ウェスタ川越の大ホールの扉を押し開くと、
外の寒さを吹き飛ばすような元気な子どもたちの歌声が届いてきました。
舞台上には、子どもたち含めたそうれっしゃ合唱団が並び、最終リハーサルの真っ最中でした。
半年間かけた練習も、ついに本番の時を迎えた。
大ホールの大きさにたじろぎ緊張した様子を見せながらも、
2016年11月26日(土)にウェスタ川越大ホールで開催されたのが、
「鳥越俊太郎さん講演会と合唱構成『ぞうれっしゃがやってきた』」 。
12:30開場、13:00開演
会場:ウェスタ川越大ホール
内容:
第一部鳥越俊太郎さんの講演「絶対前向きに生きるコツ」
第二部 市民による合唱構成「ぞうれっしゃがやってきた」
「ぞうれっしゃがやってきた」
原作:小出隆司 作曲:藤村記一郎 作詞:清水則雄
指揮:依田保之 伴奏:ピアノ佐々木崇 ホルン山田愛 フルート隈倉麦
動物園の園長:バリトン 斉藤敏行
ぞう使いの娘:ソプラノ 数野麻衣子
サーカスの司会者:梅北康史
軍人:五味義雅
猟友会の人:井上真二朗
川越ぞうれっしゃ合唱団
主催:NPO法人Peaceやまぶき
2014年以来の開催で、2回目となる「ぞうれっしゃがやってきた」。
前回は川越市民会館大ホールにて開催されましたが、今年はウェスタに場所を移しての開催。
「ぞうれっしゃがやってきた」。
この絵本、あるいはこの歌を知っているでしょうか。
これは、今から80年近く前のこと、
名古屋市にある東山動物園で実際にあった実話をもとにしたお話しなんです。
絵本は岩崎書店から1983年初版発行。
作者の小出隆司さんは、名古屋市で小学校の先生だった人です。
戦争の悲惨さ、生命の尊さ、子どもたちの前向きな力が伝わるお話しは、
時代が変わっても色あせることがない。
Peaceやまぶきは一昨年に落合恵子さんの講演に合わせ、
ぞうれっしゃがやってきたをみんなで歌いたい、と願い、初めて企画しました。
ぞうれっしゃがやってきたの合唱は、昔から各地で歌われていて、
のみならず、今でも盛んに歌われている地があり、歌い継がれています。
特に埼玉県川口市では、
市民合唱団による合唱が2年に一度盛大に行われているほど街に根付いている。
川越ぞうれっしゃ合唱団の指揮者依田さんは、毎回川口で指揮を務めている人でもあり、
100数十人の親子で歌っているそう。
そして、川越では一昨年以来の開催ですが、
実は・・・川越でも一度だけ、
ぞうれっしゃがやってきたが川越市民会館で大勢の人で歌われたことがあったのです。
今から25年以上前のことでした。
子どもから大人が参加した100人近くの市民合唱団でホールにぞうれっしゃの合唱を響かせた。
その中の一人に、現Peaceやまぶきの代表松尾さんもいたのだそう。
さらに、今、指揮をとっている依田さんも当時合唱団の一人として歌っていた。
その時の合唱団を指揮していたのが、
川越の男声合唱の礎を築いた、元川越高校音楽部の小高先生、
意志は現在でも、男声合唱団「イル・カンパニーレ」に流れは引き継がれています。
(男声合唱団「Il_Campanile(イル・カンパニーレ)」の30年
http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-11886744768.html )
さらに合唱指導していたのは、毎年11月に開催されている川越最大の国際交流イベント、
川越唐人揃いの実行委でもある小山さん。
25年以上前のぞうれっしゃがやってきたの舞台に一緒に上がった面々が、
その後川越のあちこちで活躍している。
残念ながら・・・川越の舞台は一度きりで途絶えてしまいましたが、
川越の翌年に川口市でも開催され、以来ずっと歌い継がれている。
松尾さんたちは、当時の感動的な体験をまた川越のみんなで味わいたい、
たくさんの子どもたちと歌い継いでいきたい、という想いをずっと抱き、2014年に復活させたのでした。
合唱団の参加するのは、バリトンの斉藤敏行さんやソプラノの数野麻衣子といったプロだけでなく、
市民合唱団を作ろうと参加を公募し、集まったのは、
子どもから大人まで合わせて100人ほど。まさに大合唱団となりました。
一昨年からの参加者にいるし、今回初めて参加する人もいる。
合唱経験があるなし関係なく、みんなで合唱したい気持ちがあるならウェルカム。
共通していたのは、「ぞうれっしゃの話しに感動した、ぜひこれを歌いたい」という気持ち。
それぞれの思いを持って合唱団に参加し、練習に励んできました。
世代関係なく参加し、一つの合唱劇を練習して舞台を作るという貴重な体験。
それに、この合唱団の見所の一つに、いや、これこそ最大の魅力ですが、
子どもたちの明るく元気な合唱があります。幼稚園・保育園から小学生までが参加。
サーカスがやって来た喜び、
ぞうに集まる子どもたち、
ぞうがいなくなった悲しみ、
ぞうに会いたいと気持ち一つに行動を起こす。
平和への願いをこめたこの歌は、子どもたちが元気に歌ってこそなのです。
2016年11月開催に向けて、今年のぞうれっしゃ合唱団の練習が始まったのが、2016年4月。
定期的に練習を重ねた期間は8ヶ月間、21回を数えました。
(2016年10月、ウェスタ川越リハーサル室での子どもたちの練習風県)
練習に練習を重ねて、ついに当日の本番を迎えることになったのでした。。。
ウェスタ川越の大ホールでは、開場時間ギリギリまで舞台上で最終練習を重ねる合唱団、
どの顔にも、最高の舞台にしたいというやる気が満ち溢れていました。
そして、12時半に大ホール開場、
列をなして待っていた観客がロビーに入場し、賑やかな雰囲気に包まれます。
ロビーでは物販も行われ、買い物を楽しむ姿が見られました。
このイベントの主催であるPeaceやまぶきのこれまでの活動は、
2009年8月「夏の雲は忘れない」、
2010年10月新井満「千の風になって」、
2011年8月「日色ともゑさんのおはなしと朗読」、
2012年11月16日「テノールとソプラノ珠玉の歌声」、
そして、2013年9月7日の「ピアノソナタ『月光』による朗読劇 月光の夏」には、
Peaceやまぶき代表の松尾さんに誘ってもらい、
舞台上で特攻隊員の遺書を読むという体験をさせて頂きました。
(朗読劇「月光の夏」)
その時の縁からPeaceやまぶきの活動は伝えてきていて、
2014年3月9日、川越市民会館やまぶきホールで行われたのが、
「第3回福島復興まつりin川越」でした。
福島県元双葉町長の井戸川さんの講演を中心として、
川越西高校合唱部とソプラノ歌手数野麻衣子さんの合唱なども披露されました。
(そう、この時出演したソプラノ歌手数野麻衣子さんは、
2016年11月のぞうれっしゃにも出演しているという繋がり)
2014年7月には、川越のアーティスト、佐々木崇さんのピアノコンサートを主催。
地域の芸術家支援もPeaceやまぶきの大事な事業で、
一回きりではなく継続的な関係性を作っているのがやまぶきらしい。
一つの繋がりが別の繋がりを生み、大きなネットワークになっていく、それを体現しているよう。
佐々木さんは川越出身のピアニスト。「月光の夏」でもピアノ演奏をしていた人で、
ぞうれっしゃでも初回からピアノ伴奏で参加しています。
2014年8月ぞうれっしゃがやってきた!ミニコンサート inヤオコー美術館
2014年11月落合恵子さんの講演会・ぞうれっしゃがやってきた 合唱 川越市市民会館
(2014年11月開催時の練習風景)
(「ニューイヤーいっぴん展」ぎゃらりー六左ヱ門
http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-11980562181.html )
2015年3月第4回福島復興まつり 川越市市民会館大ホール。
(第4回「福島復興まつり」川越市民会館大ホール
http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-11999760644.html)
2015年7月蔵の街 ビューティフルコンサート 川越市やまぶきホール
2015年8月日本フィルハーモニー交響楽団 川越特別演奏会 ウェスタ川越大ホール
2015月10月梅原司平と和布のさえずり(コンサートと古布リメイクショー) ウェスタ川越リハーサルホール
2016月3月今年も!福島復興まつり ウェスタ川越多目的ホール
2016年8月女優たちによる朗読劇 夏の雲は忘れないウェスタ川越大ホール
そして、2016年11月は、ぞうれっしゃの他に、その一週間前には、
佐々木崇さんのピアノリサイタルを主催、一ヶ月に二つの事業を行うという信じられないバイタリティー!
合唱団が練習を重ねているのと並走し、実行委員はイベントの準備に取り掛かるとともに、
ぞうれっしゃ開催のPRに力を入れ、奔走していました。
2016年11月12日には、Peaceやまぶきとして、
ウェスタ川越の「県民ふれあいフェスタ&シニアドリームフェスタに出店。
雑貨販売とともに、ぞうれっしゃの案内もしてきました。
(第二回「県民ふれあいフェスタ」&第一回「シニアドリームフェスタ」2016年11月12日
http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12220307003.html )
13時。ウェスタ大ホールで始まった、
「鳥越俊太郎さん講演会と合唱構成『ぞうれっしゃがやってきた』」 。
冒頭にNPO法人Peaceやまぶき代表松尾さん、川合川越市長の挨拶があり、
第一部、ジャーナリスト鳥越俊太郎さんの講演
1940年福岡県出身。京都大学文学部卒業後、毎日新聞社に入社。
1988年より「サンデー毎日」編集長。
1989年に退職して以降、テレビ朝日系列「ザ・スクープ」「サンデージャングル」でキャスターを務めるなど、テレビメディアに活動の場を移した。
2005年、ステージ4の大腸がんが発覚、肺や肝臓への転移を経て、4度の手術を行った。
2010年から始めたスポーツジムに加え、2012年にはホノルルマラソン完走を果たすなど
健康的なライフスタイルを貫いている。
現在も様々なメディアで「ニュースの職人」として活躍中。
先の出馬した東京都知事選挙の話しや自身の大病の経験など、
様々な話題をジャーナリストらしい切り口の語りで展開。
負けない、という不屈の精神に観客は引き込まれていた。
そして14時からはいよいよ、市民による合唱劇、そうれっしゃがやってきたが始まる。
合唱団のメンバーが舞台上に登場すると、客席から割れんばかりの拍手が送られました。
曲の始まりの1番は、サーカスの楽しさ、サーカスが自分たちの住む街にやって来たことを
子どもたちが喜ぶ声から始まりました。
「サーカスだ、サーカスだ、サーカスがやってきたぞ!」
元気よく声を出す子ども、続いて大人たちが「サーカス~」と合わせて歌っていきます。
この後戦争が起こるけれど、この時はそんな事は考えない、
ただただサーカスを楽しむ気持ちを前面に出してみんなで歌う。
なんと言ってもこの曲の楽しいところです。
「ぞうれっしゃがやってきた」
作曲:藤村記一郎 作詞:清水則雄
1番サーカスのうた
2番ぞうを売らないで
3番雪よふるな
4番動物園へようこそ
5番動物を殺せ
6番悲しみの日
7番いくさの終わる日まで
8番本物のぞうが見たい
9番ぞうをかしてください
10番ぞうれっしゃよはしれ
11番平和とぞうと子どもたち
(登場人物)
サーカスの司会者
動物園の園長(バリトンソロ)
サーカスのぞう使いの娘(ソプラノ・ソロ)
軍人
猟友会の人(射撃手)
子ども議会の議長
ぞうの生存を発言する子ども
おおぜいの子どもたち
ぞうれっしゃがやってきた。
昭和12年、木下サーカスでこどもたちの人気物だった四頭のぞうたちは、
多くのこどもたちに見てもらいたいという名古屋の東山動物園の園長さんのたっての頼みで、
東山動物園にゆずり受けることになりました。
その頃日本は中国と戦争をしていました。
動物園にはまだたくさんの動物がいましたが、その中でも一番の人気者はぞうです。
ぞうの柵のまわりはいつも人でいっぱいでした。
戦争はやがてアメリカ・イギリスなど世界中の国を相手にだんだんと激しくなり、
ぞうが食べる餌のわらさえも燃料になってしまい集めるのも大変でした。
しかも、それ以上の難問が動物園には起きていました。
全国の動物園に「猛獣を処分せよ」という命令が出されていたのです。
そして、処分する猛獣の中にはぞうも含まれていました。
猛獣を処分せよという再三の命令を断り続けてきた東山動物園でも、ついに・・・。
戦争中、たくさんの動物が殺されました。
そして全国に20頭いたぞうも殺され、残ったのは名古屋の東山動物園にいる2頭だけでした。
そして戦争が終わりました。
2頭のぞう、マカニーとエルドに会いたいというこどもたちの熱い願いが大人たちの心を動かし、
東京をはじめとして全国各地からこどもたちを東山動物園まで運ぶ
特別仕立ての「ぞうれっしゃ」が走ることになったのです。
ぞうれっしゃがやってきたの絵本の最後は、
『戦争が終わりました。2頭のぞう、
マカニーとエルドに会いたいというこどもたちの熱い願いが大人たちの心を動かし、
東京をはじめとして全国各地からこどもたちを東山動物園まで運ぶ
特別仕立ての「ぞうれっしゃ」が走ることになったのです。』
という最後で終わります。
実はこれは信じられないようですが、実際にあった話しで、
戦後まもない頃、日本に2頭しかいなくなった東山動物園のぞうを貸して欲しいと、
東京都台東区の子供議会(子供たちが集まった議会)の代表の中学生二人が、
名古屋まで足を運び、東山動物園園長や名古屋市長に願い出ました。
しかし、2頭を引き離す実験を行ったところ、
暴れだしてついには象舎の鉄壁に頭をぶつけて血を流すなどし、
年老いて弱っていることなどから、東京まで運ぶのは難しいと、その願いは実現しませんでした。
ぞうを子どもたちに見せたいという思いは園にも市長にもあり、
ここから事態が大きく動いていくことになる。
ぞうを運ぶことができないなら、子どもたちを東山動物園まで運ぶ代替案が示された。
話しを知った国鉄は、特別列車「ぞうれっしゃ」を各地から名古屋まで走らせることにしたのです。
それは、昭和24年のことでした。
第一陣が6月18日彦根発着1400人。
第ニ陣が6月25日東京発着1155人。
その後、大阪・京都・草津、埼玉・千葉・神奈川、石川・福井、津などから、
団体専用列車や一般列車に専用車両を連結する形で名古屋へ向かう列車が設定され、
総計なんと約4万5000人の子供達が乗車しました。
戦後すぐという状況で特別列車が走った事実が信じられません。
娯楽のない中で、ぞうに会いに行くことは
今の子どもたちが遊園地に行くような気持ち、
この上ないわくわく感があっただろうし、
列車の中の子どもたちの賑わいが聞こえてくるようです。
絵本の中でも、
「どのくらいの大きさなんだろう」
「鼻にぶら下がれるかな」
など車内の子どもたちの様子を伝えています。
そして、絵本の情景をそのまま、いや、それ以上の元気さで、
悲しい部分もある話しですが、子どもたちの前向きな気持ちが吹き飛ばしてくれる。
ぞうれっしゃ合唱団は見事に歌い上げ、今年の劇の幕は下りました。。。
そして、意外な事実があることを明かします。
実話を基にしたぞうれっしゃがやってきたですが、
当時のその列車に乗ったであろう子どもたちは、
今は70~80代くらいになるでしょうか。
この話しを聞いて、ふと思いました。
では、川越からぞうれっしゃに乗った子はいたんであろうか。。。?
東京まで行くのも一苦労だったろうし、相当困難だったはず。
それをPeaceやまぶきの松尾さんに訊ねると、
「一人だけぞうれっしゃに乗ったことがあるという方がいるらしい」と。
今でも川越在住で健在だろうとのこと。
ぞうれっしゃが絵本の中の出来事ではなく、実話というのみならず、
川越に生きている身近なところに繋がっていることが感動的です。
Peaceやまぶきとしての活動は、2017年3月にウェスタ川越の多目的ホールにて、
第6回福島復興まつりを開催予定です。
さらに佐々木崇さんのピアノコンサートも企画、と2017年の活動も多岐に亘っていきそう。
松尾さんは、「ぞうれっしゃはまた再来年に開催したい」と話し、
また新たな合唱団を結成して、みんなで歌い上げることでしょう。
「ぞうれっしゃよ いそげ~!!」
また川越に、子どもたちの歌声が響き渡りますように。