今日はちょっといつもと違う日
2014年の今日
大事な人が色んなメッセージを残して
旅立っていった日
4年前の昨日は
コリン姐さんが子宮ガンの抜糸をした日
つまり、抜糸の翌日の事だ
正直に言えばコリンから離れず
見守っていた方がいい日
それなのに…
この日から私は帰宅できない日々が続き
コリンは一人で留守番していた
(抜糸したばかりなのにね)
コリン姐さんが子宮ガンになった時
彼女は肝臓ガンの末期だった
彼女は在宅での生活を選び
入院はしなかった
そんな彼女に私はコリンの相談をしていた
「コリン子宮ガンになっちゃったよ~」
とか
「コリン術後食べないんだけど」
とか…
今思えば………アリだった
それ
とか思うけど
彼女の人生はちょっとすごい
重度の障害を持って生まれ
一人では何も出来ない
20代の時には一人暮らしにチャレンジし
同じ障害の男性と結婚
あの頃の日本では
ちょっとレアケースかもしれない
なんと言っても二人とも
24時間介助がいないと水さえ飲めない
トイレも出来ない
そんな二人は愛犬
と生活していた
重度の障害者が犬を飼うなんて
と言われることもあったが
二人は障害者の前に人間なので
何か問題か
という姿勢だった
一人の人間として皆と同じ様に生きる
今でこそ当たり前のことだか
当時はホントに色々言われた
車椅子だと入店拒否される事がある
知らなかったので私は結構驚いた
雪道を歩いている時に
こんな日に車椅子なのに外出するなんて
(もっと汚い言葉でしたけどね)
と言われた…
雪降るなんて予定外なのに…
世の中酷いもんだなぁって思った
私にとって、出会った時こそ
障害者が普通にアパートで結婚生活しとる~
(しかも汚いよ…ここ)
と驚いたが、今では
ただの犬好き酒飲みオッサンと
文章書くのが好きな乙女なオバサン
の生活だと思う
彼女は長年のリハビリがアダとなり
30代で二次障害による股関節変形を発症
手術に挑んだ
手術前夜はもうどうしていいか分からず
2人して眠れなかった
(不安で不安で…)
左股関節の術後それまで庇っていた
右股関節も同様の状態になったが
これ以上の手術は望まず
痛みと付き合う選択をした
足が痛む日、早朝や深夜に
私はよく呼び出された
足が痛いから来て~
介助者は他にいるんですけどね
行っても特に何もできませんけど…
でも何故か彼女は私を呼び出す(笑)
ウミは私が動くたびに起こされたりして
大変だったと思う…ごめんよウミ
(ウミは彼女の影の介助者だよね)
その後排泄がうまくいかなくなり
カテーテル生活になった
その影響で腎盂腎炎の繰り返し
結局腎臓にドレーンをつける選択をし
彼女の体には常に2本の管が付けられ
2つの排泄バックを下げての生活
その頃には既に一度乳ガンを克服し
(この手術の前夜も二人でアタフタした)
大腸ガンとも戦った
大腸ガンの影響からストマ生活になった
介助の内容は複雑になっていく
2本の管と3つのバック…
すごい体だ
ドレーンなんかホントに
背中からむき出しの管が出ていて…
彼女は健常者みたいに起きられないので
つねに背中のドレーンの上に
寝ている状態…ありえない
救急搬送に同行した時
処置室からの悲鳴を聞いた
あんな悲鳴をあげるほど辛くても
それでも彼女は大好きな旦那さんと
愛犬との生活を、在宅を選んだ
残念ながら大腸ガンからの転移で
肝臓ガンに…
すでにこれ以上出来ることがない
今回はどうやらガンに勝てそうもない
在宅で体制を整えて生活をしていた
そして多くの人が見守る中
彼女は60年の生涯をとじた
今日のこの時間は彼女が旅たった時間
障害者である前に人間だと言うと
カッコよく聞こえるが
あの頃の日本では
辛いことも多かったと思う
介助に行くとまず玄関で
犬のチェックを受ける介助先…
しかも彼女に近づくと吠えられる
(犬としては飼い主を守っているからね)
車椅子を犬ぞりのように引っ張ってくれる
犬ちゃん…もちろん介助犬ではない
ただのペットだ
地域の犬仲間と公園で交流するのが日課
好きな文章や小説を書いて出版もして
色々残してくれた
大好きな人に囲まれて
自分の場所で人生を終える
なんだかんだで理想的な人生だなぁ
でもね
葬式仕切るの大変だったよ…
偲ぶ会とか関係者が多すぎてさ…
ホントに大変だったんだからねっ
コリンをほぼ放置しての看取りと葬儀
はぁ…今思えばよくやったよ私
って事なので
私への恩返しの意味を込めて
うちのウサギさんとそのお友達を
見守ってください
ま、こんなこと言わなくても
貴女はがんばる動物みんなを
応援してると思うけどね
ばあやがお世話になりましたってね
