何にもしないをしよう | koreyjpのブログ

何にもしないをしよう

 かつて、日本人は働きすぎだの、エコノミックアニマルだのといふ自虐的な自己批判が一世を風靡してゐたころ、北海道への観光旅行のポスターに、若い女の子が一人、広い原っぱの真ん中に立ってゐる写真があり、そこに「何にもしないをしよう」と説明が書かれてゐた。

 

 つまり、忙しすぎる毎日の生活から脱して、無の中で自分自身をみなほしては、といふ宣伝文句である。そのポスターを、時々思ひ出すのだ。その背景には、余りにも早口でペラペラぺらぺらとまくし立てる言葉の洪水に、辟易してゐる数へ年80歳の老爺である私がここにゐるのである。

 

 私が大学の二年生の頃、世界中を学園紛争の嵐が吹きまくり、日吉の校舎も殺伐としてゐたが、そこで「早慶坐禅会」のポスターが貼られてゐたのを見て、興味半分で鎌倉の寺に行ってみた。この事が私の人生に大きく影響を及ぼすことになった。大学の教師がいくら口を酸っぱくして教へようとも、破る事の出来なかった言葉の洪水を、いとも簡単に破ってくれたのが禅の修行であった。しかし、自己流でやるのには危険が伴ふ。どうしても良き先達、良き指導者が必要だ。さもなくば、所謂野狐禅(やこぜん)に堕してしまふ。「何もしないをする」数少ない日本人の中から、今後の世界を救ふ偉人が輩出することを願ってゐる。