地上生活の目的はいよいよ霊界へ旅立つ時が来た時に充分な備えが出来ているように様々な体験を積むことです。まずこの地球へ来るのはそのためです。地上はトレーニングセンターのようなものです。霊が死後生活に対して十分な支度を整えるための学校です。

 

あなた方にとって嫌な体験こそ本当は一番ためになるのですよと繰り返し申し上げるのはそういう理由からです。魂が目覚めるのは呑気な生活の中ではなく、嵐のような生活の中に置いてこそです。雷鳴が轟き、稲妻が走っている時です。

 

 

酷い目に遭わなくてはいけません。しごかれないといけません。磨かれないといけません。人生の絶頂と同時にドン底も体験しなくてはいけません。地上だからこそ味わえる体験を積まないといけません。かくして霊は一段と威力を増し、強化されて、死後に待ち受けている生活への備えが出来るのです。

 

シルバーバーチの霊訓

 

 

 

 

行き詰まりが有り難いのじゃ進んでいるからこそ、行き当たり行き詰まるのじゃ、省みる時与えられるのじゃ、悟りの時与えられるのじゃ

 

何事に向かっても先ず感謝せよ、ありがたいと思え。始めはマネゴトでもよいぞ、道は感謝からぞ、結構と思え、幸いと思えそこに神の力加わるぞ。不足申せば不足うつるぞ。心のままとくどく申してあろうが。病気でないと思え、弥栄と思え病治るモト生まれるぞ、キがもとぞ何事来るとも何クソと思え、神の力加わるぞ。恐れは恐れ生むぞと申してあろうが。

 

ひふみ神示

 

ほとんどあらゆる霊訓や神示の類いには困難や苦しみ、人生における悲劇こそが霊的な視点から見ると有り難いという旨のことが書かれています。

 

たしかに普通に考えれば苦労知らずの安楽な生活からは何も得るものはなく、厳しい困難を自力で乗り越えるような経験を積むことの方がよっぽど人間性の成長に繋がります。

 

 

言葉ではそうわかっていても実際に人生において大きな悲劇、大病、ショックな出来事などに襲われると人間というのは必ずしもそうは考えられないことが多いのですが、むしろだからこそ意味があるとも言えます。

 

 

シルバーバーチやひふみ神示酷い目に遭わなくてはいけません。」「行き詰まりが有り難いのじゃ」と言っていますが、実際人間酷い目に遭ったり、行き詰まったりすると必ずしも前向きにはなれない人もいるでしょうし、落ち込む人が多いのは事実です。

 

そこに人間の精神・魂を鍛える本当の意義があるように思えます。

 

 

片手間で簡単にクリアー出来るような問題であれば、そもそも問題として成立しませんし、それをクリアーした所で成長も達成感もありません。

 

 

その人にとって全力で取り組み、到底クリアー出来なさそうな大きな問題でなければその人の人間性を成長させることはないはずであり、逆に言えばその経験を通して人は成長し、次に同じ目にあった場合でも過去の経験から対処できるようになり、さらにはその経験を元に人に同情的になったり、時には人助けに役立つことすらあります。

 

 

生前、一生を呑気に過ごした人は死後霊界で自分の人生が全く無意味なものであったと後悔するそうですが、私個人としては困難こそが確かに有り難いと感じます。

 

 

シルバーバーチ酷い目に遭わなくてはいけません。」と言ってますが、実際に酷い目に遭えばそれは大変ではありますし、解決までに膨大な時間と労力を必要とし、一見お先真っ暗というか「これはどうしようもない」と思えることが私にはたくさんあります。

 

 

その時こそまさに成長のチャンスであり、そこでどうするかで人間の真価が決まるように思えます。まぁ大体は落ち込んだりせずに、まずその困難に感謝し、明るい心で神様に助けを求めて、そのヒントを元に自力で何とかするというのがほとんどのケースですが、「苦しい時の神頼み」を覚えるというのは人間と霊や神との繋がりを強固にする一つの方法であるとも言えます。

 

 

苦しい時の神頼みでもよいぞ、神まつりて呉れよ、神にまつはりて呉れよ、神はそれを待ってゐるのざぞ」とも神示にありますが、何度も何度も交流があると次第にその霊線を強化されて通信がし易くなります。

 

最初はか細い糸のような頼りないものが段々と強固な繋がりになっていくわけです。

 

 

普段は無神論を気取っていても、人生においてもうどうしようもないくらい追い詰められると「神様、助けて下さい」と大勢の人が言うものですが、そこまで行く前に普段から精神統一をして自分の守護神との連絡をできる限り取れるようにしておいた方が楽に困難をクリアー出来ます。

 

 

高級な霊からの助けであればあるほど、それは偶然に自然に見え、何か思いついても人はそれを自分の考えやひらめきのように捉えて、助けられたことがわかりにくいことが多いのですが、結果的には物事が良い方向へ進んでいきます。

 

 

三千年の昔に返すと申してあらうがな。よい御用いたす身魂ほど苦労さしてあるのぢゃ。他から見ては、わからんなれど、苦労に苦労さして、生き変り、死に変り、鍛へに鍛へてあるのぢゃぞ。肉体の苦労も霊の苦労も、どちらの苦労にも負けん人民臣民でないと眼先のことでグレングレンと引繰りかへりて、あわてふためく様なことではどんな事あってもびくともせん、ミタマでないと、御用六ヶ敷いぞ。

 

ひふみ神示

 

 

世の中の役に立つ人間になろうと思うなら、現実問題相当鍛えられた人間でなければ役には立たないわけで、ちょっと自分のことでつらいことがあったら、すぐ泣き言・諦め・ふて腐れた態度が出てくるような未熟な人間がまともに使い物にならないことくらい私にもわかります。

 

 

すべての霊はより良くなることを目的としており、地上人もより良い生活や健康や経済状況や人間性を求めます。そのためには苦労こそむしろ有り難いということが最近はかなり身に染みてきました。

 

 

ただ常に自分にとって困難と感じなければ意味がありませんので、当然レベルに見合った壁にぶちあたります。小学生には小学生の、大学生には大学生の問題が与えられ、また計画されていますので、多分永遠に大変であることには変わりないのですが、人生におけるあらゆる艱難辛苦を前向きに捉えることとがまず大前提として必要であり、次に守護神や主神に援助を求めて神(霊)と人間が一緒に働くことを覚えるのが大切なのではないかと思います。

 

それで大体なんとかなるはずです。