こんにちは!
今日は連勤明けの休みですが
3度寝して朝から何も食べていません。笑
最近はもっぱら休日は家にいるので
給料もおろさず終いでお財布がかなりエコ🌏
さてさて、
なんの予定もないこんな日には
ブログを更新したい😊
今日は久々に南北朝ネタ。
2年前に鎌倉に行った時の写真をば。
はい、鋭い方はこの鳥居で
もうお分かりですね。笑
↓
鎌倉宮〜〜〜⛩
(シレッとコレモリストがいます)
御祭神はみんな大好き(?)護良親王💜
【大塔宮護良親王】
(おおとうのみや もりよししんのう)
1308〜1335 享年27歳
後醍醐天皇の第三皇子とも第一皇子とも……
第三皇子ってよく聞くから
第三にしとこ……
母親は不明らしいです。
コレモリストは南朝推しで
特に護良親王は「キミノ名ヲ。」という
漫画の影響もあって特に好き✨
(影響されやすい夢女子)
父帝の新政の為に
まさに「戦う皇子様」です!!
22歳ぐらいの時に
この「護良親王出陣図」に
ズッキューーーン💘ときまして。
烏帽子を被らず、
鎧姿で馬に跨り白塗りに紅を引き
弓の弦をくわえ、
悪党たちを引き連れています。
え
やばない???
どちゃくそ妖艶やん。
父帝後醍醐天皇のために
倒幕運動の先陣を切り
いち早く足利尊氏に目をつけていましたが
後醍醐パパとそりが合わず
最終的には裏切られ
(というかごだてーの政治に
ぐいぐい関わりすぎてしまって
ごだてーに煙たがられた?)
「 武家よりも
君の恨めしき 渡らせたまふ 」
という歌を残しています。
ここで言う武家とは足利尊氏のこと。
君とは父帝後醍醐天皇のこと。
「足利よりも父、帝の方が恨めしい」
ということですな。
いっときは征夷大将軍にまで
なった宮様ですが、
捕らえられて鎌倉へ送られます。
9ヶ月間閉じ込められたのちに
淵辺義博に殺害されてしまいます。
こんなところに9ヶ月も入れられてたら
体力も筋力も衰えてしまうし
いざ刺客がきても闘われへんよな😢
護良親王とツーショ。
(頭おかしいんかて)
宮様が殺害されてしまう時に
ちょっとした小話?伝説?がありまして
淵辺義博(ふちのべ よしひろ)が宮様の首を
斬ろうと刀を振り下ろした際、
なんとその刀を口で受け止め
歯で刀をへし折ってしまったとか。
刀をへし折られた淵辺義博は
宮様と組み合いになり
脇差で宮様の首をようやく獲りました。
獲った首に目をやると
宮様の首は目を見開いたまま
こちらを睨みつけていました。
驚いた淵辺義博は
宮様の首を投げ捨ててしまいます。
それがここ↓
そして!!!!
この時(2年前)新しい
御朱印帳が出ていたのですが……
ぎゃああああああ
宮様あああああああ
そして宮様の令旨に書かれている
「二品親王(花押)」!!!!!
オタク発狂。
宮様の花押入りやで😭😭👏
そして表紙が
吉野山での攻防戦の宮様😭❤️
これは即決ですわ。
前の鎌倉宮の御朱印帳まだ
終わってなかったけど
これは買いですわ。
征夷大将軍、戦う皇子様
鍛錬を怠らない延暦寺の尊雲法親王時代
何となく「気性が荒そう」
という気もするんやけど
実際のところどうやったんでしょうね?
宮様の本音とか色々聞きたい!!!
建武新政についてどうとか
お父さんのことどう思ってるんとか
阿野廉子(ごだてーの寵姫)嫌い?とか
(うざい友達かよ)
笑
いよいよ明日から7月です!
来たる7月23日は宮様の御命日ですので
また近々宮様についての記事を
更新したいと思います✨
(またまた過去の写真になりますが泣)
それではまた!