしも地上に於けるが如く時空の束縛を受けず、幽界の一部分から他の部分に移るのに殆ど時間を要しない。

 

又幽界の山河が全然地上の山河の模写、合わせ鏡という譯でもない。幽界の山河は言わば沢山の層から成って居る。同一地方でも、それぞれの年代に応じてそれぞれ違った光景を呈する。例えばロンドンにしても、曾て歴史以前に一大森林であったばかりでなく、ずっと太古には海水で覆われていたことさえもあった。』

 

ワアド『そう言えば只今見るこの景色も現在のロンドンの景色と同じではございませんナ。』

 叔父『無論同一ではない。が、この景色とても余り古いものではない。──ちょっと其処へ来た人を見るがよい。』

 

 ワアド氏は一目見てびっくりして叫びました。

『あッカアリイじゃありませんか! 不思議なことがあればあるものですね。家内中が皆幽界へ引っ越して来ている!』

 

叔父『別に引っ越した譯でもないが、斯うして毎晩幽界へ出張するものは実際なかなか少ない。人によってはのべつ幕無しにこっちへ入り浸りのものもある。その癖目が覚めた時に、そんな連中に限ってケロリとして何事も記憶していない。

彼らに取りて幽界生活と地上生活とは全然切り離されたもので、眠っている時は地上を忘れ、覚めている時は幽界を忘れ、甚だしいのになると、幽界へ来ている間にまるきり自分が地上の人間であることを記憶せぬ呑気者も居る。

こんな連中は死んでも死んだとは気がつかず、何時まで経っても眠気を催さないのが不思議だと思っている。が、大ていの幽界居住者は多少地上生活の記憶を持っていて、逢いたく思う地上の友を捜すべく、わざわざこの辺まで出掛けて来る。

又生きている人間の方でも、夢で見た幽界の経験を曲りなりにも少しは記憶して居る。ただ極端に物質かぶれのした人間となると、幽体がその肉体から離れ得ないので、死ぬるまで殆ど一度も此処へ出掛けて来ないのもないではない。就中食慾と飲食慾との強い者は自分の幽体を自分の肉体にくくりつけている。

 

──が、話はこれくらいにしておいて、ちょっとカアリイに会ってやろう。しきりに私のことを捜している・・・・・・。』

 

 叔父さんは通行者の群れを突き抜けて、直ちにカアリイに近づきましたが、彼女は安楽椅子に腰をおろせる生前の父の幻影を描きつつ、キョロキョロ辺りを見まわしているのでした。彼女の身に纏えるは、きわめて単純な型の純白の長い衣裳で、平生地上で着て居るものとはすっかり仕立方が違っていました。
 やがて父の姿を認めると彼女は心から嬉しそうに跳んで行きました。

 カアリイ『お父様しばらくでございましたこと! お変わりはございませんか?』

 叔父『しばらくじゃったのう。お前はよく今晩ここへ来てくれた。私は至極元気じゃから安心していてもらいたい。それはそうとお前は私達の送っている霊界通信を見てどう考えているナ?』

 彼女の顔にはありありと当惑の色が漲りました。

 カアリイ『霊界通信でございますか? 私は何も存じませんが・・・・・・。』  

 叔父『これこれお前はよく知っている筈じゃ。お前は半分寝ぼけている。早く目を覚ますがよい。お前の夫の驅を借りて送っている、あの通信のことじゃないか! お前の夫も此処にきている。』

 父からそう注意されて彼女は初めて夫のいることに気がつきました。無論ワアド氏の方では最初から知り切っていたのですが、成るべく父親との会見の時間を永びかせたいばかりに、わざと遠慮して控えていたのでした。

 カアリイ『まア! あなたは何をしていらっしゃるのです。こんな所で・・・・・・。』

 ワアド『しっかりせんかい! 私はいつもの通り月曜の晩の霊界旅行をしているのですよ。そして叔父さんに連れられて、お前達が幽界へ出掛けて来る実況を見物に来たのだがね、覚めた時に私とここで逢ったことをよく記憶して居てもらいますよ。』
 叔父『そいつアちと無理じゃろう。記憶して居るとしても、せいぜい私と逢ったことぐらいのものじゃろう。私の幻覚に引っ張られてきたのじゃから・・・・・・。それはそうとカアリイ、お前はモー霊界通信のことを思い出したじゃろうナ。』

 カアリイ『何やらそんなことがあったように思いますが、まるで夢のようでございますわ。──お父様は近頃ご無事でございますか? 大へん何うもしばらくで・・・・・・。』
 

 叔父『私かい。私は至極無事じゃよ。生きている時に私は今のように気分の良いことは殆ど一度もなかった。お前が何をくれると言っても、私は二度とお前たちの住んでいる、あの息詰まった、阿呆らしい、影みたいな地上へだけは戻る気がせぬ。その中お前達の世界から私の所へ懐かしい親友が二三人やって来そうじゃ……。』

 

 

(中略)

 

 と、突然カアリイが叫びました。──
『わたし大へんにくたびれましたヮ。早く帰って寝ます。』

 ワアド氏はびっくりして不安の面持ちをして叔父さんの方を見ましたが、叔父さんは一向平気なもので、

『あ! お前はくたびれましたか。それなら早くお帰りなさい。その中又出てくるがよい。お前が来る時は私は何時でもここまで出掛けてきます。』
 やがてカアリイは二人と別れて立ち去りましたが、忽(たちまち)幽界の壁のようなものに遮られてその姿を失いました。叔父さんはワアド氏に向かって言いました。

 

──
『お前はカアリイがくたびれたと聞いた時に大へん気を揉んだようじゃが、あんなことは何でもない。肉体の方でその幽体を呼んでいるまでのことじゃ。生きている人の幽体が肉体に入る時の気分は寝付く時の気分にそっくりじゃ。イヤしかしお前もモー戻らんければなるまい。先刻は地上から出かけるものばかりであったが、今度は皆急いで地上に戻る連中ばかりじゃ。』


 成る程夢見る人の群れは元来た方向へ立ち帰るものばかりで、歩調がだんだん速くなり、ワアド氏の父も失望の色を浮かべて急いで脇を通過して行きました。
 やがて人数は次第に減り、幽界の居住者の中には、苦き涙を流しつつ、地上に帰り行くいとしき人達に別れを告ぐる者も見受けられました。

『さアお前も良い加減に戻るがよい。』
 叔父さんに促されてワアド氏もそこを立ち去ると見て、後は前後不覚になりました。

 翌朝ワアド氏は昨晩あったことをカアリイに尋ねてみると、彼女は幽界における会見の大部分を記憶はして居ましたが、しかし彼女はそれを単なる一場の夢としか考えていませんでした。

 

 

J・S・M・ワード 死後の世界

 

 

 

ワードの死後の世界では、亡者のようにフラフラと幽界と物質界の中間境(ここでは夢幻境、ローム太霊は次元界などのように呼んでいる)をさまよっていたり、覚醒中に地上にいる間は幽界を信じず、睡眠中に幽界にいる間を地上を忘れてチェスなどの遊興に耽っていたり、極端に物質的で肉欲の強い人になると睡眠中であっても肉体から出てこない人のことなどが述べられています。

 

 

 

この辺りは個人差が大きいみたいでシルバーバーチでは睡眠中に幽界で仕事をする人もいると述べていますし、おそらく勉強をしたり幽界探検をしたり、各自の霊的なレベルによって千差万別なのかと思います。

 

 

多くの人は死後幽界から霊界に行くために幽界を見て回ったり、幽界で経るべき過程があるようですが、そういった肉体の人生が終わった後に幽界で行うようなことを既に肉体が存命中に睡眠を利用して済ましている人も中にはいるそうです。

少なくとも目覚めたときに覚えていなくても幽界で見聞きした事は、霊としては記憶していて死後幽界に進んだときにかつて自分がここに来たことがあると言う記憶が甦り、それが新しい境界での生活に役立つことがあるとシルバーバーチは述べています。

 

 

 

こういった人は普通の人が死後に幽界ですべきことを肉体があるうちに済ましているわけですから死後直接霊界に行きますし、極端な人になると霊界で済ますべき過程すらも肉体あるうちに済まして直接神界に行く人も歴史上にわずかにいるそうです。

 

 

但し神界と言ってもあくまで地球の神界であって、太陽や月、あるいはもっと別の神界ではないそうですが、それでも凄いことでローム太霊の本では有名な武内宿禰がそうであると述べられています。ここまでの人は歴史上でも僅かしかいないでしょう。

 

 

 

ワードの死後の世界でもワード氏の奥さんのカアリイ(Carley=今風に書くならカーリー)も夢幻境で叔父さんや夫であるワード氏と会ったことを夢としては覚えているそうですが、私は夢としてすら全く記憶にありません。

 

 

 

私は元来夢を全くと言って良いほど見ない人間で、一年に数度は見ますがほとんど大したことは覚えていません。信じられないことに毎晩様々な夢を見る人間がいるそうですが、それがただの夢なのか幽界で起こったことなのかはケースバイケースですが、幽界に行っている(はずの)間のことが一切私は記憶に残らないのでとても残念ではあります。夢ですら見ないので、夜寝て朝起きるまでは何もなかったように感じます。

むしろ精神統一している間のほうが色々な場所に幽体が行っている幻を見るくらいです。

 

 

シルバーバーチは「霊格がある段階以上に発達してくると話は別です。霊界の体験を思い出すよう脳を訓練することが可能となります。」と述べていますが、私はそれが出来るほど進歩していない人間でしょうから、寝る前に守護神様によくよく頼んでちゃんと覚えていようと意識してから寝ているのですが、いまのところ芳しい効果はありません。

 

 

 

夢も見ませんし、記憶にも何も残らないのですが、ローム太霊の述べていることに心当たりがあることがあります。

「背後霊が当人の頭を使って夢で幽界のことを知らせたり、現在の難問を解いてくれたりすることもある。」「一部というのは自分の見たことはぼんやりと覚えているが、景色もそこに出て来た人間もはっきりしないでただ意志の伝達だけが現在意識になってからやや分る位のものである。」という一文で、寝ている間の幽界で誰と何処で何をしたなどは一切覚えていないのですが、朝起きると抱えている難問に対する解決方法をインスピレーションとして直感的に感じることが多々あります。

 

こんなことは十度や二十度ではなく、しょっちゅうで私は寝ている間に幽界に進み、勉強したり修行したいと強く願っているのでもしかしたら実際にそうしているのかもしれません。

 

記憶は一切ありませんが、成果だけを朝目覚めると得ているわけです。その成果は本当に幽界で得たものかはわかりませんが、少なくとも地上生活を送る上では大変な助けになっています。

 

 

例えば家族や恋人や友人など大切な人と死に別れて悲しんでいる人がいます。死に別れた大切な人とまた会いたいと願っている人は当然睡眠中に幽界に行っており、中には実際に会っている人もいます。

 

 

前述のワードの死後の世界の中でもその話が出てきていますが、会える人も会えない人もいて、それはお互いの霊的な進歩度合いに依存するでしょうし、守護神や高い境涯の神様の許しがあるかどうかなども関係するのでしょうが、死に別れた大切な人と睡眠中に幽界で会っている人は、具体的に何処で何をしたとか、どんな話をしたとかそういった細かいことを覚えていなくても漠然とその人の意識の深い部分で大切な人と楽しい時間を過ごしたという印象が残るために、最初は悲しみに沈んでいても時間を経て何度もそういったことを繰り返しているうちに段々と元気になることがよくあるそうです。

 

 

こういったことはシルバーバーチも個人的存在の彼方へのマイヤースも述べていますし、睡眠中に会う人たちは何も死に別れた大切な人ばかりではなく、生きている人間同士でも会う人はありますが、やはりどれだけ覚えていられるかとそれがただの夢なのか実際に幽界で出会っているのかを見分けるには霊的な本人の霊的な進歩状況が最も大きな要因になります。

 

 

また基本的には寝ている間というのが前提条件になるのですが、例外的には起きている間に幽体だけが幽界に行って用事を済ましていても肉体は目覚めているというケースを出口王仁三郎の何かの本で読んだことがあります。

 

ある時出口王仁三郎がわけもなくとにかく昼間眠くて眠くてしょうがないので、教祖の出口なおにそのことを告げると「霊界で御用をしている」と言われて、本人もだいぶ後になってからそれを知ったという趣旨のことだったと思いますが、精神統一などをして幽体だけを地球上のどこか別の場所に飛ばして遠隔透視して遠くの状況をまるで見てきたように述べる霊能者などはおそらくこの類なのでしょう。

 

 

出口王仁三郎の場合は起きて普通に生活しているときにというのが面白いですが、本人にとってもこれは例外的なことで、やはり普通は寝ている間に起きることです。

 

 

私のように全く夢を見ない場合は人は明らかに何処か具体的な場所で何かをしたということをもし夢で見たなら、わりと見分け易いのではないかと思います。

 

 

死後の世界のワード氏のように毎晩大した苦労もなしに幽体離脱して幽界や霊界に行けるならこんな楽なことはありませんが、睡眠中に幽体離脱して云々という話はよく聞くものの、私の場合は全く記憶に残らないので守護神様によくよく頼んで、自分でもそういう意識をしっかり持って、できれば寝る前に精神統一を行い、地道に努力を続けていくしかないようです。