誰かと自分「誰かのために」と「自分のために」「誰かのために」はその誰かが他人で、自分の意思に反することもある脆さから「自分のために」の方が強いと思っていた。今もそう思っている。だけど、時に「誰かのために」は「自分のために」の強さの何倍も強いんだろうな。家族や子どもはきっとそういう存在。(1日10分のごほうび第四弾>『給水塔と亀』を読んで思った)