前々回のブログにて、私には始めからパニック障害に対する知識や認識が多少あったと書きましたが


これは実は私の幼馴染みである友人が

当時、20歳前後の頃に、

パニック障害という診断を下されておりましたため

私には始めから、パニック障害という病気への客観的知識だけは持ち合わせておりました。


その友人である彼女が当時、20歳前後といいました頃、

私も当然、同じ年齢ではありますが(笑)


今からおよそ、だいたいで30年近くも前の事でございましたので


当時には今のような便利なインターネットなども、まだまだ、普及率は少なくて


パニック障害という病気や言葉ですら、世間ではあまり、ささやかれていないような、時代背景の中の事でございました。


当時、その親友とはお互いが、社会人になってしまっており

休日になると数ヶ月おきに、一度くらい会うような繋がりかたをしておりました。


そのような中で、彼女から突然、真夜中に

ご連絡がありまして…といいましても

当時は、スマホや携帯電話すら、あまり一般庶民は持っていないような時代でしたので


私の家にあった固定電話へと

夜中に電話をかけてきてくれて


一言『何かわからないけど、何か起こっていて、助けて欲しい』と

真夜中の深夜遅くに言われました。


たまたま、私も次の日が休日だった事だけは

うる覚えながらに、覚えてはおりますが


『どうしたの?』って、その場の電話口だけで聞き返せるほどの、余裕がないくらいに


親友の声は、とても、か細く今にも消え入ってしまいそうな、非常に危険な雰囲気をしておりましたので


近所ではございましたが、何かあるはずに違いないからと思いながら、一応は車を出し

勢い良く飛び出して行った事だけは覚えています。


そして親友のうちまで着くと、彼女は細々と、その夜にあった出来事を話し出してくれました。


彼女が仕事が終わり電車に乗り、帰る道中で

急に、とんでもない、めまいが電車内で起きてしまった事。


そして彼女はそれから次の停車駅で、電車から、すぐさま飛び降りて、トイレへと駆け込み吐きました事。


そして、しばらくは心臓がバクバクしていて辛くて辛くて、たまらなくて、

そのお手洗いの中の個室内で、壁に、

もたれかかり、気絶していた事などを

途切れ途切れにも、話してくれました。


顔色は悪く、唇の端は、白くなり切れているし

これは、本当に一大事なのだと思い


私はすぐさま、車を出して彼女を病院へと運んでいきました。


当時、車を持っていたのは、仲の良い友人グループ内の中でも、私だけだった事もあり


彼女は当時も私の事を一番に頼ってくれたのだと

後々になり、気付きましたが、頼ってくれた事は今でも本当に嬉しい記憶として残ってはいても、大変、当時は、私自身も

ふがいなく頼りない対応しか出来なかった事を、

今でもずっと、心の奥底で後悔しながら生きています。


そして真夜中でもあったため、救急にはなりますが、当時、一番彼女の家から近かった

総合病院へと彼女を急いで連れて行く事にしました。


余談にはなりますが、彼女は当時、実家からも出ていて、妹さんと住んでおりました事もあり、

彼女と彼女の妹さんを連れ、病院へと

ぶっ飛ばす事、ほんの数分。


ただ、その数分が、彼女の顔色を見ていながら、運転をしていたので

恐ろしく長く感じたのだけは、今でも鮮明に覚えています。


そして、彼女が診察室へと呼ばれてから、

数十分して、診察室から出てきましたお医者様、いわく、


彼女が倒れた状況や、今日は彼女は何を食べたのか?などなど、詳しく妹さんや、私には聞いてこられておりましたが、


わかる範囲を妹さんと2人で必死に早口になりながらも、お伝えしていましたところ


お医者様は、一言

『では、原因が今の段階では、さっぱり何もわからないので、とりあえず入院してもらい明日から詳しく検査してゆくので。』と言われ


私と妹さんは、彼女の入院同意書や保証人の欄にサインをして、

そのまま今日のところは帰ってくれと言われてしまいました。


いやいや、彼女の事が本当に心配なので

ここで、待っていていいですか?と

妹さんと、2人して必死に食いつきお願いもしましたが、


ドクターいわく、そこまで心配しているなら、今すぐ彼女の親に連絡をして

ここまで来てもらうべきであり、


妹さんや私では、付き添いにならないとまで言われてしまう始末でありました。


ですので、その日はしぶしぶ、妹さんを家まで送り届け、彼女の親にすぐにご連絡してもらうように、妹さんに頼んでからは、


私は、次の日の朝一番に、妹さんと再び病院へと向かいますため、

一人暮らしであった当時の借家へと、トボトボと車を走らせ、頼りない街灯が薄暗くほのかに灯る中を泣きながら、車で走り帰りました。


そして次の日には、一睡も眠れなかった中、

妹さんを迎えに行く準備をしておりましたところに、


彼女のお母様から、お電話があり

昨夜の御礼を丁寧に言われた後は、

後の事は家族である私達に任せて欲しい事、何かわかればすぐに、

連絡するから待っててね、と言われました。


その日からは、いつ連絡が入るのか、

もしかして、私の仕事中に、連絡が入り

最悪は、彼女が死んでしまった事後報告を


留守番で聞く事になるかもしれないと、


気が気じゃない毎日が続いていたところ

ちょうど、彼女が入院してから2日後に、

彼女のお母様から突然にご連絡が入った同時に


彼女が何故か、精神病院へと転院する事を唐突に聞かされたのでありました。


何故、精神病院なのか?

何故、何の病気なのだろうか?と

当時でも、ずっと疑問は尽きる事はなかったのですが、


彼女のお母様いわく、身体自体には全く異常が見つからなかった事。

生命には、全く問題がない事。

ただ、残る可能性は何らかの精神的か神経的な問題だという結論をお聞きしておりました。


彼女が精神病?いやいや、違う。彼女はずっと、いつも通りだったし、

精神に異常なんかないはずだ!!と、当時は私も、かたなくなに

そう思い込んでおりましたが


入院しました結果では、てんかんでもなく、貧血でもなく

当時では一度も耳にした事すらなかったような病名である

『パニック障害』だという事を、後々になり聞かされました。


昔は私も自分の親の実家の近所に住んでおりました事もあり


当時も、わざわざ実家まで何度も何度も帰っては

実家の本棚にありました

『家庭の医学書』といいました、妙に分厚い大きな本を開いては


『パニック障害』なるものの記述を片っ端から必死に本に穴が空きますほど

探していましたが


当時は、やはり、そこまで分厚い本であろうと、パニック障害についての記載などは


全くどこを探せど漁れど

一言すら載ってはおらず

ため息ばかりの毎日でございました。


そして驚く事に、彼女が精神病院へと転院してからも

入院は3日間ほどで済んでしまいましたので


彼女へと、見舞う日々は

それからも、度々に続きましたが

彼女にとっても私にとっても

パニック障害などという謎の病気は

ただの一度も聞いた事すらもない、

まるで奇病並みの恐ろしさもありました。


ただ、私から見ていて、変わりました事は

退院しましたその日から彼女は、

どんどんと

昔の穏やかで、まるで春の陽射しのようだった

穏和な彼女では、なくなっていきました事。


彼女は、外に出るのが怖い事。病気の原因すらハッキリとしないものだから、

またいつどこで倒れてしまうのか、不安で不安で、たまらなくなってしまい


外には絶対に、出れなくなってしまいました事。


当然、長い距離の移動をする事も、車も、電車も、タクシーも、バスも、

全ての乗り物に乗る事すらダメになっていきました。


勿論、その事により、彼女は当時の仕事を辞め去る得なかった事。


そして精神病院への通院するに、あたりましても、彼女がそのような病状でしたために、


彼女の代わりに、ご両親や妹さんが、通院し、病状を伝え、投薬してもらい

彼女の手元まで届けてあげないといけない事。


彼女が、いったい、この先にどうなってしまうのか、私も不安で不安で、たまらなく思ってしまい、暫くの間は、

寄り添い、彼女との、たわいないお話しや

愚痴を聞く程度の事しか出来ずなままでおりましたが、


彼女は前述の通り、妹さんと2人暮らしをしておりましたため、

全ての生活費が妹さん頼みになってしまい

苦しい思いをしている事。


その事につきましては、

私自身も、当時から一人暮らしをしていた事もあり

あまり金銭的な余裕はなかったのですが

お金ならば、少しは貸してあげる事も出来るから

本当に安心してね、と何度も申し出ておりましたが、


彼女はその日から、どんどんと、家の中へと

ひきこもりになってしまい、

近所のスーパーにすら行けなくなり


生活の事に関する全ての事を妹さんや、ご両親や、私に頼り、どんどんと

内へ内へと、加速して、こもっていってしまう日々を送る事へとなっていってしまいました。


そこからは、働かずして、急に大量のお酒を飲み出してしまい

精神病院から出されたお薬は

通常量を飲んでいては、眠れないからと言っては、

オーバードーズをしてしまい

ワンシートも睡眠薬を飲んでしまいましたりして


さらには、また、自信の喪失や、絶望などから、自殺願望が生まれてしまい

リストカット、いわゆる手首をカッターナイフで何度も何度も切ってしまいましたりも

しましたが、


私には本当に当時には、力も知識も何もかもが、ともなわずして、


彼女の事を精一杯、心を込めて

慰めてみましたところで、

彼女は反対にどんどんと

反比例するかのように、卑屈になっていってしまい、何故か私の事まで

まるで敵のような扱いをするように

変貌していってしまいました。


ちなみに、そこから数年後、彼女の病名は、言わずもがな、鬱病へと変化してゆき

当時付き合っていました彼氏と、なにやら色々とありました上で結婚をしたりして、


また鬱病やパニック障害を何度も何度も繰り返しては、入退院をしておりましたが、

あれから、およそ30年経った今でも、ずっと

彼女は、鬱病、パニック障害、アルコール依存症と


まるで今では、精神病のデパート並みになっていってしまいました。


ですが、まだまだ、私自身は、彼女とは

いまだに、何があろうと、繋がり続けてはおります。


ただ、当時の私へと、今の私から、アドバイス出来る事としましては、

一番に、何より彼女の事をもっと、信頼し

頼っていれば良かったな、という事。


病気である、彼女に対し頼るだなんて、

余計な負担をかけるんじゃないよ!!っていいます、

厳しいお言葉もあるのかもしれませんが、


私の今までの経験上、人に心から信じてもらい頼られた時には、

やはり、人間どうにか、してあげたい!!

私が何とかしてあげなきゃ!!って、

動いてみたり、自分の事より先に

つい、嬉しくもなり、助けにいってしまうものだと思います。


それに、慰めてみたり、なだめたり、彼女の気持ちの事ばかりに、寄り添う形に必死になれど

本来は、問題は『そこ』ではなかったと今では、確信しています。


彼女の事を、本当の意味で救ってあげたいと願うのならば、

まず一番に、何より、彼女の自己肯定感を上げてあげ、

もっと彼女自身に自信を付けさせてあげなきゃならなかったと、今では深く反省もしています。


例えば、遠い貧困である地域に対し、お金を送って差しあげる事は、ある意味では、正しい事だと思います。


ですが、それより、彼等に知識や教養や、場合によっては、土地の耕しかたや、

電気の通しかた、水路の作りかた、などを

教えて差し上げたりしてしまう方が

根底の意味では、将来的には、救えるはずだと思います。


他者の事を助けて差し上げるという事は本当に本当に難しい事だとは、今でもずっと、悩み続けてはおりますが、


本当の意味で、救えて助けて差し上げるという事は、

その他者が始めから、持っている様々な能力に気付かせてあげる事だと

私自身は思っております。


上記の友人に対しても、元より、穏やかで優しい性格で、面倒見のよいお姉さんタイプで


人から頼られる事を何より喜ぶ性格だった事を知っていた私としましては、

完全に当時の対応は間違えていた、と今では

そう思っています。


パニック障害からの、アルコール依存症や鬱病になる前に

もっともっと、彼女が根底から、彼女自身の自信を取り戻せますよう、もっと良い方法で、協力して差しあげるべきでありましたと


今では後悔、後悔の日々でございます。


じゃあ、今からでも遅くないから

彼女の事を、本気の本気で救えるか?


きっと、アルコール依存症さえなければ、

まだ、何とか出来るはすだと、数年前までは

諦めず、そう思ってはおりましたが、


アルコール依存症だけは、本当にどこまでいけど、地獄までいけどタチが悪く、

人の存在全てを、根底から変えてしまう、恐ろしい悪魔の液体だと

毎日、今も思っています。


また、アルコール依存症のお話しは、別の機会にでも、お話しさせてもらいたいと思います。


今日は長々とした、友人語りだけで、終わってしまいましたが、いよいよ次回からは、

私自身のパニック障害の地獄訓練日記です。