月は東に日は西に

月は東に日は西に

だいたい本とサッカーの話です。

 スチュアート・タートン著。文芸春秋刊。


 超常設定ミステリ「七回殺された男」は西澤保彦の出世作だったが、本屋でこの「イブリン嬢」を見たとき思ったのは、その海外版なのか?、だった。

 帯には「館ミステリ+タイムループ+人格転移」とあり、ますます西澤色が強いのでは?と思いつつ、まあこういうのは嫌いではないので、購入していた。それが五年前。


 で、今回ようやく読み上げたのだが、まあ、苦労した。

 西澤氏の作品の場合、前提となる超常現象をあらかじめ定義し、読者に条件を示した上でミステリを組み上げるのをセオリーとする。このため、読みにくい、というイメージはない。

 一方、こちらのイブリン嬢は、主人公が何も知らないところから始まり、断片的に得られた情報から、「同じ日を八回繰り返し、八人の人に入れ替わりながら、夜に殺されるイブリン嬢の犯人を暴け」、というのがこのループを抜ける手段だと知らされる。

 あまりにも手探りで、謎が幾重にも散らばり、ストーリーはとても興味深いのだが、八人の人格に主人公が影響されるのでなかなかに視点が掴みづらい。

 ので、リーダビリティに富む、とは言いがたいのだが、様々な謎が少しずつ見えては新たに謎が生まれるという、物語の構造が見えてくると、つい最後まで読んでしまいたくなる。

 まあ一つの読書経験として、読んで良かった、と思える本ではあった。

 

 ジョン・ル・カレ著。早川書房2020年刊。

 「寒い国から帰ってきたスパイ」が有名な、スパイ小説の巨匠の近作。執筆された時期はブレクジット確定後、ウクライナ戦争前。


 国際謀略小説というのは冷戦時期はよく読まれたものだが、その後は米ソ雪解けに始まり中東、中国の台頭、無人戦闘機の導入等、国際情勢の激変とテクノロジーの進化により、安定的な舞台設定が難しく、フォーサイスやクランシーのようなビッグネーム作家は出てきてない、ような気がする。

 しかしながら、ジョン・ル・カレをはじめ英国の作家は、スパイを主役とした小説を書き、日本で訳される書物が比較的多いように思う。おそらくだが、韜晦と皮肉に満ちたブリティッシュ気質と、スバイという騙しのフィクションの相性がとても良い、からではないか。


 このル・カレの近作は、ほぼ引退を前にしたロートルのスパイが主人公で、セリフ回しや地の文にも婉曲的な表現が多く、ある意味とっつきにくいものがある。

 このため、少し読んで休憩を繰り返し、購入から四年もの間、ほぼ積ん読になってしまっていたのだが、昨日なんとなく読むのがすすみ、つい1日で読了してしまった。

 まず、60ページまでは特に劇的な展開もなくロートルスパイの悲哀と日常が描かれている。英国的なセリフ回しに慣れ、それを楽しめるようになった頃に、事件を匂わせる「墜落」という言葉が出る。

 そこからは、巨匠の独壇場だ。


 この小説は、後書きを読む限り「ブレクジット後の英国を活写」というのが英国での評価らしいが、自分の印象としてはスバイ小説版「日常の謎」というものだ。事案の展開に潜む違和感に気づいた主人公の洞察力、経験豊かなスパイならではの行動力で他国のスパイ組織に接触する緊張感もスリリング。序盤ではただ退屈な描写と思えた事柄すら結末への伏線だったとは!


 ウクライナ戦争が勃発し、現実に血が流れている今の欧州からみるといささか平和な展開のように思えるが、それを持ち込むのは無粋というものだろう。この小説は、スパイ小説としてはかなり異色な部類だが、自分はとても好きだ。

 実際に読まれる方は少ないと思うのだけれども、読んだ感想を語り合いたくなる、そんな小説だった。

 特捜戦隊デカレンジャーが放送されてから20年。その20周年を記念しての企画が、映画「特捜戦隊デカレンジャー20th ファイヤーボール・ブースター」で、本年6月7日から全国の映画館で放映されている。


 当然、見てきた。最高だった。

 どのように最高だったかはこれから述べていくのだが、色んな要素と背景と個人的な感傷がありすぎて何をどう書いていくべきかよくわからない。


 まず、10周年のVシネの記憶があった。10年後のデカレン達は、それぞれの道を歩み、変わってしまったのか…いや、熱い思いは!というような展開だったと思う。なので、実はあまりよく覚えていない。

 その後、SNSでデカビンクのウメコ役の菊地美香が、デカブレイク役の吉田友一氏と結婚し、高知に在住。吉田氏は役者を辞め、高知市の職員として地域づくりに励んでいる、というような話を聞いていた。

 20周年の企画は、高知大学の学祭に、デカレンのメンバー達が招待されたときから始まったらしい。

 ここ数ヶ月、菊地氏やデカグリーンの伊藤陽祐氏のSNSで、映画の撮影が盛り上がっていることを知らされていた。


 なので、映画を見に行くまでの自分の意識はこうだ。隣の県にとても好きだった戦隊ものの役者が在住していて、10年ぶりに撮影する映画がある。「どんな内容であったとしても」、見に行かない理由はない。


 そしてその考えは、逆方向に間違っていた。

 菊地氏は(やーもー、こうじゃないな)、ウメコはSNSで「10周年はシリアスだったので、今回は楽しさに全振りしました!」的なことを書いていたのだが、それは10周年のような「その後のデカレンジャー」ではなく、「20年経ってもデカレンジャー」。つまり、本放送時と同じテイストで作ったことだったのである!(あぶない刑事、という先行事例に倣った、のだとか)


 映画はセンとウメコ(設定上の夫婦)の蕎麦屋での会話から始まる。「私達が集まってから20年だって!でも新人が定着しないのはブラック職場だからかな?」そして店を出て、轟く爆発音!

 爆破事件の容疑者は、異星人ラエンジュ。理解出来ない言語を話す彼女に纏わる謎は深まるばかり。

地球署のメンバーは、それぞれ捜査を進め、やがて驚くべき真相にたどり着く!


 スペシャル企画なので、各人のキャラクターを生かした展開がちりばめられており、見ていてストレスなく楽しめた。

 特に、センがいきなり「高知に行く!」と言い出して、高知の名所巡りをする展開は、同行したテツ同様にちんぷんかんぷんだったのだが、「なるほどこうなるのか!」というストーリー構成で唸らされた。


 見終わった後、個人的には、ホージーとデカマスターの扱いが気になっていたのだが、それも事後に購入したパンフレットで言及されていた。そうだよデカレンジャーを愛する人たちが、それを考えていないはずがない。


 メタ的な観点では、この映画は高知市の地方創生にかなり貢献しているのだが、前述の背景を考えればそれは当然なのであって、少なくともこの映画を見た人たちに高知は好感を持って受け入れられるだろうことは、隣県の身としてとてもうらやましい。


 そして、改めて思ったのだった。

 デカレンジャーは、自分にとって、最早内容は記憶の彼方にある、幼少の頃毎日のように見ていた特撮番組のみならず、太陽に吠えろや特捜最前線などの刑事ドラマや大江戸捜査網などの時代劇のエッセンスが、全て詰まった宝箱のような番組だったのだと。

 考えてみれば、これまでの人生で、テレビ番組のDVDを全て揃えたのはデカレンジャーしかない。あまりにハマって玩具のデカレンジャーロボまで買ってしまい、いつか子供と一緒に見るんだ、と誰にするでもなく言い訳していた。


 そして、自分の勘違いに漸く気づいた。今までデカレンジャーは「昔好きだった番組を彷彿とさせるから好き」なのだと思いこんでいた。

 そうではなく、自分にとって、デカレンジャーは唯一無二の作品なのだ。視聴したときの年齢なぞ関係ない。ドラマも歌も全てが。


 最後に、この企画を作り上げた全ての関係者の方々に、改めて感謝を申し上げたい。

 そして、恐らく裏方で最も重要な役割を担ったであろう吉田友一氏に。デカブレイクのキャラソンは、自分の人生に今も響いています。

 鉄の意思で、壁を貫け。