教えてもらうこと。教えること。

   コレってね、多くの方が安易に誤解しているんです。凄いことだとワタシは感じるんです。

 赤ん坊がご飯の食べ方を教えてもらう…

教えてもらえなかったら、赤ん坊死んじゃいますよね。

 極端な例えですけど。

何かを学びたいと思う人は、その知識が必要だから『習得したい。』っと思っているんです。

  それを逆手にとって、『もっと、教えて欲しいのでは?聞きたいのでは?』っと知識をエサにして、人を操ろうとするのは酷い話だと思います。

   教え、教えられの関係って、信頼がとても大切だと思うんです。

   知識や能力を持っていらっしゃる講師だと言うことを、認識した上で人として不信感を覚えてしまった時の悲しさ。

 ワタシは、自分が信頼する人から学びたいタイプ。

 せっかく素晴らしい知識をお持ちなのに、なんでそんなつまらない使い方をするの?人を癒せる力でなんで、人の心をえぐる様なことをするの?

 逆に何でも安易に『どうやるの?どうやるの?』、『チョット、チョットだけ、やってやって!教えて♪』っと、プロとして習得した技術を簡単に教えてもらおうとする人もいるわけです。
 
仕事として 高い技術をお持ちの方が、どれくらい学ばれ、試行錯誤して来たのか、何度も失敗した中で、必死に習得した技術かもしれないことを簡単に『チョット教えて。』はあまりにも無礼です。

 知識って、生きていく上でとっても大切ですよね。それを与える、与えられる、両者とも責任が生まれるんだ。

  暇つぶしや、話のネタにチョット聞いてみたり、魚釣りの様に技術をエサにすることなく、必要な知識を必要な人達がしっかり身につけれる様になったらいいのに。

 画像は『心火(ピンイン)』意味は憤怒。
怒りをじゅうぶん味わったから、外に形として出し、解放。この件についての怒りの感情をコレでスッキリ手放してしまいます。

 怒りの感情は、あまりにもパワフルでいろんなことを破壊しかねない力があります。

 じゅうぶん味わったら頃合いで、変換したらいいんです。そうしたら、神風になりますよ。
『怒り』、『恐れ』ワタシにとってはとても厄介な敵でした。『消さなければいけない。』って。
  違うんです。共存していくんですって。使い方であり、新しいスタートのサインだったりするんです。それを教えて頂いてから、どれだけ目の前が開けたことか…

   何かを知る。

 感動するんです。ものすごく。感謝せずにはいられないんです。


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