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まとめ

・家とはただの物質ではない

・家を綺麗にする

・家中ご神前

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「家」というのはそれを構築している物質のみで出来あがっているのではないことをまず銘記して頂きたいと思います。

 

本当の意味の「家」とは一定の位置を持つ「場所」であると同時に、そこに住む者の精神が調和して、より高い生命の界層からの影響力を受けられる状態でないといけません。

 

そういう状態であってはじめてその家に「霊の宮」が出来たことになります。顕と幽の2つの世界を隔てる障壁が取り除かれ、邪魔物が排除され、両者が一体となります。 もとよりあなた方の目には見えず耳にも聞こえませんが、そこには全ての束縛(物的カルマ)から解放された光り輝く存在が常に存在して地上からの要請に応じております。

 

お二人のお家もまさにその1つです。この家でこの私に献納の言葉を述べることを要請なさったということはここに集われる方にとって、この家が聖別された神聖な場所であることを心に掛けて頂きたいということでしょう。 

 

たしかに此処は霊と物質とが接する場であり、私どもの世界から派遣された者が訪れてあなた方を通して、闇の中にいる人々に光を見出させてあげるための仕事をする場所です。

 

 一般の家とは異なるということです。もちろんお二人にも人間としての日常生活があります。が、それだけではなく、霊力が顕現する場でもあるということです。霊の灯台として、道に迷い疲れ果てた旅人に光を照らしてあげ、憩いの場、やすらぎの場を与えてあげることです。

 

シルバ-バ-チ最後の啓示 

 

 

シルバーバーチの述べる家への考え方は、単に家とは物質の塊ではなく、ある種の霊的な場でもあるということです。彼はそれを「霊の宮」と呼んでいますが、これはそのまま日本の神棚を連想させます。

 

 

御神前ばかり清めても誠成就せんぞ、家の中みな御神前ぞ、国中みな御神前ざぞ、判りたか。

 

ひふみ神示

 

ひふみ神示ではご神前(神棚)だけ清めても駄目で、家中をご神前として清らかに、もっと広げて国中をご神前として清らかにしなければならないと述べていますが、家全体というものがシルバーバーチの言うように「霊の宮」となるには、たしかに家の中が汚くて神棚とその周辺だけが綺麗でも駄目でしょう。

 

産土神は毎日自分が担当する人間の家々を周り、その家の勝手口が入って火の周りと水の周りを綺麗に使っているかチェックすると言います。

 

おそらくは産土神(のたくさんの眷属がという意味でしょう)が、勝手口から入るのは人に見られる玄関は綺麗しても、隠れた勝手口を綺麗に掃除するかで人間性が表れるから、火と水は火水が尊い穢してはいけないものだからだそうです。

 

マンションなど勝手口がない場合はケースバイケースでベランダなどから入る場合もあるそうですが、そもそも霊にとって物質的な壁などあってないようなものなので、何処からでも出入りすることが出来ます。

 

自分の住んでいる家を綺麗に使えるかどうかは、まさにその人の人間性を表す部分ですが、高級霊からの良い影響を受け止める霊の宮たり得るには当然綺麗に掃除されていなければいけないはずです。

 

ゴミだらけの穢れた神社にまともな神がいるはずもなく、ゴミ屋敷に住んでいる人間が高い霊性を持った聖人君子であるとは考えにくいです。

 

 

 

神の衣は人であるぞ。汚れ破れた衣では、神はいやざぞ。衣は何でもよいと申すやうなものではないぞ。暑さ寒さ防げばよいと申す様な、簡単なものではないぞ。今は神の衣なくなってゐる、九分九厘の臣民、神の衣になれないのざぞ。

ひふみ神示

 

 

ひふみ神示には「汚れた衣では神はいやざぞ」ととあり、人間そのものは神の宮であるのですが、家もまた拡大された意味での神の宮(神社や神棚がまさにそう)、シルバーバーチ風に言うなら霊の宮です。人間の魂、精神、肉体の内面と外面を正常に保つように、家もまた清浄に保つ必要があるはずです。

 

 

神や霊が活動の足場として使うという意味では人間も家も同じであり、常に清浄に保つ必要があります。

 

最後に霊界の家について面白い記述がありましたのでご紹介します。

 

 

次は霊界の住居の話に進もう。住む家がないということはいわば霊界の浮浪者であることを意味し、それは最低界においてのみ見られることである。

 

(中略)

 

男性と女性が正しく結ばれて、まず最初に考えることは、我家をこしらえることである。つまり自分たちが住み、客を迎え、時には衆目から逃れる場所であり、休息し、元気を回復する場所でもあり、美を創造する場所でもある。

 

地上の人間とまったく同じ意味において、高級霊にも家は必要なのである。ただその荘厳さと気高さのスケールが違う。地上の家は天界の家を小さく、そしてみすぼらしくしたようなものである。

 

人間が太陽の炎熱から逃れたくなるように、天使にも時として天界の強烈な光がまぶしくて耐え切れなくなる時があるものである。 

そんな時、家がよき退避場所となる。このように霊界においても家は絶対に必要であり、家なしではやっていけないし、事実、家を持たぬ者はいない。

 

世界心霊宝典」Ⅲ