先日の母の日に電話をして母と話をした。母のトークはいつも通り。近況や楽しかった事などを雪崩のように話し出し、『○○にはお前も連れて行くと、約束してある。』っと今後の予定。一方的だのう…
(^_^;)

  ワタシはいつもこんな流れの中で如何に母に自分の思いや、要件を伝えるかを焦りながら考えていたんです。

  最近は日に日に焦りが消えているのを感じます。だって、この日だって、母の日に電話をして来たって事でほぼ要件は予測がつくだろうし、何より母が《聞いて欲しい!》っと望むなら、それに応える事でワタシは完了できる。無理に言葉にしなくても、思いを伝える方法なんていくらでもあるのだと思う。

 電話を切ってから、ふとやってみた事。
最近『子孫へのメッセージ』っという事で「明日ワタシの目が覚めなかったとして、○○さんにこのメッセージを残します。」っとカメラに向かって話す人達と出会い、子孫じゃないけど、母に向けてメッセージを自撮りしてみた。
 不思議と恥ずかしさは無かった。
先ほどの言葉に加えて、「これを見ているという事は、ワタシはもうこの世にはいないのですね…」っと進めていくものです。

  全くのノープランで止まるか、あっという間に終わるだろう…  っと予測していたのに、7分程ワタシは涙ながらに語り続けていた。

 自分から出てくる母への思いに自分で驚いた。

母に愛されている事をしっかり身体中で感じている事。

母の元に生まれた喜びと、産んで育んで貰った事に心から感謝している事。

生き辛さを感じている母に、どうか健やかに、喜びに満ちた日々を送ってくれるよう願ったり。

ワタシを始め皆んなが母を愛している事、肉体を捨ててもワタシが母を愛し続けている事。

などなど…
愛しか出てこなかった。
もっと、恨み節の効いた甘えた言動が出るかと思った。

そこで…


ワタシ、身体中で愛を感じてたんだ!
愛で身体が満たされてたんだ!
母の行動が愛から来ていた事をちゃんと理解してたんだ!

 自分はちゃんと心の奥で理解していたんだ!っと自分で驚いた。なんて、穏やかで優しい声で語りかけるんだろう。ワタシはこんな声も出せるんだ。

もう、驚きの連続だった。

 正味7分程の遺言のような事を話しただけ。それなのに、ココロはとても静かでお寺の境内で瞑想してるかのような心地よさだった。

 結局、自分と向き合っていたんだなぁ…
っと感じました。言語化の力をひしひしと感じた出来事。

愛がない。寂しい。っと信じ込むゲームをワタシはまだしていたのね~。
もう、そのゲームはやめます。あはは