たまたま見かけたSNSの投稿
それを見て気分が下がったのがわかった。
見れば見るほどにその気分にのまれていく感覚があって、知らず知らずのうちに苦しくなってて
気付いたらもう嫌な気分になってた。
誰かの嫌みや悪口とかでもない
不快にさせるような投稿でもない
むしろ自分にとって気付きがあって学びのある内容で、しかも分かりやすくて
今のわたしにとって知りたかったことも多いし、夢中になってその人の投稿をみるくらいのいい内容だった
それなのに不快になってる自分
何が起きてたのか。
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純粋に
「すごいなー」
「分かりやすいなー」
「面白いなー」
「そうなんだー」
って見てただけなのに、
「この人みたいに書けたらいいのにね」
「こんな風には書けないよね」
「どんどん気づきを得て成長してるね」
「わたしは変わってないよね、大丈夫?」
そんな風につぶやいてた。
ただ素直に感じたことを言葉にしただけなのに
それだけなのに。
すぐそうやってジャッジして
否定して
比較して
あおって
勝手に心配してくる
この存在こそエゴの声
不快にさせてくこのパワー
威圧できてイヤミっぽい
本当、関心しちゃう。
あんたすごいよ!って今なら思える
その影響力。
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ただ、こうやって不快感を受ける反応をしてるのは、間違いなく全部わたし自身なんだよね。
いちいち反応して
勝手に苦しくなって
辛くなって
惨めになる
でもね、今回はその状況をしっかり捉えられたから
だから、そこはもうドッシリ構える
この不快にさせる声は、エゴの声だから
わたしには必要のない声だって、ここは強く言い聞かせる。
っで、お風呂でゆっくり浸かりながら
これは違う
違う違う
わたしじゃないって言ってみた。
そして自分の存在に対していい気分の言葉を採用する。
エゴの声に耳を傾けてしまった
確かに気分が悪い
でもこれは本来の自分ではない
気分が悪いならその声を採用する必要はない
たまにエゴの声も聞こえることがあってもいい
聞いてしまっても大丈夫
わたしは大丈夫だ
わたしは順調だ
わたしはよくやってる
わたしのペースで進んでる
こうして自分に戻れる
戻れる場所がある
その場所を見つけることができる
そしてそこで安心できる
ほっとすればいい
焦ることはない
自分には自分のペースがある
競争して闘う必要もない
それぞれにはそれぞれの進み方もある
見えるものが全てではない
今いる場所の気分、気持ち、感情、感覚が大事
感じたことを素直に言葉にできるのは素晴らしい
自分の感覚以上に大切なことはなにもない
もうすでに気持ちの整理の仕方を知っている
ここまで気分をより良くできるようになっている
自分の信じたいものを信じればいい
わたしはわたしで在ることに専念すればいい
わたしはわたしの気分を良くしていればいい
全てはうまくいっている
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気分がよくなる方向に意識的ににフォーカスする
自分を導く練習
自分の中の本来の自分に調和すること
今の気分をよりよく在れるように意識すること
そんな調和する自分自身との時間を大事にしていこう。
これが正しいかどうか
今にそれは関係ない。
ただただ、自分が心地よく在れるように
自分で自分を意識して整えていくこと
そして、
今この場所で気分がよくなれたなら
それで成功だから。