川越style「蔵町パン」小江戸横丁にできたパン屋、そして奇跡の一本松と瑞巌寺 | 「小江戸川越STYLE」

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川越の様々なまちづくり活動に従事しています。
「小江戸川越STYLE」代表:石川真


店頭に置かれた2種類のハガキ。

お店にやって来る人たちは、パンに目を奪われながらも、

奇跡の一本松、瑞巌寺、というフレーズに興味を抱き、

「これは何ですか?」と訪ねる光景が見られる。

何気なく置かれたようなハガキに、詰まっている想いにストーリー。

その果てしなさに、パンとのギャップを感じつつ、こんな凄いことをやっているなんて引き込まれていった。
川越の中でも、このようなお店はまず目にしない。それが、蔵町パン。

 

お店があるのは、川越の一番街。

 

蔵造りの町並みが続く通りを進んでいくと、奥へ奥へと伸びる横丁に出会う、小江戸横丁です。

横丁には昔ながらのお店や最近できたお店がひしめいていて、

川越に来た観光客が必ずと言っていいほど足を踏み入れる横丁です。



 

 

アンティークの小物、天然石のインテリア小物、
時の鐘を型どったお菓子、名前入り木札、懐かしい「支那そば」など
10店舗の個性あるお店が軒を連ねています。
奥には休憩所・トイレがあるので散策途中に「チョット休憩」

横丁の入口には、

焼きおにぎり「芋太郎」や「いもソフトクリーム」でお馴染みの翠扇亭(すいせんてい)さん。

 

奥へ入っていくと、翠扇亭の隣にあるのが、「小江戸川越バウムクーヘン ノリスケさん」。

 

 

 

(この時のマンスリーバウムはストロベリーでした)

色んな美味しいものが手に入り、川越に来たら欠かせない通りです。

さらに進んでいくと、少々意外なものを発見することになる。

なんと・・・美味しそうなパンが並んでいるお店が。

そうなんです、小江戸横丁に2016年3月に新しく出来たのが、パン屋「蔵町パン」さんです。

いや、正確にはパン屋専門店というわけではありませんが、

まず最初の切り口として、パン屋さんとして在るのが蔵町パン。

その奥にある真意はこれから明らかにしていきます。




蔵町パンに並ぶパンは、

フランスパンがメインで、そこから色んなバリエーションが広がる。

ここには惣菜パンも菓子パンもありません。

そういう意味で普通のパン屋さんとは毛色が違っていて、フ

ランスパンの専門店と言えばいいかもしれない。
「ぶどうパン」


 

「レーズンパン」

 

 

「全粒粉パン」

 

 

赤ワインを使用した「赤ワインパン」

 


「フルーツパン」、


 

「フランスラスク」

 

 

フランスパンは、とても手間が掛かるパンで、失敗する率も高いパン。

 

本当ならフランスパンは、それだけにじっくり向かい合って作るパンですが、

他のパン屋さんではいろんなパンを作る中の一つとしてフランスパンがあるのが普通で、

そのパンだけに長い時間集中するわけにはいかない現実がある。

それが、蔵町パンのフランスパンは、

じっくりと焼き加減を見ながらそれだけに向き合って作られているもの。

蔵町パンのパンは、いわゆるアウトレット品で、

蔵町パンでパンを作っているわけではなく、

ホテルのレストラン向けに作っているパン屋さんから仕入れたパンを販売している。

作っているのは蔵町パンの山田さんの知り合いのパン屋、

そのお店を応援したいとの思いもあり、山田さんがここで販売しているという形です。

パンは試食もでき、ギフトも用意しています。




蔵町パンというのは、もちろんパンを売っているお店なのでパン屋として見ていい。

お店の前に来る人の100人に100人がパン屋さんとして見るでしょう。

今はまだそういう認識のされ方のお店でしょうが、

ただそれはあくまで入口部分の話し。

パンで足を止めてもらって、その先に・・・というのがこのお店の真実。

パン屋と同時に蔵町パンの山田さんには、もう一つの顔があることをご存知でしょうか。

いや、そちらの方が山田さん曰く、

「自分がやりたいこと、自分の基本となっているところ」と語る。

そしてもちろん伝えたいことも、パンのこともそうですが、その先にある真意。

そちらこそ、取材をしたいと共感した部分でもあります。

パンではなく・・・?一体どんなことを?

山田さんのその活動とは・・・

ここでようやく始めに紹介したハガキの話しに入っていくことになります。

そう、冒頭のあのハガキが全てを語っていたのです。


あのハガキは、単にパン屋さんの片隅で売られている震災関連グッズではなく、

あのハガキに籠められているものこそ、山田さんがやりたいことで、蔵町パンに繋がっていったもの。

一枚のハガキから、こんな壮大な話し、信念、夢、が詰まっている話しが聴けるなんて。

今なお、あの悲惨な記憶を風化させず、活動を続けている人が川越にいたなんて。。。

パンの奥にある真実。

蔵町パンの店頭で販売されているハガキなどのグッズは、

奇跡の一本杉として知られる宮城県陸前高田市の杉を再利用して作られています。

(奇跡の一本松)

陸前高田に残る奇跡の一本松は、

愛知県弥富市のヤトミ製材により芯を抜き鉄筋で強度を増してから

芯のチップを再利用して、栞・ハガキ・レターセットなどにしている。

縁結び栞

松:樹花言葉 永遠の若さ、良い出会い






 

ちなみにこれらの商品は、川越以外だと、

 

陸前高田市役所近くにある仮設の文房具店「伊東文房具店」で扱われています。

 

これらの商品は、既にあるものを仕入れてお店に並べているのではなく、

 

まさに、蔵町パンの山田さんたちが作っているものなんです。

蔵町パンの山田さんは、

一般財団法人JCネクストの代表理事を務めています。
一般社団法人JCネクスト(Japan Culture Next) は、
東日本大震災を受け,次なる日本文化を目指して長期的な支援をするため2011年に設立されました。
JCネクストは現在、各分野の専門家により 運営されています。

津波を軽減させた海岸林(400年の知恵)を後世に伝えるため、
宮城中央森林組合を中心に荒地を耕し、黒松の種を蒔き芽を出した強い松だけを植樹しています。

 

山田さんがまず、JCネクストを立ち上げようとする前には、

 

宮城の震災当時から個人でボランティア活動に携わっていたという経緯があります。

当時は本業の仕事をやりながら宮城にボランティアに通う日々。

ボランティア活動を続けていく中で現地といろんな関係ができ、

今後も本気で活動を続けていくなら会社を起こして欲しいという

宮城中央森林組合の助言もあって、よしそれならこちらも本腰を入れてやろうと、

会計が透明化される一般社団法人という道を選んでJCネクストを起こしました。

宮城県松島町の海岸沿いの松林植樹は、一朝一夕では成し得ない事業であり、

地元の森林組合としては、これから数十年一緒になってやってくれる相手を求めていて、

その声に応えようと山田さんは前職を辞め、JCネクスト一本にしました。

JCネクストには3人ほどのメンバーがいて、メインで動いているのは山田さんただ一人。

ちなみに蔵町パンも山田さんが一人で運営しているので、

一人で震災復興のJCネクストに蔵町パンに、いろんなものを背負っていることになる。


そしてJCネクストでは、瑞巌寺の杉を使った名刺などの商品も作っています。

瑞巌寺がある松島町も陸前高田市も、かつては伊達藩が津波の被害を減らそうと

海沿いに松を植えていた地。両者一体となって松林が続いていたのです。

それが2011年の大震災で全滅。

陸前高田市の奇跡の一本松はチップ化され、瑞巌寺の杉も活用の問題が浮かび上がった。

宮城県松島町にある国宝 瑞巌寺は、東北随一の禅刹として歴史を刻んでいる。




(瑞巌寺)

今、山田さんが瑞巌寺とこうして深い繋がりがあるのは、実は震災前から繋がりはあったのだという。

前職の仕事の関係で、

埼玉県仏教会の勉強会の運営を任されていた時に、瑞巌寺と知り合っていました。

 

瑞巌寺の参道の樹齢数百年という杉並木が立ち枯れてし、伐採した空き地をどう生かしていくか、

 

倒れた杉材をどう有効利用していくか、

山田さんのJCネクストや宮城中央森林組合、瑞巌寺の老師の3者で協議している最中でもある。

瑞巌寺の杉の伐採は、震災当初は枯れた杉の伐採に国から補助が出ましたが、

二年目になって、地下の水脈が上がったことで杉の立ち枯れが発見される。

補助はもう出ないがこのままでは危ないということで、森林組合がお金を出して杉を伐採しました。

杉の再利用というのはそういう事情からだったのです。

立ち枯れは、まだ枯れていないけれど枯れることが確実の木のことで、

その段階ではまだ枯れていないので、普通の木として利用することができます。

 

空き地に日本庭園を作る計画に、杉材利用もいろんなアイディアが出る中で、

 

再利用として最初に取り組んだのが、ベンチ制作だった。

ベンチの行き先は、移動型コンサートホールのアーク・ノヴァでした。
世界初のバルーン製コンサートホール「アーク・ノヴァ(Ark Nova:新しい方舟)」
イギリスの著名な彫刻家アニッシュ・カプーア氏と、
日本人建築家の磯崎新氏が手を組んで生み出したのは、
まるで別世界からやってきたような構造物.
アーク・ノヴァの収容人数は500名から700名。弾性のある素材で作られており、
空気でふくらませたり解体したりできる方式になっている。

アーク・ノヴァには瑞巌寺の杉で作られたベンチが200脚提供されました。
2013年9月27日から10月13日まで宮城県松島町に設置され、
ベネズエラ人指揮者グスターボ・ドゥダメル氏が
地元の子どもたちを対象にワークショップを行なったほか、
歌舞伎役者の坂田藤十郎氏が、歌舞伎や日本舞踊を披露している。
(坂本龍一氏もアーティスティックディレクターの一員であり、
東北地方の中学高校生からなる「東北ユースオーケストラ」と共に出演した)

 

他には、杉を使って名刺などのオリジナルグッズも制作しています。

 

これは蔵町パンで販売中。





他にも、建材として使用できない木材を使って今までにない商品を

宮城中央森林組合とJCネクストで共同開発しています。

その様子は以前テレビ東京の番組でも取り上げられたほど。





こうして振り返ると、山田さんのJCネクストの主だった活動は、

まず宮城の海岸沿いの松の植樹があり、

瑞巌寺の日本庭園計画があり、

奇跡の一本松や瑞巌寺の杉の再利用というものがあります。

そして、再利用したハガキなどの商品を販売する場所として川越を選んだのは、

自身埼玉県出身で、高校が城西大学付属川越高校だったこともあり、

川越を身近に感じていたことがあった。

川越のお店を活動の発信地とし、

そこに、知り合いのパン屋の特別なパンを応援したいとの思いも重なって出来たのが蔵町パン。

パンという部分は、

「川越はパン屋が多い街だし、

中でも特色あるパンを数点に絞って販売すれば個性が出せるのではないか」

そう考えて、あれて点数を絞って高級品のパンだけを販売しています。

特に小江戸横丁という場所は、観光客を相手にと考えたものでしたが、

お店を開いてみると、観光客はもちろんですが、

地元川越の人も数多くお店にやって来ることに山田さん自身が驚いていた。

川越の人のパンをキャッチするアンテナは鋭い。。。

 

川越のパンの熱狂ぶりは、2016年5月の川越パンマルシェで存分に感じられる。

 

 

 

(「川越パンマルシェ2016」前編 小江戸蔵里2016年5月29日

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12165859674.html

 

今でも宮城に通う日々はもちろん続いていて、

 

週に2日、月の3分の1近くは宮城に行っています。

蔵町パンを開いてからは、宮城でも日帰りで行って帰ってくることが多くなっている。


今、山田さんたちが植えた宮城県の海岸沿いの松は、

震災から5年経っても「まだこんなもの」と腰の高さ辺りを手で示していた。

種を植えて育つのは全体の8割ほど、海岸に移植して育つのはその中の7割ほど、

風光明媚なかつての松林が復活するのはまだ気が遠くなる月日が必要でしょうが、

しかし着実に松を植える人がいて、松は確実に生長して、復興のシンボルになっている。

川越から発信できること。

パンに、震災の記憶に、宮城の新しい魅力に。

山田さんの活動は、始まったばかりです。

 

「蔵町パン」

川越市元町2-1-3小江戸横丁内

11:00~16:00

水休




 

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