精霊せいれい生命せいめいほろことがあるかとくのか、無論むろんあるよ、げんいきひとすなは肉体にくたいをもつてひとにでも精霊せいれい生命せいめいうしなつてるものがある。発狂者はつきやうしやごときはそれであつて、きながらすで邪霊じやれいめに、まつた精霊せいれい生命せいめいほろぼされて仕舞しまつてる。永遠えいゑん生命せいめいといふのは、かみしんじ、かみにあるもののみが享有きやういう特権とつけんである。

 

出口王仁三郎 三鏡

 

 

 

 

再生の問題についてインペレーターは一般に信じられている形での再生説は間違っていると述べ、偉大なる霊が人類の啓発のために自ら志願して地上へ降誕することはこれまでの地上の歴史からいくつかの例があること、また霊性の穢れが極端に酷い場合は最低界に沈んでいき、一旦「霊の海」へ埋没してから、改めて生まれてくることもあるという。ただしその場合は多分この地上ではなく別の天体になる―――一度落第した学校には二度と通わないものです、という。

 

(インペレーターの霊訓)

 

 

 

歴史上の悪名高き人物は皆をそうした段階(地上への再生での苦難)を経てそれぞれ異なる反応を示している。ある者はいち早く自分の精神構造の歪みに気づき、改悛し、その人生だけで根本から改まる。またあるものはほとんど進歩らしきものが得られず、うち続く不幸の波に飲まれているところに類魂団の救済措置で救われるケースもある。

 

放置しておけば魂の本性から出る有毒の炎で取り返しのつかない傷を受けるはずのところを、類魂の必死の救済措置で切り抜けるのである。

 

特殊なケースとして精神構造の中の極悪非道の情景で埋め尽くされた部分を破壊する以外に救済の方法がないこともある。そうすることによって魂の本性を陰湿なものにしている加虐趣味的性向を類魂が新たに修復するのである。

 

(個人的存在の彼方 マイヤース)

 

 

大慈大悲にして全知全能たる主神が自らの子を善事も悪事も行えるように設定して作ったにも拘わらず、悪事を働いたら滅ぼすということはあり得るのか?という趣旨ですが、「滅ぶ」という言葉の意味が問題です。

 

肉体が死ぬという意味なら地上人全員に起っていることですし、幽界や霊界の天人・天使が地上人がこの世を去るときにそうするように旧い体を捨てるということはあの世でもあります。

 

 

地上人風に言うなら2度目の死、3度目の死、4度目の死…、という表現がわかりやすいと思いますが、ひふみ神示にも「そなた達の本尊は八枚十枚の衣 着ているのぢゃ。死という事はその衣、上から脱ぐことぢゃ。脱ぐと中から出てきてまた八枚十枚の衣 つける様になっているのぢゃ。分かる様に申しているのぢゃ。」と述べられており、一番上の衣である冬で言えばコートのような存在が私たちの言う肉体なわけです。

 

 

私の知りうる限りですが、人間のように個性を獲得する段階まで進歩した霊は永遠の生命を持っているはずです。少なくとも原則的にはそうであるはずですが、極端に悪事を行い地獄の底まで降りていった人間の中でも、さらに極悪を煮詰めた汁をさらに煮詰めて凝縮させたような輩がある段階までに改心しなければ、最終的にどうなるのかはわかりません。

 

 

普通はいくら悪人、極悪人と言えども、それが数千、数万、数億年の長い期間の末であっても改心するのが普通です。これは地上でもよくあることですし、ましてや地上のように数十年しかない人生ではなく永遠とも言える霊界であれば長い人生の中で改心する人はたくさんいます。

 

 

しかし、どうしようもない状況というのもあれば、今は改心していなくても将来改心するかもしれないわけで、神が定めた期間というよりは霊の状態(霊性が極端に低下する)によって、少なくとも個性を維持できなく状態になるのではないかと思われます。

 

 

つまり出口王仁三郎のいう「滅びる」とは個性が維持できなくなるということのように思えます。インペレーターのいう「霊性の穢れが極端に酷い場合は最低界に沈んでいき、一旦「霊の海」へ埋没してから、改めて生まれてくることもある」というのも「霊の海?」に一旦入った個性が全体に拡散してして、新しく生まれ変わるという意味に受け取れます。

 

 

もちろんそうなる前に神の徹底した救いの手があるでしょうし、マイヤースのいうような類魂団による救済措置も何重にもかけてあるはずですが、それでもどうしようもない場合があるのかもしれません。

 

人間は死後もそっくりそのままであり、再生しても類魂の本体はすべての記憶を保持しているわけですが、この霊として個性を失う段階まで低下した場合を滅んだと定義して良いように思えます。自分という物が完全に消えてしまうわけです。

 

 

人体の中にダブルという人体そっくりの魂と肉体を中継する半霊半物質があるのですが、その中に死後(または睡眠中)に霊界で使う肉体のエッセンスともいうべきものがあります。これが地上に生きながらにして崩壊してしまっている人も事実です。

 

 

しかし地上で極悪非道の暴君にも種類があり、今回人間として生まれてくる前は動物だった人物で、そもそも霊性が発達していないので良心の呵責というものがほとんどない、つまり悪意がないけれど周りからは悪を働いているように見える人もいれば(これは単に未熟と言います)、ある程度の進歩を獲得しているにもかかわらず、自ら進んで極悪非道の道を歩む人もいます。

 

 

この場合後者の方が圧倒的に罪が重いのですが、人間が霊界に入る時の様子は千差万別であり、死後必ずこういった悲惨な目にあう、または必ずこういった良い思いをするというのはケースバイケースなので一概に言う事は難しいです。

 

 

しかし私の乏しい経験から知りうる限りでいえば、個性の存続と言う意味での生命は極限まで霊性が低下し、地獄の底まで落ち込んで、それでも全く改心の兆候が無い場合は、致し方ないように思えます。

そういった霊は一旦個性が埋没し、また生まれ変わるのではないかと予測します。

 

 

このようなケースはこの記事を読むような方には縁のない話であり、地上において真の極悪ともいうべきほんの極一部の人たちの中のそのまたごく一部が辿る将来の姿に過ぎません。

 

 

普通は極悪人は死後または存命中に、自分が過去に苦しめた人や行った悪事に苦悩します。死後であれば地上に生まれ変わってその償いをします。色々なケースがあるようですが、何をやっても駄目な人、極端に低脳な人、努力しても報われない厳しい環境、etc…、などで挫折と苦悩だらけの人生を送り、そういった経験から徐々に他人に対して憐れみや同情を覚えるようになって、少しずつではありますが正道に立ち返るようになります。

 

 

復讐されることもあるでしょうし、改心しても行ったことがチャラになるわけではありません。また類魂の関係も入ってくるのでケースは複雑ではありますが、原則的には自分が作った借金は自分で返済というのが普通になります。

 

当たり前ではありますが借金の額が多ければ多いほど返済にも時間や苦労が伴うようになります。

 

 

地上では悪いことをして財産や名声や地位を得た方が得という風に考える人が多いということは分かっていますが、実際は完全に逆であり、自分が行った悪事や周囲の人間や社会全体に対して取って来た態度・行動は必ず自分に返ってきます。

 

善行を積むという所までは行かなくても、単に損得の打算だけでも構わないので、悪事を働くことが実際は損だということがわかるようになるまでは、地上はなかなか良くならないように思えます。