こんにちは、ころぼっくるです。
風が強い日が続きますね。
桜の開花予想は当たるのでしょうか?
来週お花見に行く予定なので、楽しみです。
さて、時間が空いてしまいましたが、前回の続きです。
大学にほとんど通えなくなっていた私に、実家から「一度帰ってこい」の一報が入ります。
大学一年の冬休みに、一年ぶりに地元に帰りました。
そうしたら、駅まで車で迎えに来てくれたのが父でした。
ハメられた!と思いました。
実家に帰って来いと言ったのは母で、大学に行けていなかったことや病気のことは父には何も言っていなかったからです。
気まずい雰囲気が流れる中、実家までの帰り道にバーミヤンに入りました。
「昼飯まだだろ?何にする?」と父から聞かれますが、何も喉を通らない状態の私…。
「あ、杏仁豆腐かな…」とだけ答えました。
杏仁豆腐を食べながら、さらに気まずい沈黙が流れます。
父もすぐにはしゃべりませんでした。
食べ終わった頃に、ポツンと一言、「大学はどうだ?」と聞かれました。
「鬱になってしまって、なんとか単位は取れたけど今後行けるかはわからない。」と正直に答えました。
父は病気のことはほとんど聞かされていなかったようです。
父に「お前はどうしたいんだ?」と聞かれました。
私は「今は何がしたいとか考えられない。とにかく何もせず休む時間が欲しい。」と答えました。
しばらく考えた後、父は優しい声で「こっちに帰ってくるか?」と言いました。
世間一般的に、鬱がようやく一般化してきた時代です。
親元に留めておくのが一番だと考えたのかもしれません。
でも、私は実家が嫌で上京しているわけなので、すんなり実家に帰ったところで病気が良くなるとは思えませんでした。
それも含めて、進退を考えることすら辛かったのです。
「大学をどうするか、今の段階では何も考えられない。実家に帰れるかもわからない。お母さんも帰ってきてほしくなさそうだったし。」と私が言うと、
「そんなこと言ったって、食事もろくに取れないんじゃしょうがないだろう。お母さんは気にしなくていい。」と言われました。
そして、父は私のことは深く聞かないまでも、
「まぁ、お前がしばらく何も考えなくても養えるぐらいのお金はあるから。好きにしなさい。こっちに戻ってくるでもいいし、向こうに居続けるでもいいし。学校も好きにしていいから。」と言いました。
母とは全く違う反応だったので、びっくりしました。
たぶん、父は、実家ではこの話が出来ないと思って外で話すために迎えに来てくれたんだろうと思いました。
そして、私が念のため持って行った「休学届」と「退学届」の両方に署名と捺印をしてくれました。
これが残りの大学生活、私の大きなお守りになります。
次に続きます。