昭和期に活躍した竹内 満朋(本名は栄一)という霊媒に懸かったローム太霊という霊がいます。

 

妙高山発祥の紫光会という修験道の団体の人間たちに竹内 満朋を霊媒として神懸かりして霊界のことや修験道の修行、あるいは霊的なよもやま話などを述べている本がローム太霊講話集になります。

 

 

ローム太霊講話集

 

 

西洋ではシルバーバーチやホワイトイーグルなどが有名ですが、物質文明重視でそもそも死後の世界があるかどうかすら信じられないとか、霊や神を非科学的とする唯物主義の西洋人たち相手に死後の世界や霊の存在がまずはあるという非常に基本的なことを土台に述べているのに対して、ローム太霊は死後の世界や神や霊などがあると理解している日本の修験道の修行者たちに対してもっと専門的で具体的なことを述べています。

 

 

ローム太霊については私は本でしか知らないので真偽に関してはなんとも言えませんが、少なくともひふみ神示やシルバーバーチと死後の世界や霊的な法則について述べていることはほぼ同じで修験道の修行者に対して述べているので内容がそちらに傾いている(特化している)という点が大きな違いです。

 

 

 

唯物主義で無神論の人間が修験道なんてやるわけありませんので、シルバーバーチはとても立派でもっともなことを述べているけれども、もっと霊的に突っ込んだことが知りたいという人にとっては修験道という色付けはありますが、面白いかもしれません。

 

 

この本の中でローム大霊は四方拝について述べているのですが、これは宮中祭祀の四方拝とは違う性格のものなのかしれなものの、東西南北にはそれぞれの担当の神がいて受け持ちがみな違うため、願うことがあるなら自分の必要や目的に合わせてそれぞれの神を拝すると良いということを述べています。

 

 

 

東西南北にはそれぞれ主管する神がおり、それぞれの方角を上の図のように4つに分割し、その1つ1つに北のみ16柱、それ以外の東西南は8柱の神の部下いると述べています。

 

この中で西の神は人間の精神の完成と肉体の完全な発達を願う方角で 西霊大真如太神 せいれいだいしんにょおおかみ という神様をトップに32柱の神が部下にいて、特に病気や怪我で健康を失って苦しんでいる人は上図の西西神の神(緑の枠)が担当しており、その神の名は 久禱津久練真太神 きゅうじつくねりしんおおかみ という神様が担当だとローム大霊は述べています。

 

 

また「地球が自転するのに人間が定めた時間で4分掛かるので4分は祈ると良い」ということの趣旨を述べているのですが、4分で地球が自転?というのは物的な観点からはよくわからない(霊的な意味で言っているのだ思います)が4分間が西西神に祈ると効験があるかもしれません。

 

 

さらに祈ってもたった1度の祈りで簡単に願いが叶う人もいれば、何度も長い時間祈っても中々願いが叶わない人もいるということに対して、人間の祈りは神になかなか通じにくい側面もあるので自身の守護霊・指導霊・支配霊に頼んで自分の願いや祈りを届けてもらうと良いとも述べています。

 

 

 

何神様とハッキリ目標つけて拝めよ。只ぼんやり神様と云っただけではならん。大神は一柱であるが、あらわれの神は無限であるぞ。根本の太日月大神さまと念じ、その時その所に応じて、特に何々の神様とお願ひ申せよ。

 

ひふみ神示

 

ひふみ神示にもぼんやりとなんとなく神様ではなくて、主神(ひふみ神示では太日月大神)ではあるけれど、その現われは無限であり具体的なそれぞれの担当の神様がいるから、それに応じて〇〇の神と願えと述べています。

 

 

ピアノが習いたいとか、お腹が痛いから診断・治療をして欲しいという具体的な願いがあるなら音楽教室のピアノ先生や内科の先生のところへ行くべきであって、道端で手あたり次第なんとなく人に尋ねるようなことではないようにそれぞれの担当の神様に願うべきだというのは確かに理にかなっています。

 

 

ローム大霊の本には健康だけでなく金銭問題や人間関係など色々な担当の神様がおり詳しく解説されていますが、ともあれ健康を失うことは人間にとって辛いことですし、社会の役に立ちたいとか自分の修行を積むとしても健康がやっぱり土台ですから誰しも健康で元気でありたいと願うのは人として当然の願いです。

 

 

 

また東西南北の方位の東とか北とかは人間の言う北や東ではないと思われます。地球は自転していますし、長いスパンでは地球の歳差運動で北極星も変わります。ローム大霊も修験道や仙人の世界では北極紫微宮のように北を重視するのは多くの宗教が地球の北半球で生まれたからであり、もし南半球で生まれたなら南十字星が対象になっていたかもしれないと述べています。

 

 

日本において地球の表面から見れば南や東はどんどん角度が変わってあくまで地球が平面で静止しているという条件で東西南北という概念が成り立つため、おそらく方位の北や東は比喩のようなものかとも思いますが、人間の分際としてはやはり実際に地球の表面から東西南北を型として考えて良いと思います。

 

 

 

霊界に方位はない、人民は東西南北と申してゐるなれど、今に東の東が現れてくるぞ。霊界では光のさす方が北ぢゃ、その他の東西南北は皆南ぢゃ、北が元ぢゃ、北よくなるぞと申してあろうがな。

 

 

救ひの手は東よりさしのべられると知らしてあろが、その東とは東西南北の東ではないぞ、このことよく判りて下されよ。今の方向では東北(艮)から救ひの手がさしのべられるのぢゃ、

 

 

祓は祓清めの神様にお願いして北、東、南、西、の順に柏手四つづつ打ちて祓ひ下されよ。神国の乱れ、こえキから。

 

 

のようにひふみ神示でも述べられていますが、おそらく霊界に人間の言う方位は本当にないのでしょう。しかし実施に西北西に向かって西西神に祈る(という人間にはそれしかない)のは意味あることだと思います。