最近ゾワゾワしてまう。そりゃもう、始終....(^^;
特別なことはしていない。ただできる限り自分の感覚や、ココロに寄り添ってる。

『これ、あの人喜ぶよな。  お誘い頂いたけれど、何か引っかかる。でも縁を繋ぐならいった方が....  』でも、氣が進まないなら行かない。だからと言ってその人が嫌いになったわけじゃない。

行ったら行ったでその場を楽しむ自信はある。苦痛な場所には近寄らないから。でも、でもまだ。

『人付き合いって、なあんだろう?』って模索して動いてる自分がいる。そんな時は大概ココロがなんとなく気だるく重い。それもやめてみたくなった。
仲のいい人達でもそう。『この人は礼儀正しい人だから、曲がったことをしない人だから粗相のないように....』なんてことも、やめてぶっちゃけて会話をしてみた。

面白いことが起こった。礼儀正しく知識も豊富、見解の柔らかさもピカ一で、ワタシのなかでは賢人のイメージだった人が、施術後のおもてなしのお茶請けを立ったままリラックスした様子で食べ始めた!5年以上の付き合いで初めての姿。全然その方がいいよ❗

 先日実家の母がうちに来ることがあった。殆ど寝に帰るような状態の部屋を片付ける時間と気力がない。なんならお客さん用の寝具がない。シングルベットに母と夏に一緒に添い寝なんて....
《近所の友達の家にワタシだけ泊まりに行ったら、きっと泣くな....(^^;》

だから、『用事が入ったので、その日は一緒にいられません。』っと断った。肩が軽くなった。さて、その後ワタシを否定する母からのメッセージは、読みたくないので放置。電話がなる....
後から言われるだろうことだけ先手を打つ。『今とても忙しくしています。一応元気ですのでご心配なく。』自分が浴びせた言葉もあり、母はしばし待機してくれた。お陰で、イベントを滞りなく行うことができた。

イベントが終わり、一息ついたところで母に電話をした。ワタシの話とつじつまがあわない。
(((^_^;)  母は不満をぶつけたいから。「一度整理してもいい?  今、この件は説明したよね。その後にこの言葉はよくわからないの。それでね....」  うん、それだけ待っててくれたんだよね。ありがとう。母はすこぶる機嫌が悪く、『横浜に泊まる。一人で動くのは好きだ。』っといって電話が切れた。

そうではないよね。本当の言葉を聞きたいんだ。でも、ワタシからはもう聞きに行かない。お互いのためにならないから。

やがて母から電話が来た。ホテルがいつもの金額で取れない。泊まるところがないっと....

まだ素直じゃないなぁ、んまいっかぁ。
「うちに泊まればいいでしょう?汚いけど覚悟してね。」ワタシ)
『いいのか?予定があるのやろ?』母)
「一応空けてあるよ。』ワタシ)
『お母さんがあんなこと書いたからか?本当にそう思っているって思ったのか?分からんのか?』母)
「わかるわからないじゃないよ。言葉で人は傷つくんだよ。ワタシは辛かったよ。」ワタシ)
『そうか....』母)

そんなこんながあり、我が家に泊まりに来た母。早めに寝たのに、起床時間になっても起きる気配がない。こんなに穏やかなこの人の寝顔はじめてみるかも....
なんか、勿体なくておこせなかった。うちでくつろいでくれるんだ、なんか嬉しいな。

おかしな話、今までで一番ワタシが感情を出し不安な思いをさせたのに。
んま、ワタシは冬の掛け布団を床にひいて寝たけど。あはは
気がつけば、母が来るまでに殆どストレスを感じることなく、部屋も片付いてた。

 寝る前は母は首がひきつる様に痛いという。

おっと、いいところに整体師がいまっせ♪モチロンワタシ!

 症状や動きなど調べつつ慎重に施術。お喋りなカラダ。混乱を避けるために必要と思われる事だけ伝えた。

 解らないふりして、馬鹿を演じなくてもいいんだよ。
不道徳を悪と見て、清く自分を律する事を必要以上にしなくてもいい、その思いが強すぎて自分を攻撃してしまってる。そして、人も許せなくて、赦せない自分をさらに許せずイライラと自分を攻撃して否定的になってしまう。それも、もう卒業。
もっと、自分の本当にやりたいことを楽しんでもいい。

長年人のために過ごしてきた母は、自分の事を自分で選択する。っと言うことが苦手になってた。

 街を歩いているときに、『タクシー乗ろうか。』っと母、
確かにたくさん歩いた。「足いたいの?大丈夫?」っと聞くと
『痛くない、大丈夫。』母)
「なら駅まで歩いて、電車でいこう。その方が早いよ。』ワタシ)
『タクシーが止まらん。』母)
「タクシー止めようか?しんどいんでしょ?」ワタシ)
『大丈夫。歩ける。乗車拒否しおった!』母)

そろそろ限界かな?タクシーを止めました。乗り込んで安心したのか、母から

『たくさん歩いたな、足疲れた。』

やっと、その言葉が出たかね。それをワタシは待っていたのだよ。人に自分が何をしたいのかをちゃんと言って欲しかった。行動から悟ることは容易いけど、今まで自分を表現することを《いけないこと。》っと思って来た母に、これからは、そこから出てもっと楽に人に頼って生きてほしくて。

頑張んなくていいんだよ。末っ子のえっちゃんのままでいいんだよ。

実家に帰る新幹線まで送り、岐路についた後母から『無事つきました。』の連絡がなかった。珍しい。「もうすぐ家につく頃かな?」っとワタシからメールすると、『とっくについて、ご飯食べ終わった。』っと返信が来た。以前より少しだけ母を縛るものがなくなっているように感じて嬉しかった。

 自分のココロを開きたい。っと思い始めたら、環境もパカパカと開き始めた感じ。なんか、楽しい♪