掛取漫才 | <落語日記>
2010年12月09日

掛取漫才

テーマ:ブログ
昨日、さん喬師匠の出された演目「掛取漫才」。
久々に見ました。

昔は買い物するのに現金払いではなく「ツケ払い」だったんですね。
で、毎月月末の晦日にその掛け金を支払う。
で、その月に支払えなければ翌月へ持ち越し。
で、それが積もり積もっての「おおつごもり」が大晦日。
その日に味噌屋や米屋の人たちが、掛け金の受け取りに大福帳を持ってやって来る。

しかし、貧乏長屋の八公夫婦は支払う金がない。
無い物はない。
逆立ちしても鼻血も出ないと言う有様。
で、次々にやって来る掛け取りの人たちへの言い訳という訳ではないのでしょうが、その掛け取りの人たちが好きなモノで追い払う。
芝居が好きだと言えば芝居のマネゴトをして追い返す。
浄瑠璃が好きだと言えば浄瑠璃を演じて追い返す。
喧嘩が好きだと言えば喧嘩を売って追い返す。
漫才が好きだと言えば漫才を演じて追い返す。

こうして借金取りから逃れて正月を迎えようと言う、なんとも落語ならではの噺です。

でも、たとえ貧乏であっても心まで貧乏になってないんですね、この夫婦。
懸命に掛け取りたちの好きな事を演じる八公をおカミさんはある意味尊敬(?)の念を持って見るんですね。
で、その八公の演技に魅了(?)されて次々に追い返される掛け取りたち。
これもまた粋ですよね~。

「味噌濾しの 底に残りし 大晦日 こすにこされず こされずにこす」
とはうまい川柳です。

余談ですが、談志師匠は昔売れなくて公園の水でアンパンを食べて凌いだこともあったと聞いたことがあります。
また、名人と言われた圓生師匠や志ん生師匠も若い時分に売れなく食えずに極貧を味わったそうです。
が、それでも「暗さ」は感じられません。
しかもこの両師匠は食えないから戦中慰問団として満州へ渡り現地で終戦を迎え、命からがら帰って来て、それから売れ出したそうです。
圓生師匠の「寄席育ち」を聞くと、「どう言う訳か分からないけど売れ出した」と言ってます。

まぁ結果論ですが、何かそれらの苦労の全てが芸の肥やしになったように思えます。

「貧乏の この我が家にも 風情あり 質の流れに 借金の山」
困難にあっても、明るさだけは失わずに笑っていきたいモノですね~。