フーテンの寅さん考 | koreyjpのブログ

フーテンの寅さん考

 昨日、柴又の帝釈天にお詣りに行った。京成の柴又駅前には、寅さんの銅像が立ってゐる。参道を歩くと、みやげ物屋が軒を並べてゐる。参詣客は中年のおばさんが多いやうだった。帝釈天では、「なむからたんの、とらやや」といふ禅宗の御経が自然と口から出た。寅さんからの連想であらうか。

 

いつか、渥美清の随筆を読んだことがあるが、かれが本屋で立ち読みをしてゐると、他の客がそれを見て、「なんだ、寅も本を読むのか」と呟いた。フーテンの寅さんは本なんか読まない設定であらうが、役者の渥美は本を読むのは当り前であらう。

 

昔西洋で、舞台の上で女性を虐める役の役者が、その演技が余りにも真に迫ってゐるので、それを観てゐた観客の男が怒り心頭に達し、その男優をピストルで射殺してしまったといふ事件があった。そこまで観客を夢中にさせた役者は、役者冥利に尽きるといふべきかもしれないが、それは命がけであったのだ。

 

日本では、柴又の町おこしに、寅さんが一役も二役も買ってゐるが、亀有の駅前ではこち亀のお巡りさんの銅像が立ってゐる。フィクションに誘導された日本の文化は、これからどこまで行くのであらうか。