スパイはいまも謀略の地に | 月は東に日は西に

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 ジョン・ル・カレ著。早川書房2020年刊。

 「寒い国から帰ってきたスパイ」が有名な、スパイ小説の巨匠の近作。執筆された時期はブレクジット確定後、ウクライナ戦争前。


 国際謀略小説というのは冷戦時期はよく読まれたものだが、その後は米ソ雪解けに始まり中東、中国の台頭、無人戦闘機の導入等、国際情勢の激変とテクノロジーの進化により、安定的な舞台設定が難しく、フォーサイスやクランシーのようなビッグネーム作家は出てきてない、ような気がする。

 しかしながら、ジョン・ル・カレをはじめ英国の作家は、スパイを主役とした小説を書き、日本で訳される書物が比較的多いように思う。おそらくだが、韜晦と皮肉に満ちたブリティッシュ気質と、スバイという騙しのフィクションの相性がとても良い、からではないか。


 このル・カレの近作は、ほぼ引退を前にしたロートルのスパイが主人公で、セリフ回しや地の文にも婉曲的な表現が多く、ある意味とっつきにくいものがある。

 このため、少し読んで休憩を繰り返し、購入から四年もの間、ほぼ積ん読になってしまっていたのだが、昨日なんとなく読むのがすすみ、つい1日で読了してしまった。

 まず、60ページまでは特に劇的な展開もなくロートルスパイの悲哀と日常が描かれている。英国的なセリフ回しに慣れ、それを楽しめるようになった頃に、事件を匂わせる「墜落」という言葉が出る。

 そこからは、巨匠の独壇場だ。


 この小説は、後書きを読む限り「ブレクジット後の英国を活写」というのが英国での評価らしいが、自分の印象としてはスバイ小説版「日常の謎」というものだ。事案の展開に潜む違和感に気づいた主人公の洞察力、経験豊かなスパイならではの行動力で他国のスパイ組織に接触する緊張感もスリリング。序盤ではただ退屈な描写と思えた事柄すら結末への伏線だったとは!


 ウクライナ戦争が勃発し、現実に血が流れている今の欧州からみるといささか平和な展開のように思えるが、それを持ち込むのは無粋というものだろう。この小説は、スパイ小説としてはかなり異色な部類だが、自分はとても好きだ。

 実際に読まれる方は少ないと思うのだけれども、読んだ感想を語り合いたくなる、そんな小説だった。