前の記事に次は熊野速玉大社の
記事をUPすると書きましたが
光福寺が抜けておりました💦




という事で
維盛様お弔いツアー、
続いては三重県熊野市飛鳥町の
光福寺です✨




伊勢神宮から2時間弱車を走らせ
ホテルのチェックイン時間も迫る中
スケジュールにはなかった
光福寺へ寄り道( ◠‿◠ )





外観


ここはもう5回ぐらい来てる気がするww
なのに御朱印は頂いたことがない←
(人に出会わない)




表にはデカデカと
「南朝皇胤御遺蹟」という石碑。


後亀山天皇の御孫、尊義王の第三の御子
尊雅王は北朝方に攻められ重症を負い、
この光福寺に逃れてきたそうです。
そしてここで崩御されました。

あまり詳しくないけど
後南朝の歴史があるのですね!






そして注目して頂きたい。

誰が開基だって???






平維盛開基


『平維盛の真実』の著者である
坂本顕一郎氏曰く、
屋島を抜け出した維盛様と一緒に
行動を共にした「石童丸」は
実は安徳天皇のことで
どうしてもその安徳天皇の
行宮が必要だから光福寺を建てたとのこと。



名前の「光福寺」というのも
元々は源平合戦の折、
戦火に巻き込まれ焼失してしまった
奈良の「興福寺」のお詫びとして名付け
ここも最初は「興福寺」でしたが
こちらも焼失した際ご本尊が変わったため
名前も「光福寺」に変えられたとのこと。


この時の火事で維盛様の所持品であった
二俣の竹の団扇と青葉の笛も
焼失してしまったそうです😭😭



ほんとに、いつ行っても
開いてることがなくて
中に入ったことがないので
今度行く時は事前に連絡をしよう💦





光福寺の目の前の景色



車もビュンビュン通るわけでもなく
のどかで大好きなところ。
写真を撮った時は16時をまわっていて
陽が西に少し傾いていた。



ここはまだ三重県。
和歌山県新宮市にある
熊野速玉大社を目指すため
再び車に乗り込み大好きな42号線
熊野街道を南下します(*´-`)






42号線熊野街道はひたすら海沿い🏖
最高な景色が続きます✨




今までこの距離を走るには
交代してくれる運転手が必要で
一人で来たことが無かったのですが
今回はついにひとり旅🚗


いつもは通り過ぎていた海にも
気兼ねなく寄り道できる!





白い砂浜に青い海!!
ネゴちゃんもこのお顔←
本当に大好きです!!




急いでいたので
5分ほどしか居られなかったのですが
いつかここで海を眺めながら
お弁当とか食べたい😄




運転はなかなかしんどいけど
好きな時に好きな場所に
気兼ねなく立ち寄れるのは
ひとり旅のいいところ( ´ ▽ ` )



私のコンテちゃん、
こんなに距離を走らされると
思っていなかったであろう。




まだもう少しお世話になろう(^ω^)





続きまして次こそ
熊野速玉大社



また更新します!!