Jina

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ふとした覚え書き。

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スティーブ・ジョブスが言っていたこと。

点と点とを繋ぐ、ということ。

人生に起こる、ひとつひとつの出来事が繋がって今現在の自分自信の姿となって、また、これから行うひとつひとつの行動と成果が未来の自分へ繋がることになるっていう話。


この点と点を繋ぐ作業は、大昔に、星と星とを繋いで名前がつけられた、星座によく似ていると思う。


近くにも星はあるのに、あえてその星を繋がず遠くの星と線を繋いだり、隣同士の星と星とを、ひとつずつ繋げてかたちにしたり。


近道したり、遠回りして、いくつかの点を経て、気がつけば、名前がついたひとつのかたちに出来上がる。


なんで、こことあそこが繋がるんだろう。全然関係ないように思えるのに。


人生には、そんな不思議な偶然が繋がって、思いもよらないかたちになることが、たくさんあるように思う。


それが人生を描く、ということのような気がする。


わかんないけどね(笑)

人間はどのようにして生まれたか。
どのようにして恋をするようになったか。


それについての神話はたくさんある。


その中で、私がひとつだけ、ああ、確かにその通りなのかもしれない、と思う、好きな神話がある。


それは、私が15歳のときに読み、それはとてつもない衝撃を私に与え、それ以後私の人生のところどころで、参考書を引っ張り出すように読み、読むたびに違った印象を与え、私を考え続けさせることになった、ある一冊の本に引用されている、ギリシャ神話のひとつだ。



昔々、人間には三種類いて、それぞれが、男男と女女、そして男女という性を持っていた。


人々は平和に暮らしていたのだが、ある日神の怒りをかうような出来事が起こり、人間は全て真っ二つにされてしまった。


それ以来、人間はもう半分の自分を探し求めて、一生さ迷い歩き続けなければならない呪いにかけられてしまった。


ある人は、幸運にもその自分の半分を、一生の間に探し求め見つけることができたが、ほとんどの人々は、もう半分の自分がついには見つからないまま一生を終えていくのだった。


好きな人ができて、その人に会えなくて辛くなったり寂しい気持ちができたりするのは、ようやく会えた自分の半分が、懐かしくて、嬉しいから、だからだという。


人は皆、初めから欠損した状態で生まれ、その身体を満たすもう半分を探すために一生さ迷い続ける。




話はだいたいこんなかんじ。


私は、この話が好きだ。


実感として、私は自分のもう半分を探し続けているのだろうと、15歳のときにこの神話を知ってから、そう考えている。


残りの半分の私は、この世界のどこかで、わたしのことをおもうのだろうか。

いつからだろう。

彼からの連絡がないときや、約束に遅れてきたとき、「もう」とか「遅いよ」とか、言わなくなった。


いつも、ふとしたときに連絡がなかったり、あれ、どうしたのかな、と思うとき、以前なら「私、何かしたかな」「言えないようなことしてるのかな」「どうでもいいって思ってるのかな」って、真っ先に頭に浮かんでた。


でも、いまは違う。


そんなとき、真っ先に頭に浮かぶのは、


「何かあったのかな」
「体調崩したのかな」
「事故にあってたり、何か不幸があったんじゃないか」


気がついたら、自分のことじゃなくて、彼のことを心配するようになってた。


一度そう思ってしまうと、なかなかその不安は消えてくれなくて、まさかと思うけど、事故にあって病院に運ばれてたりしてたらどうしよう、今頃何してるんだろう、大丈夫なのだろうか、なんて、次々の悪い想像がめぐってしまう。



「連絡遅くなって、心配かけちゃったみたいでごめんね。いま帰ってきたよ」


そうやって連絡が来ると、もうなんだかどうでもよくなってしまって。


例えば、彼の周りに、魅力のある女性が現れたりだとか、もっともっと大事なものができて私が後回しになったりだとか、そんなことがあったとしても、もうどうでもよくなってしまう。


不思議だなあ、と思う。

一緒にいて数年経つけど、こんなふうに心の持ち方が変わるなんて。


好きとか、嫉妬とか、疑いとか、不安とか、なんだかそういうものとは違う気持ちで、彼がいない間、彼のことをおもうようになった。


これが愛とか、大切とか、そんなきれいなことばで自分の心を修飾するような、そんないいものではないけど。


前の私より、いまの私の心持ちのほうが、なんだか、なんとなく良いかなって、そう思う。




「いつか、見渡す限り地平線の続く、大草原の真ん中に行ってみたい」



私はかつて、そう思っていたことがあった。



そして2年前の夏、モンゴルの草原に行くことになった。彼と。



実際に大草原の真ん中でひとりぼっちになってみたことのある人は、どれだけいるだろうか?



郊外に走るバスに乗って2時間、いつだったか教科書で見たことのあるような、白いテントが建ち並ぶ集落が見えてきた。バスから降り、私は乾いた大地に降り立ち、大きく息を吸い込み、吐き出した。とうとう来た、これがモンゴルの大草原だ、と。



数時間後、現地の民族の宴に参加する予定になっていたが、それまでは自由行動ということで、彼と草原を歩いてみることにした。彼は、どこまで遠くに行けるか試してみたいと、足早に草原を進んで行った。私は見るもの触れるもの、吸い込む空気、全てがまるで別世界のもののように感じて、少し進んでは足元の草花を眺めたり、遠くの地平線を見たりしながら歩いていた。



ふと前を見る。彼の姿はそこにはない。どこにいるのだろうと辺りを見渡すと、遠く小高くなった丘の上に、彼はいた。歩き続けていた。「」待ってよ」私はそう叫ぼうとしたが、叫ぶにはあまりにも遠く、この広い草原の中で私の声はすぐにかき消されてしまうような気がして、そのまま、遠くにいる彼を見つめていた。ああ、行ってしまう、見えなくなってしまう。そう思っているうちに、彼は丘を向こう側に下ったのだろう。姿が見えなくなってしまった。




「いつか、見渡す限り地平線の続く、大草原の真ん中に行ってみたい」


私のその思いは、その瞬間、現実のものとなった。誰もいない草原で、見渡す陰り地平線の続く大地の中で、わたしひとり。音はない。ただひたすら、かすかに感じる風の音と、私の実体がそこにあるだけだ。




しかし、そこでは私はとても弱々しく、ちっぽけだった。こんな、何もない寂しい場所に、彼は私を置いて行ってしまった。そう思った。私は、右も左もわからないこの大草原で、ひとりぼっちになってしまった、と。



きっと、大草原を独り占めしたときは、自由を感じ、私は何にもとらわれないのだと叫びたくなったりするのだろう。そう思っていた。しかし実際は、私のたった一人の実体を抱えて、孤独と悲しさと、自分の弱さを

感じることになった。彼は迎えに来てくれるだろうか、いや、こんなところまで彼が戻ってきてくれるのか、私は元いた場所に、一人で歩いて戻れるだろうか。そんなおもいが頭の中をめぐった。




そんなことばかり考えている自分に気づき、私は頭を上げた。一人で戻ろうと。こんな考えばかりしている。彼に頼っている私は、とても恥ずかしい、一人でどこにでも行ける、なんでもできると思っている強気な私を裏切るようで、負けてしまうようで悔しくて、とりあえず、元いた場所がに続くであろう方角へと、満ちなき草原を歩いていった。



歩きながら、彼のことは考えまいとしていた。私は、一人旅をしに来たのだと。彼の姿が見えなくなってしまっただけで、こんなに弱虫になってしまう私は、どうしても嫌だったから。



元いた集落が見え、ほっとした私の後ろから、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。振り返ると、少し離れたところに、彼が立っていた。


彼だ。私は安心したのと同時に、そんな自分が恥ずかしいやら悔しいやら、振り返ってはまたすぐ前に向き直り、彼を無視して集落のほうへと進んで行った。「私、怒ってるんだよ。勝手な行動して、私を置いていって」そう背中で言っているつもりで、気にせず歩いて行った。



彼は、「なに、怒ってんの」といって私に駆け寄り、「ねえ」と肩を組んできた。


「もう!好き勝手して!」私は彼のほうも見ず、そう言った。


「寂しかったんでしょ、ごめんごめん。実はずっと上から歩いてる姿見てたんだよ。ちゃんと戻ってこれてえらいえらい」そう、彼は笑いながら言った。その言葉が、余計悔しかった。



「ごめん、疲れたでしょ。一緒にアイス食べよう」そういって彼は、私の手を握った。「なんなの」口でそう言いながら、私の心と身体は、やはり彼がいることに安心しきっていることに、私は気づいた。




なんだかなあ、やだなあ。彼がいたら自由もひとりぼっちも、よくわからなくなってしまう。隣にあなたがいないと、なんだかよくわからなくなってしまう。困ったなあ、私、弱いんだなあ。




それは、2年前の夏、もう二度と訪れることはないかもしれない。



彼は今も、遠く離れた場所で、私のそばにいる。





歩きながらふと、秋の夜の空気を吸い込み、星も見えない黒い空を見上げる。



私には、愛している人がいる。


まるで私の一部のように当たり前にそこにいて、そこにいないときも私の身体の一部のように感じるくらい、なんと呼んでいいかわからないくらい、ずっと穏やかに愛しているひとがいる。


こんな秋の夜は、急になんとも言えない切ない気持ちが襲うときがある。得体のしれない何かが私のなかに入りこみ、名前の付けられないような、なんと呼べば良いかわからない類の感情だ。そして、その感情が私の中から生まれるとき、必ず続けて、彼のことを思い出す。




私は幸せだ、と思う。満ち足りていると思う。



頻繁に会うわけではないが、お互いがお互いの一部のようになっていることは、私も彼も知っている。毎日一緒にいなくても、ふとしたときに電話で声をきいて安心したり、久しぶりに会うと、目の前にいる、自分の一部を激しく求めあってしまう。




こうして彼のことを切なく、愛しくおもえるなんて、そう思える相手がいるなんて、私は幸せだと思う。