私個人の人間的欠点として怒りっぽいという点があります。

 

直接の対人関係で相手に怒りをぶつけることはよほどのことがない限りありませんが、いわゆる社会全体の悪や人間の内面的な薄汚さにどうしても憤ることがあります。

 

 

一人でいるときはよくそういったことに怒りを感じることがありました。とくに外に出かけて一人の時にはよく怒りの感情をふつふつと沸いてくることが多く不思議に思っていました。

 

 

そしてつい最近「魂の幽霊界行脚(竹内満朋)」という本を読んだのですが、その本にこんな場面がありました。

 

全体としては著者が幽体離脱して守護霊とともに幽界の色々なところを回って修行をする本なのですが、ある善霊が集まる場所にいくと太鼓の音が「ドーン」「ドーン」と響き一体それが何の音なのかがわからず、色々と考える場面があります。

一部抜粋してみます。

 

 

「あれは何だろう、空に波があるはずもないが……」と考えこんでいるうち。私はふと「あれは善波と悪波が衡突するために生ずる波の音だ」と思った。それは文字通りの直感でありヒラメキであったが私はそれにちがいないと確信した。

 

そう思った私はスックと立ちあがった。
「そうだ。このオアシスで実験してみれぱよい。善と悪との波の闘争音がきけるかもしれないからだ。もしオアシスが善とすればこの砂漠は悪である。このオアシスで真偽をためそう」
そう決心した私は、オアシスの中に侵入し、心気を統一して、ジーっと耳をすました。するとかすかに「ザーッ、ザーッ」と波が押しよせるような音がきこえてきた。


「アっそうか。あのときの太鼓の音は善波と悪波が相打つ音だったのだ」
驚喜した私は思わず手を打って大音声を張り上げ
「主護霊さま、わかりました。やっとわかりました」
と叫んだ、するとその瞬間どこからともなく現われた主護霊が
「わかったか、それは感心感心、これで一歩進んだというものぢゃ」
と、ほほえみをたたえながらその音響について語ってくれた。
「お前には太鼓の音がドンドンときこえたり、岩にあたる波の音がザーザーと響くように思われるだろうが、その音は霊によってそれそれ違っているのぢゃ。善霊の住む場所に悪霊の侵入を防ぐためにああした音が生ずるのちゃ。善霊は細い微妙な波動から成り立っており、悪霊は粗雑な波動からできでおり、自然その振動数はおそい。

 

それ故善霊は悪の世界に出入りすることができても、悪霊は善の世界に立ち入ることはできない。いまの音でもわかるように、悪波が善波の側にくると消殺されてしまう。

われわれが現界人をみるときには、この波動の振動数によって見分けるのぢゃ。善行の多い人かどうかは一日瞭然なんじゃよ」

 

 

 

魂の幽霊界行脚: 死後の世界の体験記
竹内満朋


 

 

幽界にも善と悪との争いがあり、悪の側が常に善の側を害そうとしますが、悪側くる粗く低い波長が善の側が出す精妙な高い波長とぶつかって消されてしまうときにドーンドーンとかザーっザーっという音がするそうです。

 

 

私が主に怒ったりするときは周囲にいる悪の霊たちが私の中の様々な記憶を呼び起こし、怒りを感じるように誘発します。何もないところのはずなのに怒ったりする私自身が必ずしも原因ではなく周囲の程度の低い霊がそれを誘発するからです。

誰かと一緒にいるときにそれが起こらないのはきっと他人と過ごすに意識をそちらに割くために悪霊が私の悪感情を刺激出来ないからでしょう。

 

 

 

人間というものはどうあっても神の側であり、シルバーバーチ風に言うなら「人間の内奥に宿された霊的な資質を発揮すればするほど、それだけ宇宙の大霊をこの世に顕現させている」という言葉通り、人間は本来神様側なので私の内部から神様側の善のは波動が出るようになると悪の波動とぶつかってバチンとかドンとかボンとか色々な音がして悪の波動が私に届く前に相殺されていきます。

 

 

霊とは波動そのものですから私に触れられなくなったわけですが、すると以前あったような怒りを感じることが全くなくなって自分でも驚きました。怒りそうにもしなったら良い波動が、神様側の波動が自分の内面から出るように意識すると怒りも消えていきます。

 

ひふみ神示に下のような言葉があります。

 

 

むやみに腹が立ったり、悲しくなったり、くやしくなったりするのは、まだめぐりあるからぢゃ。めぐりの霊界との因縁が切れて居らぬからぢゃ。

 

ひふみ神示

 

 

私は腹が立ったわけですが、きっと人によって色々で悲しくなったり、くやしくなったりするのでしょう。これはひふみ神示風にいうならめぐりの霊界との繋がりがあり、そういう悪霊邪霊が寄って本人の悪感情を外部から誘発するからです。

 

 

私の場合はめぐりの霊界との因縁が切れたかどうかはわかりませんが、少なくともめっきり腹が立つことはなくなりました。

 

 

そもそも怒りはエネルギーそのものであって、ガソリンみたいなものです。放火して人を苦しめる道具にもなれば、エンジンの燃料として人間の役にも立ちます。

 

 

言ってみれば私の内部にあるエネルギー(ガソリン)に悪霊邪霊が近づいて火をつけていたわけです。

 

 

しかし目の細かい網を大きな生き物通り抜けられないように私に近づくことが出来ないとなるとそれも出来なくなったため少なくとも一旦のところは諦めたのでしょう。

 

 

ちなみにどんな音がするかはぶつかってくる霊(波動)とこちらから出ている霊(波動)次第です(もちろん霊的な音です)。

 

 

ずっとこれは良くないと思っていた私の悪い癖が治って大変喜ばしく思っています。むやみやたらに怒ったりしなくて済むのはとても気分がいいです。