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心が迷子で、生きづらい人生に、
そっと寄り添い本来のあなたを取り戻すお手伝いをする
見習いセラピスト🔰ようこです。
はじめましての方は…
「自己紹介初投稿✨」
を読んでいただけたら嬉しいです🍀
今回も、私たち家族と宗教の出会いから、少し成長した私が感じてきたことの続きの話になりますが、お伝えしようと思います。
ご理解、お付き合いいただけたらありがたいです。
では、本編です!👉✨
③でお話した、自分の中での色んな気持ちを持ち続けながら、
反抗期というものも経験せず、
ただひたすらまわりの顔色ばかりを伺いながら合わせていく生活リズム、
親のレールに敷かれたまま抜け出せず、イジメも過激になっていく中、
就職先がその宗教の職員に…の話になりますが、
そのきっかけとなる、またとてもつもないキツイ試練のお話になります。
まずは…
🟡今でも忘れなれない記憶…
小学6年、腹痛でのたうち回るも、
「お腹ひえてるだけ、アイスの食べ過ぎだから大丈夫」
まず、毎回言われた言葉…。
でもなんだか様子が変?
と気がついたのか、
近所の外科にしぶしぶ診察。
そして診断結果は盲腸。
しかも癒着ひどくて危ない状態といわれ緊急手術からの入院。
手術中、麻酔が効いてなく、泣きわめきながら手術されていたのを今でもその時の事は覚えています。
そして入院中…
病院から出された薬は病室で回収。
点滴もしてるふりではずされる。
の病院での母の行動でした。
やぶ医者と有名な病院だったので、傷口はかなり長めに、いまでも傷口みると思い出します…💦
そして…
一生向き合っていかなければならない出来事の第1弾のはじまり…。
実は…
私が高校1年の時、母は高齢出産をし15歳離れた妹がいます。
姉妹でも年齢も離れすぎていて、私も微妙な年齢だったので、妹をみていて可愛くないとかでなかったのですが、すごく複雑な気持ちでした。
母の産後は悪くて寝込むの繰り返し。
結局妹の世話から、家事等々私が色々やらなければならなくなり、相変わらずの生活リズムでの中、次の試練が…
高校3年12月のはじめ頃から…。
急に目の黒目に★みたいな白いものが出き、痛みがすごくあり、太陽☀の光に当たるだけで涙がとまらない。
高校まで自転車通学をしていたので、眼帯をしながらがんばって通学していたけれど、学校では…🏫
黒板は見れない、
痛みで授業も聞いてられなくて頭に入らず勉強遅れ気味、
学力も下がり低めのプレッシャー。
泣き言言わず我慢していたけれど、
放置していた状態から一変。
1月お正月明け…
目も開けられず、のたうち回る激痛の頭痛との戦い。
そんな姿でも両親は…
🟡病院には行かなくていい。
🟡浄霊すれば治るから、
🟡幼少期からのバファリンを飲みすぎた毒がでてきてるだけだから大丈夫
この言葉…
毎日専従者の方、青年部の信者さん、信者さんと、入れ代わり立ち代わり時間で来てくれるも、痛みでのたうち回る状態は、大人の男の方に抑え込まれるくらいの状態に日々変わっていき、衰弱もしていきました。
痛みが収まりはじめたのが、1ヶ月たった頃。
少しずつ動けるようになってきた自分の顔みて…
どん底に突き落とされた瞬間…。
左目がつぶれてしまい開けることができなくなってた衝撃💦💦
その時だけずっと泣き続けていました。
その後の自分の状態、高校の先生からのある言葉、そこからの母の行動、職員試験後からの逃げることができない状況…の話に続きますが、こちらはまた、次の時に…☝️
読んで頂きありがとうございました🍀
次回に続く…👋✨